第85話 狙われた弱点
騒ぐ配下を前に、風の魔王ラーゼンは溜め息をついた。死神の眷属にあしらわれたのが悔しいなら、自分でやり返せばいい。なぜ問題を挿げ替えて騒ぐのか。風の魔王の権威が落ちたと嘆く彼らに、淡々と告げた。
「我が権威は傷ついておらぬ」
傷ついたのはお前たちの矜持だ。風の魔王本人は関わりないのだと切り離せば、押し黙ってしまった。だがこのまま放置する気もない。せっかく向こうが動いてくれたのだから、彼らを焚きつけて利用するのも一興だった。
「傍観者が隠し持つ『白い粉』を手に入れれば、死神を封じてやろう」
神族の骨を砕いたという白い粉は、傍観者であるレンが所有している。その情報を配下にちらつかせた。暴風のエアリデが進み出て首を垂れる。
「お任せください」
頷いて見送る。野心家のエアリデならば手に入れるかもしれない。火の魔王マリニスといられれば、配下も魔王の地位も必要なかった。だが彼といるために、魔王の座が必要であるという矛盾がラーゼンを悩ませる。風が螺旋を描く丘の後ろには、マリニスがお気に入りの火山があった。
人の世は常に国が移り変わるため、現在はリュジアンとツガシエという国の境目にあるらしい。北の国にありながら、常に熱を絶やさぬ火口は今もマリニスを癒しているだろう。
「エアリデに任せてよいのですか?」
心配そうに眉をひそめて忠告するのは、1000年以上前から側近として侍る女だった。マリニスに似た赤い髪が気に入って傍に置いた彼女が不安がるのは、エアリデの野心を察知しているのだ。風の魔王の地位を狙っている男にチャンスを与える行為だった。
「構わぬ。奴が拒むなら奪えばよいだけだ」
素直に差し出せば良し。拒んで抵抗するなら、殺して奪えばいい。魔王の名にふさわしい残酷な発言を、女はうっとりと微笑んで受け止めた。これでこそ主として認めた風の魔王だと、誇るように頷く。
衣を揺らす強い風を受けながら、ラーゼンは長い緑の前髪をかき上げた。
「ラーゼン」
突如かけられた声色に、風の魔王は口元を緩めて振り返る。燃え盛る炎の色を移したような赤い髪と同色の瞳が美しい青年は、転移した魔方陣を乗り越えて歩み寄った。手を差し出してエスコートする形で受けたラーゼンに対し、赤い青年は素直に身を委ねる。
手を受けて隣に立つ姿を、女は舌打ちしたい心境で見ていた。大した実力もないくせに繰上りで魔王の座にある男が、輝かしき主の隣に立つなど……しかし感情を上手に覆い隠して、ただ膝をついて従う。
風の魔王ラーゼンにとって、火の魔王マリニスがどれだけ大切か――側近だからこそ、嫌になるほど身に染みて知っていた。以前の側近数人は、マリニスの存在に異を唱えて主に消されたのだから。気に食わなくても表に出すようなミスはしない。
「死神を消す方法を見つけた」
聞く姿勢を見せたラーゼンへ、マリニスは小さな炎を手の上に生み出した。燃える炎の中に、一人の女性の姿が浮かび上がる。流れる銀の髪に蒼い瞳の女性は、誰かと会話している様子だった。その映像にラーゼンは頷く。
「なるほど、彼女を使うのか」
「ただの人族だ」
手に入れてしまえば簡単に操れる。問題は、死神と眷属達が常に近くにいることだった。拐おうとすれば、彼らとの戦いは避けられない。
「あの女は子供に甘い」
マリニスが調べさせた過去で、幼子に対して身を呈して守るような行動を見せていた。その後も子供が話しかけた際は無防備に応対する。大地の魔女ライラが本来の姿ではなく、少女の姿でいることも確証を得た一つの要因だった。
顔を見合わせた魔王2人の画策は、やがて大きく世界を動かすこととなるが、この時点でそれを知る者はいなかった。
「用意は整ったぞ」
「リア、前にも言ったけど……荷物を用意しなくても転移すれば取りに戻れるからね」
両手に大量の荷物を抱えたルリアージェの姿に、ジルが苦笑いする。自らも収納空間を持っているルリアージェだが、かなり使い勝手が悪い。入れたものを全て出してから必要な物を選び、残りをまた収納し直すのだ。
亜空間から欲しいものだけ持ち出す魔性達の収納魔法と、まったく別の魔法だった。そのため、どうしても荷物を自分で持ち歩く癖がついている。逃亡中も、テントごとすべて出し入れしていたのだから、最低限の荷物は背負って移動しようと考えてしまう。
「わかってるんだが……」
身についた習性はなかなか直らないものだ。両手いっぱいの荷物を、手早く収納したジルが「まあいいけどね」と笑ってみせた。
ルリアージェが荷物を毎回用意するなら、ジルが毎回収納すればいいだけの話だ。機嫌のいいジルの穏やかな笑みに、ルリアージェは頬を赤くして俯いた。あの告白の後から、なんだか顔を見ると恥ずかしくなる。同世代の女友達がいなかったルリアージェには、どうしたらいいのか。まったくわからなかった。
「リア様、こちらもお持ちします?」
パウリーネがドレスの入った箱を指差す。首を横に振って断った。もう王族のパーティーやら招待は受けたくない。ならば最初から何も持たず、ただの観光として海に行けばいい。
「タイカ国は何もないはずよ」
まるで嫌な予言のようなライラの決めつけに、眉尻が下がる。本当に何もなく、海を見て過ごせるだろうか。また誰かが襲ってきたり、どこかの王族に絡まれたり、毒を飲まされたり……そこまで考えて、思ったより波乱万丈な人生だと、おかしくなった。
くすくす笑いだしたルリアージェの様子に、ジルが首をかしげる。素直に尋ねたのはライラだった。
「どうしたの? リア」
「いや……私の人生は予想と全然違ってきたと思って」
楽しそうな声色から、どうやら悪い意味ではなさそうと当たりをつけた魔性達は、ほっとした表情で話しかけた。
「どんな人生を想像しておられたのですか?」
「そうだな。宮廷魔術師として、あのまま王族に仕える人生が一般的か。きっと恋愛しなくて、政略結婚したかも知れない。独身の可能性もあるな」
本人はどちらかと言えば、独身の可能性が高いと考えていた。好きでもない男と結婚して家に縛られるなら、一生を魔術に捧げた方がいい。そんな考え方が他の女性達と異なるから、宮廷で女友達はいなかったのだ。
「リア、海辺でゆっくり話をしよう」
水の魔王の襲撃で台無しになった海を楽しむため、ジル達が再び予定してくれたタイカ国での滞在に、ルリアージェは頷いてジルの手を取った。
しっかり繋いだ手が離れるなんてーー想像もしなかった。
「捕まえたぞ」
見覚えのある男が、ルリアージェの腕を捻る。痛みに呻いたルリアージェを乱暴に、転移魔法陣へ放った。吸い込まれて落ちる先は、きっと自分達にとって悪い結果をもたらす場所だ。
海辺についてすぐ、溺れている子供に気づいた。周囲の大人達は誰も気づいていない。見る間に力尽きていく子供の様子に、ルリアージェは息を飲んだ。
真っ赤な髪と瞳の少年が、必死でもがく。波に飲まれて沈んだ子供を見た瞬間、ルリアージェの身体は動いていた。飛び込んだ海の水が重く、ワンピースが水を孕んで動きづらい。脱いでいる余裕はなく、そのまま潜って子供を抱いて浮上した。
目に塩水が沁みる。
水を飲んだ子供が咳き込んで、にやりと笑った。嫌な予感がして距離を置こうとしたが、少年の方がはやい。周囲の水を魔法陣の光が照らしていた。
飛び込んだルリアージェに気づいた4人が魔法陣に息を飲む。動くより早く、少年が大人の姿に変わった。腕を掴まれて、罠だったと知る。
剣呑な彼らの顔に、ルリアージェは申し訳なさが先に立った。勝手な行動で彼らに迷惑をかけてしまう。胸元の水晶をぎゅっと握り込む。
「どうしてここに、マリニスが?!」
「嘘でしょう! リア、リア!!」
「……間に合いませんっ」
「リア、オレを呼んで!」
攫われたルリアージェの耳に届いたのは、仲間達の声。そして名を呼べと願うジルの声だった。
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