第72話 雪の国ツガシエ
ツガシエとアスターレンの国境付近で、ルリアージェは首をかしげた。転移魔法陣に乗せられたので、そのままツガシエの宿に行くのだと思ったが、なぜか幻妖の森に近い街道付近へ下りたのだ。見れば広場になった場所に、見慣れた馬車が用意されていた。
リュジアン訪問時に使用した、サークレラのマスカウェイル公爵家の馬車だ。美しい白馬6頭建ての馬車は、快適性抜群だが……ルリアージェは疑問を口にした。
「馬車で行くのか?」
「リア、いきなりツガシエに飛んだら不法入国だろう」
「そうよ。くだらないいちゃもんをつけられるのは御免だわ」
ジルとライラの、驚くほど普通の受け答えに「それもそうだな」と頷く。思ったより彼らが常識人だったことに、ルリアージェはショックを受けていた。
確かに宿にいきなり現れたら、入国履歴がない不審者だ。緊急事態ならともかく、表から正規に入るルートがあるなら使うべきだろう。自分の世間知らずさに眉をひそめながら、ジルの手を取って馬車に乗り込む。
前回の手綱はリオネルだったが、今回の彼は執事の肩書きを捨ててライラの婚約者に変更となった。リュジアンの時の失敗を考慮した結果らしいが、ライラは不満そうな顔でリオネルの手を受ける。全員が乗り込んだのを確認して、馬車が動き出した。
今回はライラの配下を数人連れているので、彼らが馬車の周りを警護しつつ馬車の手綱も管理してくれるらしい。ほとんどが精霊と聞いて、ルリアージェは馬車の窓から顔を出さんばかりの勢いで見つめた。
「リア、身体が冷えてしまうわ。精霊なら後で会えるから我慢してね」
「そうですよ、風邪をお召しになったら大変です」
リシュアも後押しして、何とか窓を閉めさせる。
「ツガシエはリュジアンに似ているのか?」
氷の大地が広がる山脈の手前の国であれば、確かに冬の風景はそっくりだろう。まだ肌寒い季節なので、しっかり毛皮を羽織らされたルリアージェは、楽しみで仕方ないようだ。興奮を抑えきれない様子だった。
「ツガシエの方が暖かいですわね」
赤い口紅を引いたパウリーネがにっこり笑う。
「ツガシエは雪、リュジアンは氷かな」
ジルが喩えると、リシュアが追従した。
「そうですね。ジル様の表現が一番近いでしょうか。ツガシエの雪はしっとり水分が多くて積もります。リュジアンは氷粒のようなさらさらした雪なので、積もらずに吹雪くのです」
なるほどと頷くルリアージェが身に纏う毛皮のショールは、斑模様だ。夏の大雪角兎の毛皮を断りきれず、新しい毛皮製品が手元に増えてしまった。ツガシエとリュジアンに何度も訪問する予定があればいいが、そうでなければ過剰装備である。
不要になったらジルに預ければいいと軽く考えるルリアージェだから、まだこういったプレゼントが増える可能性は高かった。
「ツガシエの人の方が性格はきついかしら」
話をしている間に国境を越えた馬車は、王都へ向かう街道から逸れていく。サイワット方面はリュジアンとの街道に沿って進み、途中で山脈側の細い道へ入ったあたりだった。
だんだんと道が悪くなるが、金と魔法陣をふんだんに使った馬車の中では実感が薄い。多少揺れるが、魔法陣が補正するため酔う状況でもなかった。窓の外を時々確認するが、大きな牡丹雪が下りてくるだけで外は真っ暗だった。
「もう夜なのか」
「時間的には午後なのよ。この辺りは極夜といって、一日中夜になる季節があるの」
ライラは説明しながら、開いた窓を閉めた。吹き込んでいた雪が足元で融けていく。ジルはルリアージェを引き寄せて、冷たくなった手を包み込んだ。
「そろそろ着く頃か」
「サイワットの街は、ホットワインが有名ですわ。シナモンやスパイスが効いていて、身体が温まりますのよ」
パウリーネが微笑みながら、どこかから取り寄せたカップを差し出す。蜂蜜だろうか、すこし甘い香りがするワインは湯気が立っていた。確かにスパイスの香りも混じっている。
「あ、オレも」
「あたくしも飲むわ」
それぞれに空中から取り出したカップに、ポットを取り出したリオネルがホットワインを注いだ。馬車の中が同じ香りに支配される。ルリアージェが熱さに気をつけながら口をつけ、一口飲むと目を瞠った。
「美味しい……」
「ワインを薄めて温めるなんて、人は面白いことを考えるよな」
口をつけたジルが呟くと、リオネルが「人族らしい発想ですね」と追従する。リシュアは何やら小瓶を取り出すと、上でぱらぱらと振った。
「リシュア、それは何だ?」
興味を惹かれたルリアージェへ、リシュアは小瓶を手渡しながら「追加のスパイスですよ」と説明する。好みで味を変えるものだと知り、ルリアージェは少量を振って飲み、もう少し振って飲んだ。ようやく満足したらしく、ふわりと微笑む。
「この味が好きだ」
「ちょっと味見せて」
ルリアージェの好みを確認するために、ジルがルリアージェのカップに口をつける。間接キスに羨ましそうな顔をするライラも手を伸ばした。
「あたくしにも」
「スパイスの量は把握していますから、あとで情報共有しましょう」
主君第一主義のリシュアに遮られる。不満そうなライラだが、情報共有の単語に諦め半分で手を引いた。ここで揉めても面倒だし、ルリアージェが珍しく頬を赤く染めて嬉しそうに笑っているので、騒ぎを起こして台無しにしたくない。
「私の好みを共有するのか?」
不思議そうなルリアージェは、主人という立場が実感として理解できていないらしい。微笑んだリシュアが説明を買って出た。王族を1000年近くも体験した彼が、一番忍耐強く説明や人の懐柔が得意だ。
「リア様の情報は、我々にとって非常に価値があります。直接の主はジル様ですが、ジル様との付き合いはそれぞれ長いので、今から情報収集する必要はありません」
一度言葉を切ったリシュアへ頷く。
「今までのリア様は馴染みがないでしょうが、我々魔性は主にすべてを捧げます。文字通り、命まで含めたすべてです。主に快適に過ごしていただくため、好む水の温度から気温まで把握したいと願うのです」
「……人族の貴族より大変だな」
王族の顔色を窺う貴族の様子はよく知っているルリアージェだが、リシュアが求める水準はずっと高い。驚いたと呟けば、リオネルが「我々はリア様を認めておりますから」と追加する。大切にされていると感じて、擽ったい気持ちになったところで、馬車が停まった。
「サイワットに入りましたね」
宿屋の前まで横付けした馬車の扉が開くと、冷たい風が吹き込む。いかに内部が快適な温度と湿度を保っていたか、首を竦めながらルリアージェはジルの手を取った。エスコートする公爵であり夫役のジルは、迎えに出た宿の者と簡単な会話をして歩き出す。
ツガシエの大地を初めて踏んだルリアージェは、手を引かれながら周囲を見回した。薄暗い空は夜明け前のような雰囲気だが、先ほどのライラの言葉によれば午後らしい。太陽が沈まない白夜も、夜が終わらない極夜も、初めての経験だった。
「リア、寒いから中へ入ろう」
「そうよ、風邪を引いたら大変だわ」
ライラが娘役で後ろから声を掛ける。今回は婚約者役のリオネルがいるため、ルリアージェと手を繋ぐのは諦めたようだ。
リオネルは「リュジアンの時のように公爵令嬢がフリーだと目をつけられるから」という理由を説明したが、ライラは「ジル様がエスコートするリア様と手を繋がないように」が本心ではないかと密かに疑っている。真偽は当人のみぞ知る……だが、満面の笑みでリアと腕を組むジルを見れば、答えは出ている気がした。
他国の貴族が宿泊するこの宿は、続き部屋のある豪華な造りになっていた。中央のリビングを囲む形で4部屋ある寝室をすべて使うため、最上階のフロア全体を貸し切る形だ。侍従として連れてきた扱いの精霊達は、下の階に部屋を用意した。
公爵夫妻、弟夫妻、公爵令嬢と婚約者で4部屋とされている。この辺の手回しも、間違いなくリオネルの策略だ。ライラの疑惑はさらに深まる。ジルのため、どこまでも邪魔する気なのだろう。悔しそうなライラだが、ルリアージェの手が髪を撫でると機嫌は上向いた。
「この後は休むのか?」
リュジアンと違い温泉がないので、ルリアージェの興味は家具へ一直線だ。宿で休んで明日動くのが一般的だろうとルリアージェが尋ねるが、ジルは首を横に振った。
「家具つくりの名人に約束を取り付けたはずだ。すぐに行こう」
「本当か!?」
嬉しさのあまりジルに抱き着いたルリアージェを、しっかり堪能して頬にキスを落とす。このあたりは手馴れたジルのさりげなさに紛れ、ルリアージェは抱き締められた自覚がなかった。頬や額にキスをいくつか落とされて、ようやく首をかしげる。
「ジル?」
「うん、なに?」
「少し図々しくないか?」
「リアがあまりにも可愛いから、つい」
笑顔で誤魔化したジルの満足そうな表情に、ジル至上主義のリオネルは満面の笑みを浮かべた。リシュアは苦笑いで言及を避け、パウリーネは「素敵」と呟く。苛立つのを通り越して達観し始めたライラは、ひとつ溜め息をついた。
「早く行かないと夕食の時間になってしまうわ、お母様」
素早くジルからルリアージェを奪うと、手をしっかり繋いでしまう。
「そうだな、行くぞ」
微笑んだルリアージェを取り戻せず、ジルは後ろをついていく。
「……ジル様のお気持ちが、いまいち届いていない気がします」
リオネルの指摘に、パウリーネが悪気なく止めを差した。
「あら、まったく届いていませんわよ。リア様はジル様がどうして自分に親切なのか、まったくわかっていませんもの」
公爵家一行が職人街へ馬車を走らせて数十分後、宿は大騒ぎになる。自国の王族が、サークレラの公爵家を王城に招くという。使者を立てての正式なお訪いだったが、到着した直後に彼らが留守にするという予想外の出来事に、使者は困惑した。
彼らの知る貴族は怠惰で、動きが鈍いものだったのだ。馬車による陸路の疲れも気にせず出掛けるなど、あり得ない。
ツガシエの王族が待つ城では晩餐の準備が進んでいるはずで、このままでは予定の刻限に遅れてしまう。彼らは使者でありながら「公爵家と接触できていません」という別の使者を立てる羽目になった。
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