第70話 鈍さと純粋さは最強の武器らしい
「どこから湧いて出た」
瞬時に転移したジルが、レンの手からルリアージェを庇う。間に割り込んだジルに抱き締められ、きょとんとした顔のルリアージェが手の中の鍵を差し出した。
「ジル、これは遺跡の鍵じゃないか?」
神族の丘の地下神殿に隠されているはずの、迷宮の鍵――神を滅ぼす鍵ならば相応しい。そして神族最後の生き残りであるジルに返すのが当然だと考えた彼女は、肩に回されたジルの手に鍵を握らせた。
「ん? ああ、たぶんこれだが……オレはいらない」
実際に鍵を見たことはなかったが、間違いなく神殿にあった鍵だと断言できた。あの場に残っていた霊力を纏う鍵は、聖遺物と呼ばれるほど澄んでいる。ジルが地下神殿に下りたときに感じた喪失感とも一致した。
間違いなくこの鍵が『神を滅ぼす鍵』だ。
今回トルカーネが鍵を持ち出したのは、ジルを滅ぼすか封じる媒体として使おうと考えたためだ。神族の血を引く以上、ジルも『神』の一部に数えられる。神を滅ぼす鍵を魔法陣に組み込むことで、攻撃の一部とした。
読み解いたトルカーネの魔法陣が正常に稼動すれば、ジルであろうと簡単に退けられない攻撃となった。いくら威力がある魔術だろうと、当たらなければ価値がない。先に魔法陣を見せて手の内をさらした上、魔力を集める時間がかかる彼らの方法は、愚鈍に過ぎたのだ。
事前に配下を吸収したトルカーネが、自らと彼らの魔力をすべてたたきつけて稼動させて、ようやくジルに届くほど複雑な術だった。少しでも発動を容易にするため、神族の鍵がもつ霊力を利用したのだ。
そこまでしてトルカーネがジルに拘った理由が、彼の言う『役割』とやらだろう。
「この鍵はリアが持っててくれ」
「だが……」
「お願い」
耳元で囁くと、不満そうにしながらもルリアージェが承諾する。収納空間から引っ張り出した宝石箱の中をかき回し、目当てのチェーンを見つけた。それを鍵に通してペンダントにしてから、ルリアージェの首にかける。
「これでよし」
満足そうなジルの笑顔に、つられて微笑んだ。そんな2人を見守っていたレンが笑いを堪えながら、ジルに指摘する。
「鈍い相手だと苦労するなぁ」
「煩い! 消えろ」
しっと手で追い払う仕草に、レンは肩を竦めて少し距離を置いた。すぐにリシュア、ロジェが間に割り込む。パウリーネとライラも、ルリアージェを守る位置に転移する。
「嫌われたもんだ。まあ……おれはお嬢様に傷をつける気はないぜ。今回はトルカーネが残した仕掛けの結末を見届けに来ただけだし」
意味ありげに言葉を切ると、レンは真っ赤な短髪をくしゃりと握った。よく見せる癖の後、薄氷色の瞳を細めて笑う。
「お嬢さん、その鍵を大切にするといい。きっとあんたの役に立つからさ」
予言じみた言葉を残すと、ひらひら手を振って傍観者レンは姿を消した。
「リア、何かされなかった?」
「触れられてたら清めますわよ」
ライラとパウリーネが心配そうに近づく。しかし後ろから抱き着いたジルが、ライラを近づけなかった。触れようとする彼女の手を掻い潜って、ルリアージェを引き寄せる。
「ちょっ……ジル! いい加減になさい。そんな狭量じゃリアに嫌われるわよ!」
「リアはそんな酷いことしないよな?」
「捨てられてから後悔すればいいわ」
ふんと鼻を鳴らして怒りをぶつけるライラに、ジルは舌をべっと見せて子供じみた所作で応戦している。
「……捨てる気はないが」
溜め息をついたルリアージェは、複雑な心境で彼らの幼いケンカを見守る。万が一にもジルを捨てたら、彼は何を仕出かすか。それこそ世界を滅ぼしかねない。そこまで執着されている自覚はあった。だから捨てるという選択肢はないのだ。
首にかけたチェーンの鍵を手にとって見つめた。曇りのない銀色は何の金属だろうか。銀ならば人の手が触れれば曇るものだし、触れなくても色が黒ずんでくる。しかし鍵に刻まれた文様も含め、細部まで美しい光を放っていた。
肩に乗った炎龍も一緒に覗き込むのを、撫でてやってからブレスレットの水晶の中に戻した。
「ジル様」
姿を消していたリオネルが影から現れると、ジルの耳元で何かを告げた。一瞬だけジルの顔が苛立ちに歪むが、ルリアージェの視線に気付いて笑みを作る。
「どうした?」
「……もう少し状況がはっきりしたら説明するから待ってて」
不思議と誤魔化されたとは思わなかった。以前のジルなら「リアには関係ない話だよ」と言いながら、別の話題に誘導しただろう。しかし今回は「今は話せない」と告げたに過ぎない。後で説明すると言うのなら、待てばいい。
「わかった」
納得したルリアージェにライラが溜め息を吐いた。
「この男に甘い顔をしていたら、いつか食べられちゃうわよ。リア」
「神族や魔族は人を食べるのか?」
初めて聞いたぞと無邪気に尋ね返すルリアージェの純粋さに、ライラは逆に赤面して「違うわ、あたくしは人食いなんてしないわよ」と必死に否定する。首をかしげるルリアージェに悪気はなく、見ていた魔性達はくすくす笑い出した。
鈍い主をもつと、恋愛すらままならない――苦笑いする最強の魔性が絶対に勝てない美女は、表情をふわりと和らげた。




