第69話 神を滅ぼす鍵の使い方
「随分あちこちで憎まれてるのね」
にこにこ笑いながら指摘する少女は、久しぶりに狐尻尾を揺らした。最近は人族の領域にいたため、水晶の耳や狐尻尾も隠していたのだ。本来の姿は主の受けがいいと知るライラは、目を輝かせたルリーアジェに抱き上げられた。
得意げな顔のライラをなんとか引っぺがしたいジルだが、強引な手法を使うとルリアージェに叱られる。葛藤の中、ルリアージェの後ろから抱きつくことで我慢した。首筋に顔を埋めて、ギリギリ肩に触れる銀髪に頬を寄せる。
「ジル?」
鈍いルリアージェは赤面するでもなく、「子供みたいだな」と笑ってジルの黒髪を撫でた。
「リオネルはどうした?」
「ちょっと野暮用」
首をかしげるルリアージェに絡みついたジェンが、シャーと音を立てて威嚇する。その視線の先には、新たな魔性達がいた。リボンやらスカーフ、様々なアクセサリーに至るまで青で統一した彼らは厳しい表情をしている。
布石は水の魔王自身が打った。初手をアーロンが進めた。ならば残る手を打つために、捨石になる覚悟を決める。すべては主君に仰いだトルカーネのために。
水虎のティルが尻尾を地面に叩きつけた。眷獣達は意外と好戦的らしい。敵意を感じたジェン同様、敵を威嚇する体勢だった。その背を宥めるように叩くパウリーネが、魔性達に視線を向ける。
「本当に敵の多い男だ」
呆れ顔のルリアージェに恐怖や嫌悪の色はない。ただ単に心から感心しているのだ。どうやってここまで敵を増やせるのかと……。ジルに言わせれば半分以上は、飛んできた火の粉を払ったら恨まれた状況なのだが、ルリアージェがそんな事実を知るはずがない。
「ええ?! トルカーネの奴が攻めて来た時は、リアもいたじゃないか。完全に逆恨みだろ。襲われたから撃退しただけだぞ」
「……そういわれると、そんな気もする」
確かに水の魔王を名乗る褐色の肌の少年が攻撃してきたとき、ジルは特に何か仕掛けなかった。突然襲われて、一方的に津波をぶつけられただけ。そもそも津波を起こした魔性の排除を命じたのは、ルリアージェ自身だった。
「酷いなぁ」
緊張感がないやり取りに、リシュアがくすくす笑いながら指摘した。
「皆様、あちらは準備万端のようですから……お相手してさしあげないと、かわいそうですよ」
結界の境目より上の水中に散らばる魔性達に、パウリーネが溜め息を吐いた。
「私とリシュアで応対すれば足りるかしら」
「あたくしだって、お手伝いくらいするわよ」
ライラが茶色の三つ編みを解いて応じる。ルリアージェに抱き上げられた腕の中から、名残惜しげに下りると数歩歩いて立ち止まった。ふわふわと癖がついた髪が魔力に煽られて踊る。
≪あたくしの敵を排除なさい≫
命じるライラの声が、精霊たちを動かす。海底が割れて隆起し、複数の魔性を飲み込んだ。割れた大地から溢れた海底火山の熱に焼かれ、海水までが牙を剥く。魔法を扱えても魔術に手が届かない魔性が、精霊の手で取り除かれた。
「これ以上減ると術が不完全になる」
クリフトが慌てて魔法陣を水中に描いた。水の魔王トルカーネに託された魔法陣は、本来スピネーかレイシアが預るはずだった。主君もそのつもりでいたし、周囲の側近達も納得していたのだ。しかし彼らは自らの意思を貫いて主と共に滅びた。
水の魔王トルカーネが復活するのは、数万年の長き刻を必要とする。ならば彼の主が復活した際に微笑んでいただけるよう、命と魔力を尽くして散るのみ。
魔法陣の中央に、銀色の小さな鍵を差した。理由は知らないが魔法陣に必要な鍵なのだろう。かちりと音がした魔法陣は色を変化させ、輝く金色の光が広がる。神々しく温かい光が海底を黄金色で満たした。
預った魔法陣による策で、今度こそ『魔性殺しの死神』を葬らなければならない。この魔法陣を展開するために必要な魔力を集めるため、2万近い水の眷属を結集させた。やり直しのチャンスはなく、一度で確実にあの男を消滅させるための……命がけの策だ。
「いい心がけだ。全力で来るなら受けてやる」
ジルはルリアージェに抱き着いていた腕を離した。ちらりと視線を送ると、さきほど精霊を駆使して数百の魔性を消したライラが下がる。同時にパウリーネとリシュアも移動して、ルリアージェを守れる位置で止まった。
準備は万端だ。
ふわりと浮いたジルが自らの結界をくぐり、外の海水へ身を浸す。黒髪を結んでいた紐が解けたのか、膝近くまである長い髪が水にゆらりと舞い上がった。
生き物のように揺れる黒髪が、ジルの身体に絡みつく。その背に黒い翼が2枚広げられた。霊力も魔力も満たされたジルの周囲が、水の色を変える。渦巻くように水がジルの右から左へ流れた。
巨大な魔法陣が頭上に広がる風景は、ルリアージェの目には幻想的だった。トルカーネが用意した魔法陣を下から見ていたリシュアが、小声で名を呼ぶ。
「ロジェ、乱しなさい」
魔力を含んだ命令に返答はない。だがリシュアは濃淡の瞳を細めて笑った。その口元の笑みに気付いたライラが肩をすくめ、結界の内側にもう1枚の結界を重ねる。
魔法陣に魔力が集められていく。1万以上の魔性や魔物が魔力を注いでは消滅していく姿は、星の輝きを見るような壮大さがあった。瞬きも忘れて見入るルリアージェが「儚いが美しい」と呟く。命が消えていくと気付かなければ、確かに美しい光景だった。
「我が君の御為に」
誰もが判を押したように同様の言葉を口にする中、真っ赤な髪の魔性が足元に魔法陣を描く。怪訝そうな顔をした仲間に嫣然と微笑みを向け、その魔法陣の範囲を拡大した。彼の赤い魔力に緑が混じり、不思議な色合いを作り出す。
リシュアの魔力を帯びた魔法陣を手に、ロジェは幸せそうに笑った。かつて水の魔王トルカーネに引き寄せられて従った魔性は、魅了されたリシュアの命令へ忠実に従う。己の名を呼ばれるだけで至上の喜びを感じるロジェは、転移してリシュアの後ろへ降り立った。
「ジル様」
リシュアの呼びかけに、囮となって連中の目を引きつけていたジルが動いた。左手に呼び出したアズライルの柄を魔法陣に突き立てる。長身のジルより大きな鎌は、死神の左手で鈍く光を弾いた。
「貴様っ」
「トルカーネの腰巾着にしちゃ上出来だが、最後まで付き合うほどオレは優しくないぞ」
魔法陣にヒビがはいり、集められた大量の魔力が暴走を始める。ロジェが重ねた魔法陣が、内側から魔力を放出してバランスを崩した。制御に必死になるクリストの背に、水虎が現れる。逃げ場を失った魔性の足元で魔法陣が砕け散った。
カシャンッ!
美しい、玻璃が砕けるような音が海底に満ちる。黄金色の光が散って、深い紺色の海水がぶわっと濁った。われた魔法陣から噴出した空気が、冷たい色の海に溶け込んでいく。
「終わりだ」
いっそ優しく聞こえるほど穏やかなジルの声。トルカーネの最後の意地が、泡となって地上へあがる。結界の内側にいたルリアージェの足元に、小さな銀色の鍵が落ちてきた。さきほどクリストが魔法陣へ差した鍵は、死神とその眷属、大地の魔女の3つの結界をすり抜けたのだ。
「危険だから触れないで……って、もう……リアったら」
注意したライラの声より早く、ルリアージェの手が鍵を拾い上げた。触れても何も起きない鍵を手のひらに乗せ、ゆっくり握りこむ。
「あんたは本当に運を引き寄せる体質なんだな」
感心しながらも気の毒がる口調に顔を左側に向けると、見覚えがある赤い短髪の青年がいる。ロジェより真っ赤な髪で薄氷色の瞳を細め、レンはルリアージェが握った鍵を指差した。
「それ、神を滅ぼす鍵だぞ」
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