第68話 水の魔王の意地
「八つ当たりなんて、醜くてよ。ティル、奴を捕らえなさい」
パウリーネが水虎を呼び出す。名前はティルに決まったらしい。今まで2匹だったが、統合したのか一回り大きな1匹が結界内を走った。ジルの結界を通り抜けて水中で飛びつき、アーロンの腕を噛んで引き千切ろうと頭を振る。
「パウリーネ、あの虎の名前はティルに決めたのか?」
「ええ。リア様の炎龍がジェンなら、似たような響きにしようと思いまして」
にこにこ応じるパウリーネだが、その間も水虎ティルは魔性に噛み付いたままだ。抵抗しようとティルを押し戻そうとしても、元が水なので通り抜けてしまう。しかし水の牙はしっかり腕に食い込んでいた。卑怯なくらいの強さを誇る眷獣を従え、パウリーネは嫣然と笑う。
役者が違う。まさに格の違いを見せ付けるように、死神と眷属達は飛び込んだ獲物を囲んだ。海底の水圧から自らを守る結界すら必要としない魔性達は、結界の内側へアーロンを引き入れる。
同時にルリアージェの周りに複数の結界が張られた。心配性のジルの結界の表面に沿わせる形で、リオネルの炎、リシュアの風、パウリーネの水が層を成す。海底に直接接する地面は、大地の魔女による守りが魔法陣の形で展開していた。
身体に添わせた結界にルリアージェは素直に「凄い技術だ」と感心しながら、魔性達の戦いを見上げる。
人族の魔術師であった今の彼女にとって、魔性同士の争いは日常茶飯事になっていた。本来は一生に一度遭遇するかどうかの珍しい事例が、これだけ目の前で繰り返されれば「ああまたか」程度の感想しか抱かなくなるものだ。これだけ狙われるジルの立場に、複雑な思いがあったとしても。
「腕を離しておやり、ジル様をお待たせてしまうわ」
他者の見せ場を奪ってしまうとパウリーネが呟くと、ティルは噛んでいた腕を千切って飲み込んだ。以前は透明だったが、今は曇りガラスのように半透明の姿だ。お陰で虎特有の縞模様もよく見える。
体内に取り込んだ腕を凍らせて砕き、含まれた魔力をティルが吸収した。食事と同じ原理だ。他者から切り離した魔力を同化させて、自らの魔力を増強する魔性や魔物の技だった。
パウリーネの薄い胸元に頭を擦り付けて甘えるティルを撫でていると、ルリアージェが近づく。
「触れても平気か?」
「ええ、問題ありませんわ」
「ティル、触るぞ」
しっかり声をかけてから、ルリアージェは視線を合わせるように屈んで手を伸ばした。触れると水の冷たさが伝わる。しかし通り抜けることはなかった。
「攻撃は通しますけれど、任意でティルが選んでいますわ」
不思議そうなルリアージェの態度に質問へ先回りしたパウリーネが説明した。攻撃は水として通過させるが、触れたり撫でられたりする際は身体をしっかり認識しているのだろう。
実際の虎のようにふわふわした毛皮の感覚はないが、代わりにひんやりと冷たくすべらかだった。何度か撫でると、心地良さそうに目を細めて喉を鳴らす。見た目はともかく、巨大な猫と言われても納得できる反応だ。
「可愛いな」
褒めると、ブレスレットの水晶が小さく振動する。どうやら主の言葉にやきもちを焼いたらしい。苦笑いして水色の水晶を顔に近づけて、小さく名を呼んだ。
「ジェン」
一瞬で顕現した青白い龍は、大きな蛇のようにルリアージェに絡みついた。嫉妬する蛇の諺を聞いたことはあるが、本当に嫉妬深い生き物だったらしい。緑から黄色へ流れるグラデーションの鬣は逆立ち、ゆらゆらと揺れた。
「そんなに怒るな。私の使役獣はお前だけだぞ」
頬ずりして嬉しそうに「キュー」と鳴いたジェンが、ようやく周囲の状況に目を向ける。海底の美しい風景をドーム型の結界で切り抜いた中、どうやら敵らしき魔性と相対している。ぶわっと鬣を揺らして、魔性を威嚇した。
「トルカーネもこの程度の配下では苦労しただろうな」
くつくつと亡き主を嘲笑うジルの態度に、アーロンは役割を忘れて激怒した。全力で目の前の黒髪の魔性へ水を叩きつける。色の違う水が刃となって押し寄せるのを、ジルは無造作に手を翳して留めた。肌に触れた先から水の精霊達が散っていく。
「今回は任せるわ。あたくしはリアの警護に回るから」
海底なのをいいことに、大地の魔女はさっさと戦線離脱を申し出た。力不足うんぬんを理由にして、大好きなルリアージェの隣に移動する。
「ズルイぞ!」
叫んだジルが「しかたない、さっさと片付けよう」と呟いた。呼吸も水圧も関係なく動けるのは、上級魔性ならば当然だが、リオネルは地上と同じように一礼して主に提案する。
「不要なゴミなら我々にお任せを。ジル様はリア様のお側でお待ちください」
「任せた」
興味を失ったと宣言したジルが、さっさと結界内に戻る。濡れた髪や服を魔法陣で乾かし、乾いた髪を一度解いて結び直した。その後姿を見送ったリオネルへ、リシュアが笑みを向ける。
「彼に関して、あなたは因縁がありましたね」
「譲ってもらえると有り難い」
リオネルの申し出に、リシュアは素直に数歩後ろへ身を引いた。どうぞと譲る姿勢をみせる。彼らの因縁は後から知ったが、自分には遮る権利はないとリシュアは考えていた。
かつて封印された大戦で、トルカーネへ奇襲をかけるリオネルの邪魔をしたのがレイシアとアーロンだ。
水⇒火⇒風⇒地の理で考えれば、水の魔王トルカーネに対するのは大地の魔力を持つ魔性が向いている。しかし当時はライラも敵に回り、地の魔王であるジルの父親は消滅していた。
次に対応できる属性を考えれば、風のリシュアだ。しかしジルにより戦線から遠ざけられたリシュアはおらず、同じ水のパウリーネは魔力量で魔王に劣る。
風と火の魔王を2人相手とった主君や、相性が悪いライラと戦っているパウリーネを前に、リオネルは最悪の相性であるトルカーネ達と戦った。
今思えば、敵の作戦に乗せられたのだろう。不利な属性になるよう、上手に調整されてしまった。それでもリシュアの手を借りようとしなかった主を、誇りに思いこそすれ疎む気持ちはない。
2人の魔王相手に堂々と勝ちを収めたジルは、途中で何を考えたか抵抗をやめた。封印の巨大な渦を目の前にしても、動こうとせず防がない。ならば諸共に滅びればいいと納得して従ったのだが……。
「……蒸発させたいくらい、憎んでいますよ。あなただけでなく、他の水の眷属すべてを」
固有の能力である影を出現させて、アーロンを飲み込んだ。己の得意な領域に引きずり込んで戦う気なのだろう。不利なはずの海底でも十分勝てる相手にここまでするのは……見せられないほど残虐な殺し方をするつもりらしい。
「……お気の毒ですね」
敵でも、いや敵だからこそ同情してしまう。手加減なしのリオネルと戦うなど、リシュアでもぞっとする。口で同情しつつ、満面の笑みを浮かべたリシュアは首を横に振った。
周囲を取り囲む水の魔王の眷属達の気配に、ジルは笑みを深める。どうやらトルカーネは自ら仕掛ける前に、罠を用意していたらしい。この海底を選んで転移させた魔法陣も、現在の海底に刻まれた古代の魔法陣も、どちらも会心の出来だ。
水の魔王として、自らの魔力のみで死神に勝てないと知っている彼が遺した最期の意地だろう。トルカーネが消滅すれば、復活するのは数万年単位の時間がかかる。配下にした眷族の魔性達は全魔力を投入して、与えられた役目を果たすはずだ。
補いきれない魔力量の差を、数で埋めようというのか。たいした策士だ。己の配下すべてを犠牲にして駒を打つなど……それでこそ魔王の名に相応しい。
ジルの口角が笑みの形に持ち上がった。
「最期の意地なら、正面から受けてやるよ」
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