9 ツキ呼び王女、策の終盤をうまくシメる
10/21 三話目の更新です。
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6月5日
なにかに追い立てられるかのように、荒地を走る魔獣車が数台。
その真ん中をゆくひときわ豪華な魔獣車の中で、バスディーヴ卿は両手で白髪頭を抱えていた。うるさいからと、ベティの口を塞いでしまったのが悔やまれる。
「だから勝負しちゃダメなんだってば! あのイカサマ女は、〈賭博の妖精マリー〉なんだからあああっ!」
ベティがそう叫んだのは、従者の手持ちの菓子が尽きて、勝負が終わりかけたとき。
マリエッタが最後の手投げ矢を放ったときだった。
人生の中で最高得点だったそれを軽々と抜かされ、バスディーヴ卿は呆然とした。
ずいぶん前に彼女の噂を聞いた。
何故すぐに思い当たらなかったのか。〈マリー〉だと堂々と名乗っていたのに。
おそらく、彼女のトレードマークと云われる金ドレスではなかったからだ。
「マリーは金色しかまとわない」「金ドレスを見たら警戒しろ」と、別の賭場で知り会った客の幾人からか、忠告を受けていた。
それが裏目に……知っていたなら、せめて、せめて賭け金ぐらい決めていたのに───
あと、イカサマでないのは、誰が見ても一目瞭然だった。
そして、信じられない金額を要求された。
「必ず払う、だが用意に時間がかかる」
そう言って、その場を離れた。
払うつもりなどない。払えるわけがない。皇帝の異母弟という立場でいくら羽振りがよいとはいえ、マリーが要求した金額は、実に彼の財産の半分。彼がもつ帝国の領地を手放さなければならない金額だ。
あまりのぼったくりように、周囲の客も唖然としていた。
彼女は去ろうとするバスディーヴ卿の背中越しに、こう言った。
「支払いは迅速にお願いしますわね。でないと利息が山のようにつきますわよ。ほら、そこの壁に、ちゃんと遊技場でのルールが貼ってあるでしょう? 敗者は支払いの延滞利息が一日一割増しであると。最近は踏み倒しが多いですからね。それを抑制するためにも設けられたルールですわ。知らなかった? いま知りましたわよね。大丈夫ですわ、まだ明日まで二十一時間もありますもの。ね? バス様」
悪魔だ、魔女だ、金欲の女豹だ。あんな女に捕まってなるものか!
まるっとむしられたベティの兄(豪商)の悲惨な末路を思いだし、彼は魔獣車を駆けさせる。途中で寝るためだけの宿をとり、翌日、また夜が明ける前に急いで出発させた。
現在、あまり使われないという国境門へと荒地を向かっている。あとはそこを通過するだけだ。
一旦、魔獣車を止め、従者が門番に通行手形を出すために降りると──どこに隠れていたのか、あっという間に百人近い軍隊に囲まれた。
彼らを従えているのは、豪奢な金ドレスに身を包んだ〈賭博の妖精マリー〉。
賭場での男を引き寄せるあの妖しさはなりをひそめ、のぼる朝日を背にした彼女は、妙に他を圧する威厳があった。
「約束も果たさず、どちらへ行かれるおつもりですの? ターナ皇帝の異母弟、バスディーヴ卿」
きれいな弧を描いた赤い唇から、その言葉は発せられた。
何故、自分の素性を知られているのか。
車外へと連行され、バスディーヴ卿は青ざめた。
すでに、己の護衛たちは数に押され降伏している。
「申し遅れましたわ、わたくしの名はマリエッタ・グラン・エッジランド。マリーは愛称ですの。あなたがサインしてくださった書類には、エッジランド国王印がありますから王家に対する誓約書となりますのよ。え? そんなの知らない? あらあら、遊技場でお酒を召し上がりすぎたのではありませんか? 約束を破られては王族としての沽券に関わりますのよ。やむをえませんので、卿の身柄を確保させて頂き、正式に帝国に対し苦情を申し立てますわね。心配なさらなくとも、お返事が来て処遇が決まるまで、ちゃんと快適なお部屋をご用意いたしますわ。なんといっても皇帝陛下の弟様ですもの」
いっきに淀みなく、彼女はそう告げた。
そこでバスディーヴ卿は、もうひとつの噂を思いだす。
あまりに荒唐無稽すぎて笑い飛ばしていたことを。夜毎の賭場で男から金を巻きあげる悪女〈賭博の妖精マリー〉が、〈エッジランド国の王女〉だ、などということを。
「まっ、待ちたまえ! 何故、帝国に交渉するのだ!? これはわし、個人の失た」
「まぁまぁ、王族は国の顔。貴方の言動ひとつでお国に泥を塗ることになるんですのよ? ハーレム付の豪遊もよいですけど、すこしは周りの目を気にしなさいませ。例えば、他国の王女を愛人にしようと無理やり賭けを仕掛けたなどと、物笑いの種ですわよ」
「賭けは合意の元ではないか!」
「勝負を挑んできたのは卿ですわ。挑まれれば、王族の矜持として受けるのは当然のこと」
「い、いや、わしはマリー殿が王女とはつゆ知らず……っ」
「あら、わたくし、これでも自国の賭場では有名ですのに。……そう、では、一介の女ならばと踏み倒すつもりでお逃げになったのね」
低い声音で問いただせば、彼は一歩おののくように後ずさりつつも、「逃げてなどおらん!」と否定した。
彼女は優雅に微笑んだ。
「それはよかったですわ。わたくしの勘違いで。きっと、お金を用意しようと、国境を越えようとなさったのですわね? でも、わざわざ卿が動かれることなどありませんわよ。そちらの従者にでもお命じになって、卿はゆっくり王宮でくつろいでくださいませ。あ、そうそう、長のご滞在になると、きっと奥様が心配なされますわね。手紙を書いて送りますわ。わたくしを愛人にしようとして賭けに負けたことを事細かに」
バスディーヴ卿は卒倒しそうになった。
彼の妻は恐ろしい。凶悪なる妻──凶妻と呼ぶべき女だ。
夫婦仲はとっくの昔に冷え切っているのに、多大な干渉をしてくる。
彼がこっそり付き合っていた愛人たちを嗅ぎつけ、物理的に排除する。
ただただ息子可愛さに。彼女の世界は息子だけで回っている。息子のものとなる相続権を、万が一にもよその女が生んだ子に奪われてはならぬと、その一念で。
相続は長子のみだから安心しろと、いくら説得しても聞きいれない。おかげで帝国内で彼は愛人を見つけることもままならない。黒い噂の絶えない凶妻の毒牙に、喜んで飛びこむ女はいないからだ。
外交官なので仕事の旅だと言ってあるが、これが愛人探しの旅だとバレたらどうなることか。せっかく、持ち帰り用にゲットした白肌の美しいご婦人たちを手放さなくてはならない。しかも、他国の王女を手篭めにしようとしたなどと知れた日には、今度こそ去勢しろと闇討ちに来る可能性が───
凶妻のやりそうな凶行を思いつき、バスディーヴ卿は震えあがる。
離婚したくとも、彼女は恐ろしく頭がいい。いや、彼女の兄であり、宰相である男の入れ知恵なのだが。愛人のひとりふたり殺しても何の証拠も残さないのだ。
「た……っ、頼む、妻に手紙はやめてくれ! 実は金もそんなに払えない!」
財産が半分も減ったら、凶妻が怒り狂う! 去勢が確実になる……ッ!
「そうですわね……では、こうしましょう。とりあえず、一日延滞した利息分に、そちらのカルナさんを〈譲って〉くださいな」
ホッとするバスディーヴ卿。
奴隷が珍しいのか、こんなもので莫大な利息が消えるなら安いものだ。
「分かった」
帝国外の国々では奴隷の売買は基本的に違法とされるが、譲渡を取り締まる法はない。
だれしも高い金で買った奴隷を、タダで譲ったりなどしないからだ。死にかけている場合や、あまりに役立たずな場合などは別だが、そういった者が帝国外に流出することはほぼない。法の抜け穴である。買わずに譲ってもらうならば違法にはならない。
その後の奴隷を、〈奴隷として扱わなければ〉──との注釈はつくが。
「隷属の契約書も渡してくださいね」
奴隷身分を解除するには、この契約書を破り捨てなければならない。
のちのち、譲ってないだのと、主人の権利を持ち出されないようにするために。
バスディーヴ卿は従者に命じて魔獣車から契約書をもってこさせ、マリエッタに渡した。
「奴隷ならあと十人ばかり使用人として連れている! それらでいくらか差し引いてはくれまいか?」
「わたくしが欲しいのはカルナさんだけです。彼女の手が生み出す芸術……あの素晴らしい刺繍に惚れこみましたのよ。彼女にはわたくしの服飾工房で意匠家として働いていただきますから。さあ、カルナさん、こちらへ」
事前に話を通しておいた彼女は頬を薔薇色に染めて、うれしそうに前に出てきた。マリエッタもにこりと微笑む。
カルナの特技を知らなかったのか、それとも興味がなかったのか。バスディーヴ卿は自分にぺこりと頭を下げて「お世話になりました」と、るんるん気分で去ってゆくその背中を呆然と見送っていた。
よしっ、ここからが本題ですわ!
「卿には、貴方のもつ権限で出来ることをお願いしたいわ。それで賭け金は相殺にして差しあげます」
彼は小じわの広がる顔をしかめた。それもそうだろう。彼の権限は帝国内でしか生かせないものが殆どだ。北国の王女が何を望んでいるのかつかめない。
「わしの権限で、とは……?」
「貴方の血族において、二十歳であるわたくしと四歳以内の年齢差で、なんらかの才能に秀でたまじめで浮気しそうにない男性を──お見合い相手として紹介してくださいませ」
「は? いや、それは、わしの子は三十過ぎておるし……」
「血族と言いましたわ。あなたのお兄様には五人の御子息がおられましたわよね」
「!」
マリエッタの傍に、うす緑のもさ頭をした青年がやってきた。
マリエッタは彼を手のひらで示して続ける。
「わたくしの代理として、こちらのアルデルドディフォンド・ノーラ・パズフィグスをお連れくださいませ。宰相補佐ですわ。拒否されるのでしたら申し訳ございませんが、国境を越えさせるわけにはまいりません。まぁ、負けた分の金額を、この場で全額支払って頂けるなら別ですけど。よくお考えくださいませ。何も貴方の甥っ子様たちのだれかを、結婚相手によこせなどと強要しているのではありませんわ。わたくしの絵姿と釣書と、わたくしの人なりをきちんと説明をできる彼を、紹介していただくだけでよいのです。甥っ子様たちが、わたくしを選ぶも選ばないも自由。それだけで莫大な借金がなくなりますのよ?」
まさかの小国の姫から、お見合いのごり押し。
バスディーヴ卿は、どこまでも高く青い空を見上げた。
皇帝の異母弟であるわしを脅し、帝国皇子を望むとは、なんという野心あふるる女豹か───
そうして、逡巡したのはわずか。彼は肯いた。
「よかろう」
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