2 ツキ呼び王女、善良に擬態した王子を退ける
本日、二話目です。
ベティと勝負をした。
使用したのは、初心者用の魔法ボードゲーム〈魔獣ジャングル〉。
ゲームに連動するふたつの魔法ダイスをふりながら、足した数を水晶の駒が自動で盤上を進んでゆくものだ。やり方はいたってシンプル。はやくゴールした方が勝ち。
途中、〈危険区域〉のマスに止まると、ダイスをふった側が異空間仕様のジャングルに強制召喚され、獰猛な肉食魔獣に襲われる。獅子の首と狼の首がくっついた六本脚のある魔獣だ。
事前に選んでおいた武器を使用して、次の次、のターンが来るまで逃げつづける。
魔獣に餌として捕獲され、巣に持ち帰られたらそこで負け。
魔獣の獰猛さがかなりリアルだが、このゲームで死人が出たことはない。多少のケガ人は出るが……。
「正々堂々勝負」などと紫の仔豚ちゃんは言っていたが、イカサマをしたのは彼女の方だった。先に〈黄金梟亭〉の下っぱ従業員を買収して、魔法ダイスに細工させたらしい。
偶数の目であれば奇数マスにある〈危険区域〉に止まることはない。
ただ、細工した従業員が途中からプレイヤーと誤認識された上に、ベティがダイスをふるとなぜか奇数マスにしか止まらなくなった。気の弱い従業員は魔獣に踏まれながら絶叫懺悔しつつ、彼を楯にして逃げた仔豚ちゃんのイカサマを暴露した。
これは高級賭場に通う常連たちには有名な話だが───〈賭博の妖精マリー〉に対しイカサマをすると、かならず途中で露見する。
だからこそ、〈あやかしの精〉と呼ばれる。
正直、彼女本人もなぜそうなるのかは分からない。
ゲーム終了後、ベティがマリエッタに飛びかかってきた。
すぐに護衛がとり押さえてくれたので、ケガをすることはなかったのだが。
「この化粧年増! あんたがイカサマなんかするから! あたしが同じことして何が悪いっていうのよ!」
周囲のあきれた視線もなんのその、彼女は悪態をつく。
「──ベティさん、貴方お歳はいくつ?」
その問いに、彼女はニヤリとぼってりした紫の口唇をゆがめた。
「十六よ、羨ましいでしょう! この厚化粧ババア!」
しかし、マリエッタはそれに笑顔を返した。
「それを聞いて安心しましたわ。世の中、持参金などなくとも、多少性格がよじれてても、多少アレなお顔でも、多少お肉がいらぬところにボテボテついてても、〈若い〉というだけで引き取ってくれる方もいらっしゃるから。でも今後は、こういった場所でお会いすることは二度とないでしょうね。ごきげんよう。あ、ちゃんと今日中に支払いは済ませてくださいませね。ぐたぐだしてると利息が山のようにつきますわよ」
「なん……っ」
「ほら、そこの壁に、ちゃんと遊技場でのルールが貼ってありますわ。敗者は支払いの延滞利息が一日一割増しであると。最近は踏み倒しが多いらしいですからね。それを抑制するためにも設けられたルールですわ。知らなかった? いま知りましたわよね。大丈夫ですわ、夜間営業の銀行窓口がありますから、今すぐ行けば何の問題もありませんわよ。──夜道が怖くて一人で行けない? 心配なさらずとも、うちの護衛を貸してさしあげますわ。大金でしょうから二人は必要ね。ささ、いってらっしゃい」
そうして、ベティはわめきながら二人の護衛に引きずられて遊技場を出て行った。
「あぁ~、疲れたわ……」
遊技場を出てよく手入れされたちいさな中庭をぬけて、〈黄金梟亭〉の宿へと移動したマリエッタ。
予め宿泊していた部屋で、同行していた侍女にドレスを脱がしてもらうとお風呂にはいる。
ベティ・シャロンドが持参金をもって逃亡しないようにと、常時連れている五人の護衛のうち二人に、マリエッタ直筆の手紙をもたせて銀行に向かわせた。
夜間でも開いている王族や貴族、商人のためのお得意様専用窓口があるのだ。
そこで彼女からの賭け金を回収させる。今時の豪商の身内なら、すくなくとも金貨八百枚から千枚ほどの結婚持参金はあるはず。これについて同情の余地はない。
ベティは踏んではならない虎の尾を踏んでしまったのだから。
〈売女〉のことではない。〈厚化粧〉のことでもない。たしかに、王女である自分に対し問題はないとは言わないが、それよりも、さらに、マリエッタが常から非常に気にしていることを口走ったのである。彼女の持参金を標的に決めたのも、それ故だった。
実はあのあとも、ちょっとしたトラブルがあった。
あの三ダメンズのひとり、金髪のヒモ男がちょっかいをかけてきたのだ。
化粧室帰りの回廊で、庭のしげみに引きずられかけた。マリエッタが吹いた呼子で、飛んできた護衛に背負い投げされた彼は気を失い、のち、やってきた警備の者が連行していった。
彼は二度と、〈黄金梟亭〉に足を踏み入れることはできないだろう。
お風呂から上がり夜着をつけてガウンをはおり、侍女が運んできた紅茶を飲んで一息つくと、卓上にたばねられた書類を手にとる。
近隣諸国の王族と有力貴族からきた、マリエッタ宛の釣書だ。
それに合わせて、こちらが調べさせた調査書がそれぞれ添付されている。
国内の有力貴族はすでに当たってはみたものの、すべてダメだった。
なぜなのか。はたから見れば金運は超良好、好き勝手にわが道をゆき人生順風満帆とも思える彼女だが──男運だけは非常に悪く、この歳まで婚約者はおろか、恋人すらできた試しはない。
王女なら婚約者ぐらいいるものだろうと思われるかもしれないが、親に薦められて受けた国内でのいくつかの見合いも、ろくなものではなかった。
それも事前に、信頼できる者に調査させたが、調査書通りダメダメだった。
どうも〈賭博の妖精マリー〉の名が一人歩きしているせいで、変な憶測を抱かれているらしい。〈イカサマ賭博の女王〉だの〈金のなる木〉だの〈金欲の女豹〉だの……まぁ、ほかにも聞くに堪えない異名がいろいろと。
そういった王女に対するには失礼過ぎる言葉を鵜呑みにしているのである。
マリエッタには未婚の姉妹が三人いる。各々、すでに婚約者持ちだ。あろうことか彼女たちを引き合いにして、見合いするならあっちがよかったとか言いだす始末。
自分が〈ふつうの王族の女性〉とはちがうのだと、悟るよりほかない。
とりあえず、そんな無礼な輩にはそれなりの報復をしておいた。
王族の権力を使ったわけではない。彼らが踊らされた〈うわさ〉の恐ろしさを身をもって体験してもらうべく、彼らの秘密をこっそりばらまいてやっただけである。
本来なら国王の命令でしか動かない王家の諜報員だが、あまりに財に恵まれすぎて危険に身をさらすことの多いマリエッタにだけ、父は二名ほど彼女専用に融通してくれた。
それが八年前のこと。今では、よそからスカウトした子供を最初の二人に教育させて、十人ほどに増えている。そういった彼らの暗躍で集めた秘密をばらまいたのだ。
職権乱用? 何とでも。
その結果、領内のきれいな女性を片端から食いまくって捨てたあげく、領民らの暴動にまきこまれて寝たきりになった悪政の伯爵や、汚職で実家を追われた次期侯爵とか。
政敵を殺したことがバレて国を追われるはめになった聖殿幹部とか。
公爵家次男が実は産婆による取替え子でまったく貴族の血を引いておらず、姉への暗殺未遂がバレて、真実を知った公爵によっていずこかへ処分されたりとか。
マリエッタは国内で縁談は望めないと、国外へと目を向けることにしたのだ。
エッジランド国はクレセントスピア大陸の北部にある。プルートス大山脈に隔たれた北方諸国十二ヶ国のひとつ。十一ヶ国を属国として従えるキャラベ軍国と、自国を除いたのこり十カ国の王族と有力貴族を五家にしぼって調査させた。
国内での婚姻相手が見つからない時点で、父王が方々に打診してくれた結果、釣書は山ほどきたのだが………
「どいつもこいつも……」
王女らしからぬ悪態をつきながら、山のような調査書を次々めくってゆく。
はた、と手が止まる。
その一枚の調査書と釣書を抜きとり、わなわなと手をふるわせる。
「……このっ、抜け抜けと……ッ! ディド!」
これらの書類をもってきた本人に声をかける。
目の前にいるはずの男は、返事もせずにつっ立っている。
もさっとした収拾のつかないうす緑のクセ毛がのびすぎて、顔の上半分を隠している。
つまり、目元が見えないのだが。口のはしに光るものを見つけ、マリエッタのこめかみがひくつく。
「ディド……ディ……! アルデルドディフォンド!」
ばしっ
とじた扇子で思いっきり頭をはたかれ、ハッと彼は息をする。
「あ、はい! どうしました? 何か問題でもありましたか?」
よだれを手の甲でさっと拭きつつ、返事をする。
「主家の姫に報告中、居眠りするのが問題ないとでも!?」
「いや、だってもう午前三時ですよ? 王様だって寝てらっしゃる時間ですよ? それに僕、他国に渡らせた者から受けた調査をまとめるのに、ここ三日ほどろくに寝てないんですから……」
「デスクワークごときで根を上げるなんて、それでも宰相補佐なの!? もっと体力作りをしなさい! それより、何故、あのヘンタイ王子の釣書が混じってるの!? 受けとり拒否だと言ったでしょう!!」
うす緑のもさ頭をかきながら彼は答える。
「王様の打診に応えてくれた方なので、一応は受けとらないと国交問題になりますから……」
「お父様には、〈あの時〉のことを報告しているのだからいいのよ!」
「いや、……でも、あんなのでも、一応はゾーン国の第一王子なので、あまり粗略にあつかうと王様が困ることに……」
ゾーン国の第一王子。三ヶ月ほど前、賭場でのお酒に眠り薬を仕込んだ張本人だ。
東端の国にあるエッジランドから四つの国をはさんで西端に位置するゾーン国。
彼は、近年、華やかに変わっていった王都グライヒルを視察に来たのだ。
接待のために開かれた晩餐会では、マリエッタが芸術家支援していることを、やたら褒めちぎってきた。
なんだか気持ち悪かった。席が近かったのだが、その時々の視線とか、しゃべり方とか、指先の動きとかが。腐った果実が粘ついて糸を引く、そんなものを感じた。
マリエッタの体型は非常にグラマーだ。だから、こういった手合いはこれまでもよくいたが……何かこう得体の知れない悪寒がざわざわして、常にないほどの身の危険を感じた。
その勘は当たっていて、庭での散策中にわざと足をかけて転ばされた上、介抱するフリをしながら腰をなで回し、お姫様抱っこで客室に連れこもうとしたので、耳もとで大悲鳴を上げてやった。
すこし前に、不審な物音を調べるために傍を離れていた護衛たちがもどってきたことで、ことなきを得た。
今後、この王子とは接触しないことに決めた。
彼のために行われた舞踏会やらお茶会は、ことごとく仮病を使って欠席し見舞いもお断りした。姉妹に聞いたが、彼女たちとはいたってふつうに接してるようで、気持ち悪いと感じているのはマリエッタだけのようだ。
そのときは、宰相補佐ディドですら、「気にしすぎでは」と首をかしげていた。
つまり、アレはマリエッタ以外には、善良な王子に擬態しているのだ。
そのうち妹にくっついて見舞いにくるようになったので、テラスから降りて庭に隠れたこともあった。脱走したのがバレて庭を探していたようだが、さすがにくさい肥料小屋には近づいてこなかった。お風呂を用意してくれた侍女長には呆れられたが、庭をものすごい形相で探している王子を見て、マリエッタの心情を察してくれたらしい。
「あんなとって食いそうな顔つきで探されてはねぇ……あれでは百年の恋も醒めますわ」
最初は「素敵な王子様」と絶賛していた侍女長だが、思いがけない王子の一面を見て考えを変えてくれたようだ。
その後は、妹といえど何かとうまく理由をつけて追い返してくれるようになった。
しかし、今度は王妃である母にくっついて訪問してきたので、侍女長ごときでは止められない。
マリエッタは庭をつっきって魔獣舎へ駆けてゆき、そこから鞍のない魔獣にとび乗って、王城から近い貴族街へと駆けた。マリエッタが支援する芸術家たちのために建てたアトリエ館に向かって。
突然の訪問に、彼らや使用人は驚いていた。
運動音痴の姫が魔獣の背にはりついて、ふり落とされそうになりながら庭に飛びこんできたからだ。館の魔獣舎番がなんとかその暴走を止めてくれた。
「匿って!」と頼み、館内に逃げこんで数分後、かの王子がすごい勢いで魔獣を駆って門を蹴やぶり庭に乱入してきた。
だが、玄関先で芸術家たちの懐柔に失敗した彼は、おとなしく帰っていった。
ただ、二階の窓のカーテンのすきまから、マリエッタがそっと覗いているのを知っているかのように──帰りぎわにこちらを見上げているのには、ゾッとした。
一週間が過ぎ、王子は帰国のために王宮を去っていった。マリエッタは安堵した。
さらに一月が過ぎて、そんなことがあったことも忘れかけたころ、久々に出かけた王都の高級宿〈貴人の黄昏亭〉の遊技場に──彼はいた。
すぐには気づけなかった。
彼はリドットと呼ばれる、顔の上半分を鳥のくちばしがついた白い仮面で隠し、すその長い黒頭巾で特徴的な水色の髪をおおっていたからだ。
貴人の素性を隠すためにも、リドットを用いる賭場は多い。
それにまぎれているかもと警戒はしていたが、このとき、大口の獲物を捕らえた直後だったので、気分も高揚し隙ができたのかも知れない。
彼は声が出せないからと、お付の者を介して会話した。紳士的で気さくな感じを受けたので、うっかり勧められたグラスから一口飲んでしまった。とたんに視界がぐらり。
うすれゆく意識の中で、仮面をはずした王子の不気味にゆがんだ笑みが見える。
倒れこんだ体を支える王子の手が胸をはって……というのも生ぬるい。
思いっきり鷲掴みされた。そこで意識がすぱんと断ち切れてしまった。
本日、あと一話、投稿します。