好奇心は猫を殺す 後編
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「そこで目にしたものは……」
僕はキーボードを叩く手を止め、大きく息を吐いた。
「ここまで書いておいてなんだけど……なんだこれ、駄作にもほどがあるだろ。面白い要素がまるでないぞ」
完成間近な自作の小説を前に、僕は悪態をつく。
「これでオチが101号室と102号室と同じように、201号室と202号室も繋がってて、お婆さんが202号室に何年も前から孫を監禁し続けてるってんだから駄作に輪をかけてつまらないな。壁の音の意味も解決してないし、出すだけ出して謎を放置ってのもなぁ……」
今書き上げていたのは、いつも投稿している小説サイトで夏のホラー企画なるものが行われていたため、たまには参加してみるのもいいだろうと創作したものだ。
その内容は小学生の自由作文にも劣るほど幼稚なもので、順序を追って簡単に説明すると、主人公の青年が幽霊の存在を頑なに信じないのは、地元では自他共に認める悪であり、逆らう者は殺しをいとわないほど容赦をしなかったため、周囲からは恨まれ、呪い殺したいと思っている連中がいるであろうことは理解しているが、一度として悪霊となってまで姿を現す者などいなかったという経験から。
しかし、その残忍な性格から家族からも疎まれ、同じ趣味を持つイチマルニから空き部屋の知らせを聞いて、両親に別れを告げて殺害、金目になりそうなものを集めて家を出たというものだ。
そしてたどり着いた裏野ハイツで203号室の住人となり、仕事と称して周辺に出向いては、その日の獲物を探す殺人鬼。このあたりで行方不明者が出ているというニュースも、主人公がこの街にやってきたことから始まっている。
あとは説明しなくてもわかるだろう。
駅前でその日の獲物に目をつけた主人公が殺しを終え、殺した者の所持金をその日の収入に、体は――食べるために持ち帰っている。
帰宅後すぐに風呂にしているのも、洗っているのは手に入れた食材ってわけだ。そこから自動的に冷凍庫の位置が何故そこなのかの意味もわかるに違いない。
最後は壁を叩かれると婆さんに告げたことで、202号室の秘密に感づかれたのではないかとした婆さんが主人公をも捕まえようと訪ねたものの、202号室に踏み入れた主人公が婆さんの本質を知ったことで、自分の正体を明かして終了させるつもりだ。
つもりなのだが、果たしてホラーとしての恐怖は成り立っているだろうか。類は友を呼ぶとはよく言ったもんだが、身近なところに殺人鬼たちは身を潜めているかもね、なんてオチで誰が怖がるだろうか。
「無理矢理にでもホラーっぽくしようとして外した感が自分でもすごくわかる。特に主人公に食人設定まで持たせたのが酷いな。仄めかす感じでぼかしてるからまったく怖くない。付け足さなくても問題ないってのが一番の問題だ」
ただの殺人鬼でよかったはずだ。ホラー要素を高めようとしてカニバリズムを持ち出すなんて安易すぎる。つまらなさを加速させているだけだ。
第一、余計な要素を付け足したせいで、一般向けでなくなっているではないか。
「カニバリズムってだけでR-18に該当してたりしないか、これ。確か投稿規約だとR-15までだよな……。克明に記述しなくてもアウトだったりするんじゃないのか……?」
僕は検索サイトでR-18に抵触していないか確認するために文字を入力しようとして、
「そういや、公式設定で隠された部屋を作っても良いとはあったけど、秘密の通路って良いのか? ……これもアウトな気がしてきたぞ」
新たな問題の浮上に頭を悩ませる。
「公式に問い合わせてみるか? でも、何を書こうか迷ってる間に引越しだなんだと投稿期限も迫ってるしな……」
返事を待ってる間に企画が終わってました、では笑い話にもならない。
かといってこのまま提出すれば、削除という現実が待ち構えている可能性がある。
「……まあ、その時はその時か。消されたら消されたで、良い記念にもなるさ」
面倒臭くなった僕は考えることをやめた。
どうせいつも投稿している小説のように、誰も読みはしないだろう。突っ込みどころ満載な内容でさえ、突っ込む者がいなければ問題はないのだから。
R-18に抵触したせいで削除対象になったとしても、それはそれで笑い話として使えるかもしれない。
「そもそもの問題として、これってホラーとして成り立ってるのか? って方が問題か。どちらかと言うと、ミステリーかサスペンスのような気も……」
考えれば考えるほど、新たな問題ばかりが浮き彫りになってくる。
「うーん。ホラーとミステリー、サスペンスの線引きってなんだろ? 投稿する前に一度調べておいた方が良いか」
ホラー企画であるにもかかわらず、まったく関係のないジャンルを投稿していましたでは、投稿できるかすら危うい。
僕は検索サイトで再び文字を入力しようとして、
「……やっぱやめとくか」
その手を止めた。
もしも定義から外れていた場合、今日という1日を無駄にしたことに他ならない。せっかく作り上げたつまらない小説も、提出ができないのであればただのゴミになる。それだけは勘弁願いたい。
「投稿サイトで夏のホラー企画やってたからって、気軽に手を出すもんじゃないな。引越し先の物件と間取りが一緒だったから何か書けるだろうと思ったけど、結局何も思い浮かばなくて他の住人を勝手に登場させてしまっただけだしな」
実のところ、僕がこの部屋――203号室に引っ越してきてから、まだ3日しか経っていない。物語の中では実際とはかけ離れた性格の自分を主役に仕立てた上で1ヶ月なんて盛りに盛ったが、現実には住人たちと軽く挨拶をすませた程度の間柄だ。もしも書き上げた小説が本人たちの目に入ったならば、苦情が殺到すること間違いなし。最悪、人殺しの嫌疑をかけられて通報されかねない。
実際にはたった3日で集められた住人の元情報を整理しておくと……。
101号室と102号室の二人が兄弟だとは聞いているが、僕とはそこまで親しい間柄ではない。
兄の101号室の住人とはにこやかに挨拶を交わすが、その程度だ。102号室の弟にいたっては、無害であることを示したかったのか、年末の2日間は留守にしているという情報を兄がこっそり教えてくれただけで、普段はカーテンを閉め切っていることから、何をしているかも知らない。勝手な想像だが、おそらくは年末に開催される同人即売会にでも行っているのだろう。普段カーテンを閉め切っているのも、103号室にいる健全な男の子の目に触れないようにしているに違いない。
もちろん、今僕が住んでいる203号室を紹介してくれたという事実はないわけだ。
103号室の家族も穏やかな夫婦で、旦那さんが仕事に行っている間に奥さんはパートに出ているが、その間、子どもを放置しているという事実はない。昼間は近くの幼稚園に預けているし、送り迎えにも遅れたことはないそうだ。男の子も聞き分けの良さからも、育ちの良さがわかる。僕の子どものころと比べると、雲泥の差と言っても過言ではないね。躾もよく出来ているに違いない。
201号室のお婆さんに至っては、一人暮らしで大変だろうと、2日続けて夕飯の差し入れをもらうなど良くしてもらっているというのに、準主役に持っていこうとしたせいで、逆に酷い扱いになってしまった。気さくなお婆さんでも、この小説を読んでしまっては怒り狂うかもしれないな。
お孫さんの写真も、十五年ほど前に息子夫婦が事故で他界した時から持ち歩いていると聞いているのに、ネタにしてしまって申し訳ないほどだ。
今朝挨拶した時は202号室の住人に壁を叩かれる話を振ってしまって、怖い思いをしていないだろうか。どこか怯えているように見えたから心配だ。
小説のネタにできないかと、好奇心からいろいろと質問を繰り返したことを謝らないとな……。
そうだった。この小説を書こうとした、そもそもの動機が202号室だった。
盛りに盛った住人たちの設定の中、ただ一つだけフィクションでない部分があるとすれば……202号室の住人だろう。
どういうわけか、朝に壁を叩かれたのは事実で、これが本当に謎。
この部屋に引っ越して3日目の今日。夜を明かした数は2日になるわけだが、昨日、そして今日と、2日連続で壁を叩かれている。
昨日は引越し疲れから鳴り止むまで起き上がる気力もなかったが、2日連続で壁を叩かれた今日、小説のように、とはいかなかったが、恐る恐る壁を叩き返してみたわけだ。
すると壁を叩く音は止まったわけなのだが、怖いものは怖い。苦情を入れる勇気もなかった僕は、庭で掃除をしていたお婆さんに、何か知らないかと相談を持ちかけてみた。
しかし、結果として何かを知ってそうな素振りを見せたお婆さんにもわからないと逃げられてしまったので、今も不明なままだ。もし明日も壁が叩かれたなら、一度不動産屋に相談してみるのもいいかもしれない。
「お婆さんも、202号室のことを何か知っているなら教えてくれば小説だってもう少しは面白く……じゃなかった。こっちだって何かできるかもしれないのにさ」
物語を作る能力のなさを棚に上げてお婆さんに愚痴をもらしてたところで、あまりの家賃の安さに加え、前の住人が回線撤去を行わなかったおかげですぐにネットが開通すると聞いて飛びついてしまった自分のせいであることに変わりはない。この部屋でこれといった異変が起こっていない以上、まさか本当に隣人が幽霊でないことを祈るばかりだ。
「……そういえば、あの壁を叩くリズムってなんか引っかかるんだよな。どこかで見たか、聞いたような……なんだったっけな」
今も耳に残るリズム――トントントン、トーントーントーン、トントントン。
音楽的センスがまるでない僕は、音ゲーに手を出したことはない。
なら、どこかで知り得たとすれば、友人か、もしくはテレビ番組で……。
「ああ、そうだそうだ、漫画で使ってたんだ。確か……モールス信号だっけ? たった2つの符号で文字を作れるんだよな……」
友人やテレビではなく、昔呼んだ漫画だ。確か、牢屋に捕らえられた囚人たちが看守に気づかれないよう、脱獄のための連絡を壁越しにやり取りをする、という内容だったか。
「物は試しだ。調べるだけ調べてみるか」
小説であったように、今朝方お婆さんに『好奇心は猫を殺す』という意味深っぽく聞こえることわざを口にされたが、音の意味を調べるくらいで死ぬはずもない。
再び好奇心をくすぐられた僕は、開きっぱなしになっていた検索サイトで文字を打ち込み、モールス信号の一覧を見られるサイトを訪問する。
「……うわ、難しいな。この中から文字を繋げて見つけ出すのは素人には無理じゃないのか? カタカナのクで始めれば良いのか? それとも数字の……3? 繋がりそうなのは……ラ、レ、ラ? ラ、ソ、゛? どっちも単語にならないな。どっか別の国から来た人が住んでるのか?」
壁を叩かれる音。そのリズムを頼りになんとか文字を繋げてみようとするが、どうもうまくいかない。漫画を読んだ時は疑問にも思わなかったが、あの囚人たちはよく使えたものだと感心する。
「だとしたら、アルファベットで調べた方がいいのか」
海外との交流が進む昨今、ないと断言できるものではない。そこで僕は和文符号ではなく、欧文符号で調べてみることにした。
「トーントーントーンはOになるな。ならトントントンは……お、僕が叩いたリズムはアルファベットのRになるのか」
単語をAから順に追っていき、いとも簡単にOにたどり着いた僕は、次の文字を探そうとして小さく笑う。目的のものではなかったが、自分が鳴らした壁の音の文字を見つけては気分が良い。
「へえ、Rは『了解』としての意味もあるのね。……ん? だとしたらやっぱりモール信号であってるのか? 向こうの要求に対し、僕が了解と返したから壁を叩く音が止んだって可能性も……」
偶然にもほどがあるが、だとすれば辻褄も合う。なんだかそれらしくなってきたなと笑う僕は、再びモニターに映し出された文字列とにらめっこを始めた。
「Rの次はSっと、その前に目薬でも使うか。小さい文字列だから目が痛くなってきた。文字が霞んでよく見えない……って、やけに暗いと思ったら電気もつけてなかったか」
小さい文字列を見続けていたせいで疲れたのか、僕は霞む目のせいで現実へと意識を引き戻される。
朝から時間も忘れるほどに集中できたおかげで小説は間に合いそうだが、空腹に加え、部屋が真っ暗なことにも気づかないほど集中して出来上がった作品があれでは情けない限りだ。答え合わせはあとにして、とりあえずは休息もかねて夕食にでもした方が良いだろう。
僕はもう少し物語をうまく作れるようになりたいと思いつつ、今日だけは肉を食いたくないなと立ち上がり、部屋の電気を点け――
ピン、ポーン。
点灯とほぼ同時に鳴ったインターホンの音に玄関へと視線を送る。
「タイミングが良いのか悪いのか……こんな時間に誰だ? と聞くのは野暮ってもんか。またお婆さんが夕飯のおかずを持ってきてくれたのかな? ……ああ、やっぱりお婆さんだ」
僕は小走りで玄関へと駆け寄り、そこで扉にある覗き窓からお婆さんが後ろ手に何か持っているのを確認し、
「今開けますね」
想像した通りだったと、外に向かって声をかけて扉にかかるチェーンを外して鍵を開ける。
いつももらってばかりでいささか気が引けるが、お礼に壁を叩く音のリズムがモールス信号かもしれないことを教えてあげても良いかもしれないな。最後まで確認はできなかったが、たとえ違ったとしても、それをきっかけに仲良くなれるかもしれない。
そう考えた僕は、お婆さんを招き入れるために扉を開放した。
「こんばんは、今ちょっといいかい?」
「もちろんです」
こうして僕は、202号室の住人となった。