私の猫町紀行 「恋林マーケット」の思い出 小夜物語 第55話My cat town account of a trip
前説
廃墟、、というのは独特の魅力?を放っています。
その無人のぽっかりした異世界・異空間性がある種の人々をひきつけてやまないのでしょうね。
だが、そんな廃墟ではなくって、もっと身近にも「異空間」はあるのです。
それが「猫町」です。
萩原朔太郎は、ある日、見慣れた街を歩いていると、ふっと、変な横町を見つける、
で、つと、そこに入ってみると、そこは、なんと「猫町」だった。
猫が住んでいる町で、まさに町中の隠れ里です。
この散文詩とも、小話ともいえる短篇に魅せられた人がいました。、
つげ義春です。
彼は10代の時にこの短編を読み、旅行好きの彼はその後、とある街を旅していたとき、
やはり変な?町(というか隠れ里)を見つける、。そこはひなびた少女がゴム跳びをしていたり昔風の老女が農作業していたり、、そう、まさにあの「つげ義春」の漫画(劇画)ワールドそのものだったのです。この辺のことは彼のつげ義春の「猫町紀行」を是非お読みくださいませ。
でもほかにも、
こういう町中の異世界譚、ってけっこう、まだありますね。
私の大好きなアニメ、「笑ゥせぇるすまん」藤子不二雄作、の挿話にもこの手のお話がたくさんあります、
例えばいかにも不可思議な下町にぽっつりとある、あの奇怪な骨董屋(変奇堂)が出てくる、「怪しいアンティークドール」とか
幻想の懐かしい古き良き日本の原風景の田舎が出てくる「谷間の灯」とか、まだまだこれ以外にも
「笑うセールスマン」には、幻想の「猫町系」のお話がいっぱいですよね。
さて前置きが長くなりました。
実は、、
私にもそんな町中の「猫町」の思い出があるのです。今日はそんなお話をご披露したいと思います。
私にしか語れない物語がある。それは遠い消え去った故郷の原風景。
今はもうどこにもない異空間世界。
今、もし?私が語らなかったら、それはなかったことになってしまうような物語。
だから私にそれを語らせてくれないだろうか?
語りたいんだよ、
だってもし私が語らなかったら全部なかったことになってしまうんだよ。
そんなのって私は我慢できないんだよ、
確かにこれらの人々は生きていたし
痛みもその体に感じていたんだよ、
でもあまりにも無名の十パひとからげの庶民だから
まるで最初からいなかったかのごとく
記録からも抹消されて消えてゆくだけなんだよ、
だから語らせておくれよ。
だって私はもう老い先が長くは無いんだよ、
できるうちに
手が動くうちに
ボケないうちに
どうか語らせておくれよ。
この人たちには確かに生きていたんだよ、
無名の庶民で名もなき人々だけどね、、。
え?
それで、、、どういう人たちだったかっていうのかい?
そうかい、、、じゃあ聞いてくれるんだね?
じゃあ思い出の糸を手繰って語ってみようかね?
「恋林マーケットの思い出」 小夜物語 第55話
昭和28年。まだ戦後の余韻がそこはかとなく残るころの時代、とある田舎の県の地方都市の町中に、割と大きな神社がありました、そこの神社の境内の裏に続く、敷地の雑木林つまり裏参道には「恋林マーケット」がありました。
え?『恋林マーケット」?って何?
、これから、。順次、、説明しますから、まあ慌てないで、、少々、お持ちくださいね。
さて、雑木林、、と、書きましたが,まあ言ってみれば、裏参道というか、神社付きの公園というかそんな感じの場所ですね。神社の周りはもう市街地でして、家がたて混んでるんですよ、そういうまさに、町中に、そうですね。まあ雑木林風な神社がぽこっとそこにあるということです、
表参道はおよそ50メートルくらいで石が敷いてあってまあごく普通の参道です。参道沿いは街路樹が植わってます。さて裏参道は、、というか別にこれが裏参道ということが決まってるわけじゃなくって、まあ何となく原っぱ状でして小灌木もあって、幅、10メートルほど長さは100メートルほどの細長い土地なのです。これが本来の裏参道の姿でした、が、、そこに終戦後あっという間に「恋林マーケット」があれよあれよという間に、できてしまったのです。
さて、、
幸いその都市は空襲もされずに無傷でした。さてその地方都市、、仮にB市、、とでもしておきましょうか。人口10万くらいのまあ田舎では大きな?市でしょう。(まあ、、仮称、A市でもC市でも別にかまいませんが、、)
地方の貧しい、B市のあるような田舎の県からは、戦前、、満蒙開拓団で夢と成功を求めて?大陸に渡った人も多くて、
それが、ご存じのとおり敗戦で命からがら日本に戻ってきたわけです。
しかし、彼らは日本での家屋敷一切を売り払って、出て行ったのですから故郷へ戻ってきても
帰る場所などなかったのです。
そこで彼らは、このB市のこの神社の境内の裏一帯の、言わゆる裏参道沿いに
バラックを立てて勝手に、住み着いてしまったのです。戦後間もなくのことです。
まあ今風に言えば「不法占拠」ですね。神社の表の参道はきれいで?こんなバラックなどはなにもありませんよ。
神社も時節柄?仕方ないというか裏参道だしということで?認めていたということでしょうか。
詳しい事情は私には不明ですよ。
そうした平屋のバラックがやがて次々に引き上げ者によって狭い、裏参道沿いにいくつもつくられて、
やがて昭和28年ころにはちょっとした「路地裏横丁街?」に成長?していたのでした。
びっしりと立て並んだバラックのうねうねとした家並は一種異様な景観を形成してまさに今風に言えば「異世界ワールド」そのものでしたね。
細い裏参道は幅2メートルもないでしょう。その細い道に沿って平屋のまさにバラック小屋の商い屋、一杯飲み屋。いっぱい飯屋。大陸仕込みの中華食堂、ちょっと怪しそうなバー?とか、連れ込み屋?などもあったようです。
飲食店、乾物屋、惣菜屋、菓子屋、喫茶店、メジロを売る小鳥店、などもありました。ようするにここに来れば日常の生活用品一切が賄えるという、でもなんか怖いような怪しい店ばかりでしたね。
というのはやがてこうした闇市街を仕切るやくざがどこからか流れてきて?ここを根城に、君臨するようになったからです。
昼間から薄暗いこの「恋林マーケット」には子供などは恐ろしくて近づけるはずはありませんでした。
夕暮れともなると、狭い道筋には赤ちょうちんがともり、より一層怪しげな雰囲気に、
その細い道はバラックの平屋の屋根の破風が突き出していて、より狭苦しくて、
バーの戸口からは厚化粧のオネーサンが手招きをする、。
そんな闇市ムード全開の「恋林マーケット」だったのです。
神社はその後、やがて地代を徴収して貸地?ということでしぶしぶ?認めたようですがね。
ウナギの寝床みたいなこの、うねうね、、くねくねした、細道の両側には、怪しくて怖い?異世界のバラックの何を商ってるのか不明のような店が続いていたのです。
まあ
今次大戦の終戦後には、外地からの引き揚げ者は多く、日本各地で引揚者が町の焼け跡や、神社の境内などの空き地などの土地に不法に建てられたバラックが多数に上ったのです
。言わゆる闇市という商店街も、こうした引揚者のバラック街にその起源をもっていますね。そういう闇市から発展した今も続く商店街として有名なものには、アメ横、秋葉原電気街、新宿ゴールデン街などがあります。当然地方都市にもその手の引揚者のバラック街の商店街(闇市)が各地に雨後のタケノコのように乱立したのです。B市のこの「恋林マーケット」もその一つなのです。
このB市でも
戦後、戦地からの引き揚げ者が「恋林マーケット」を形成して、
いわば闇市を形成。飲食を中心に物販を行っていた。B市の住民にとっては、異世界のまあ言ってみればホラー映画などに出てくる?「怪しいサーカス小屋」みたいなイメージだったのでしょうね。
持ちろん、子供などが近づける場所ではありません、怖くてね。でもこの「恋林マーケット」に、
なぜか?今でも不思議なんですが、、なぜか?一軒の小鳥店があったんです。小鳥店ですから、、怪しい店?じゃないですよ。
厚化粧のおねーさんが手招きするようなバーじゃないですから。とはいえ私のような子供が昼間行くときにはそういうバーは店が閉まっていて,森閑としていましたけどね。
私たち子どもはそこで目白を買ったり。あるいは鳥もちで取った野生の目白を売ったりあるいは鳩を売ったり、買ったりしました。いうまでなく、当時、目白を売り買いすることは合法でしたからね、。
まあ当時は目白を飼って鳴き声を楽しんだりその愛らしい姿を愛でたりするのがブームでしたから。目白はいい商売だったのですね。鳩を飼うことも少年に流行していました、私も手作りの鳩小屋を庭先に作り最大で、30羽くらい飼育していたこともありましたね、今思うたび、不思議ですがなんであんなにも鳩飼いが流行ったんでしょう?まあ当時テレビゲームがあるわけでもなし、テレビすら田舎ではまだなかったしほかにこれといって楽しみもない、、そういう状況下での鳩とかメジロのブームだったのでしょうね。
この小鳥屋さんに行くと、なぜかまだうら若い少女が出てきて応対することもありました。
店主は無口な中年おじさんなんですがたまに、その少女が出てくる時があるんです。
たぶん店主が買い出し?にでも行ってる時なんでしょうか?
田舎にはまれな?美少女でした。まあ50年も前の思い出ですから、多分、私の思い出バロメーターがこの少女像を美化しすぎてる恐れ?はありますけどね。。思い出の中では美少女でした。
育てた私の鳩をそこで売ったりもしました。あるいは毛色のいい鳩をそこで買ったりもしました。
とある日私があのうねうねした昼間でも薄暗い「恋林マーケット」を通ってその小鳥店に行くと、その日はあの少女が出てきました。
私は目白の練り餌の小鉢を買いに行ったのですが、ふと少女を見ていてあることに気が付いたのです。
それは歩き方が少し引きずるようで、ちょっと変なんです。
それまでは全く気が付かなかったのですが、その日初めて気が付きました。
帰ってきてそれを母に話すと、「ああ、なんでもその小鳥屋の娘は、病気で左足を切断したんだそうだよ」と教えてくれたのです。
それは、、私の中の初恋のシャボン玉がぱちんとはじけた瞬間でした。
さて、
その後、「恋林マーケット」がどうなったのか?
以前にも「恋林マーケット」では、飲んだうえでのけんかや、傷害事件など、バーの女の取り合い?などでいざこざがいくつも、あったのです。ですがそれほどの大きな事件はなかったのです、。
それが昭和39年ころでしょうかあの事件が起きて世間を騒がしたのですね。
それはある日、「恋林マーケット」のバー「亜美」という店が夕方になっても開かないのですね、で、不審に思った人がドアをこじ開けて中に入ると中は血まみれでした。店主の男は首を切り裂かれて即死。従業員の女は二人とも胸を刺されて死んでいました、この女たちの身元は結局不明でした。どっかから流れてきてここで売春まがいの接客をしていたらしいということでした。店主というのもどっかの他県のやくざだったそうですね。これらの死体も誰も引き取り手もなく身元も不明で結局、B市の無縁墓地に警察が葬ったそうです。
この事件は地方紙でも一面で取り上げられて大騒動に、、。
警察も調べたのですがどうやらやくざ同士の、利権争い?という線はつかめたのですがそれ以上は進まずに、、、
結局この事件は迷宮入りに、、。
それもあってかあるいは昭和40年ころになると、さすがにこの「恋林マーケット」は風致上、町の景観上いかがなものか、ということになり、市議会で、撤去するということになったのです。
そのころになるとこの町にも新しいスタイルのこぎれいな、商店街もできてこういう戦後闇市は毛嫌いされて。住民の足も遠のいていましたからね。「恋林マーケット」も昭和40年代になるとすっかりさびれてしまったのです。そのころになると、空き家も多くて「恋林マーケット」の半分くらいは放置空き家だったそうです。
もともと神社の敷地ですから、バラック小屋は借地です、
立ち退き保証といっても、当時、雀の涙?だったと聞いています。
かくして、「恋林マーケット」は昭和40年代に消滅したのです。
うねうねとしたバラック街はきれいに取り除かれて、整地され、きれいな花の植えられた小公園になりました。撤去当時まで残っていた
これらのバラックの店の人たちが、いったい、どこへ行ったのか?
そんなことまで私が知る由もありません。
あれから50年、時代遅れのいわゆる悪場所?としてのこの手の「闇市マーケット」はほとんど日本の町町から消え去ったわけですが。最近、懐かしの昭和ブームとやらで、日曜市的に良い面が評価されて、各地で、限定的に、健康的に?復活されているんだそうですね。
でも
私の中の「恋林マーケット」はあくまでも、、
怖くてやくざのお兄さんがカンカン帽でアロハシャツで、細い道をあるいている風景。
あるいは厚化粧のどっかから流れてきた、地元出身では決してない正体不明のバーの女給だったり、するのです。
バラックのバーでその当時何が行われていたのか、当時、、子供だった私にわかろうはずはありませんが、今ではもちろんわかります、
ただお酒飲んでおしまいじゃなくって、こっそりと春をひさいでいたであろうことも、
それからあの小鳥店の片足が義足の美少女は、、どうなったのか。
もちろん、その後どうなったのか、
私が知る由もありません、。
私は15歳でこのB市を離れてとある大きな町の高校へ入学し、その後大学は東京で、
卒業後は、すごいそのころは、就職難で、やっと見つけて、遠い他県の会社にどうにか、就業でそれからずっと故郷には帰ってないんですからね。
以上が
遠い
遠い
あまりにも遠い
50年前の「恋林マーケット」の
私の思い出なのです。
おわり
(注)この物語は完全なフィクションであり、実在の町や実在の人物とは、
一切、何の関係もございません。
念のため申し添えておきます。
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