制裁(12)
ところが時間が来る前に部長に電話が来た。最新流行のリストバンド型のテレビ電話だったが、相手の顔は映っていなかった。
「ちぇっ! 何だこんな時に。はい、ケインだが、……ああ、こ、これは。……はい、わ、分かりました。お、仰せの通りに致します」
ケイン部長の顔が真っ青になった。電話が終わると、直ぐストップウォッチを引き出しに仕舞って、幾分柔らかい物腰で話し出した。
「おい、帰っても良いぞ」
「えっ! 良いんですか……」
金雄は拍子抜けした。既にすっかり嘘の自供をする覚悟が出来ていたからである。
「面ぁ見たくねえから、とっとと帰れや!」
怒鳴り方も心なしか穏やかである。
「それじゃ……」
訳も分からずに金雄はとにかく取調室を出た。心配そうにナンシーが待っていた。
「だ、大丈夫だった?」
「もうめちゃくちゃだよ。取調べと言うよりは何が何でも俺を犯人に仕立て上げる積りの様だった」
「ええっ! ケイン部長らしくも無い。何時もはそうじゃないのに」
「そうなのか? ただ途中で電話が来て、それでがらりと態度が変わった。急に帰っても良いと言い出したんだ」
「……、多分キングから電話があったのね。捜査は打ち切りだとか何だとか。あのケイン部長を黙らせるとしたら、浜岡先生か彼しかいないもの。
先生がそんな事を言うとは思えないから、消去法でキングという事になる筈よ。……その、シャパールが亡くなったっていう情報があったわ」
「えっ! 死んじゃったんだ……」
「ええ、死ぬ程の怪我じゃなかった筈なのに、何か変なのよね……」
「事件は結局、闇に葬られる事になった訳か。最悪だな、何にも分からないぞ」
「……、金雄さんにはご迷惑を掛けっぱなしだわね、御免なさい」
「いや、ナンシーが謝る事は無いよ。ただ、幾ら犯罪者の街だからと言って、これで良いとは到底思えないけどね。これじゃ単に無法者の街だ」
「ああーっ! うまく行かないわね。基本的には正しいんだけど、運用の仕方に難点があるという事なのかな……」
ナンシーは悔しそうに顔をしかめ、唇を噛み締めた。
ホテルへの帰り道ぶらぶら歩いていると、思いがけない日本語の看板の店があった。
「……ふう、腹減ったな。おや? ラーメン屋さんがあるんだ。『チャーシュー軒』か。如何にもな感じだけど、よっぽどチャーシューが得意なのかな? ナンシーはラーメンを食べるか? 純然たる日本食だけど」
「勿論よ。私は外見はともかく、れっきとした日本人なのよ。納豆だって食べられるんですからね。それほど好んでは食べないけど」
「それじゃあ、お昼はここにしようか?」
「はい。久し振りだわ、ラーメンなんて。私は金雄さんこそラーメンは食べないと思っていた。大樹海育ちの人だから、ラーメンとかとは無縁だったんじゃないの?」
「はははは、大樹海にいた時だってラーメンは食べてたよ。大抵インスタントだったけど、街に出て本格的なラーメンを何度か食べた事もある。勿論お寿司だってあるぞ、回転寿司だったけどね」
「へえーっ、そうだったんだ。何だかちょっと気が抜けたわ、もっと原始的な食生活を想像してたから」
「おいおい、俺は縄文人じゃないぞ」
「あはははは、御免、御免」
一時、ケイン部長の取り調べの件で不愉快極まりない状態だったが、脱線気味の会話で何とか朗らかな気分になれた二人だった。
チャーシュー軒に入りカウンターに座ると、間も無く珍しくカランが一人でやって来て、ナンシーの隣に座った。
「あれ? 今日は一人? 珍しいわね」
「ワタシダッテ、タマニハ、ヒトリノトキモアルワ。ココニチョクチョクキテ、ニホンゴノベンキョウヲシテルノヨ」
「へえーっ、感心だわね。ええと私は味噌ラーメン。金雄さんは?」
「ああ、俺は看板を信じてチャーシュー麺にしてみよう」
「ワタシハ、フツウノラーメン。ソレデ、ナンシーニ、オネガイガアルンダケド」
金雄は少し妙だと思った。
『カランは、俺達の後を付けて来ていたのではないのか?』
ふとそんな気がしたのである。
チャーシュー軒には何故か日本人のスタッフはいなかった。ただ経営者は日本人らしい。出て来たラーメンはまさに日本のラーメンそのものだった。
麺の味とゆで加減や、つゆの旨味もメンマも本格的だし、チャーシューは大きく切ってあって適度の弾力があり、ほど良い醤油味で中々に美味い。
ナンシーと金雄は日本人らしくラーメンを音を立てて啜ったが、カランは啜らずに音も無く静かに食べている。
他に数人いたお客達も、ラーメンを勢い良く啜る者もいれば、啜らずに音も無く食べる者もいて、その対比が面白かった。
「お願いって何かしら?」
ラーメンを食べる合間に、ナンシーは如何にも親しげに聞いた。