地下格闘会(16)
「日本語が分かるんですね。うっかりしてました。一般的には凶悪な犯罪者というのは頭が悪くて凶暴に思われているようですけど、実際には違うんですよね。
この地下に来ている人達は皆凄い特技の持ち主ばかりなんです。二ヶ国語以上の言葉を理解している人も結構多いんです。忘れてました」
青いコスチュームに着替えて軽く手足を動かしている金雄に、ナンシーは神妙な感じで言った。
「手加減という言葉は拙かったな。これからはここではそんな話はしない様にしよう」
「もっとこう別の話にしましょう。例えば恋の話とか、あっ、それは尚更関係が無いし、やっぱりムカつくかも知れませんね……」
ナンシーは顔を赤らめていたのだが、金雄がそれに気付く前にアナウンスがあって、控え室からリング前へ出て行った。
『気付かれなくて良かった! 顔が相当火照ってる。金雄さんにどうしたんだって聞かれたら何て言おうかしら? ああいけない、早くここを出ないと』
ナンシーは慌てて客席に向かった。客席の一番端っこで控え室に近い所がアシスタントのいる場所と決まっている。客席といっても立って見ているだけである。
間も無く金雄とザ・モンキーの試合が始まった。客席にたった一人だけ女性客がいた。恐らく誰かの熱烈なファンなのだろう。
そうでなければこの時間から試合を見る者はいない。試合が始まっても無言であるところを見るとまだ目当ての選手は出場していない様である。
ザ・モンキーは名前通りにサルの様な奇声を発しながら、猛スピードで金雄の股間を目指して突進した。噛み付こうとしているのは明らかだった。
金雄は瞬時にしゃがんで手の平で顔面を突いた。相撲の張り手の様な感じである。ザ・モンキーはゴロゴロ転がって金網にぶつかって止まった。衝撃は弱く明らかに手加減している。
ダメージが小さかったので、すかさず今度はジグザグに金雄に接近した。噛み付きではなく股間蹴りを狙っている様である。またしても金雄は相変わらず手加減をして手の平で相手の胸を突いた。
ザ・モンキーの体は宙に浮き、金網にぶつかりそうになった。すると両足で金網を蹴り、体勢を入れ替えて金雄の顔面を狙って両足かかと蹴りを食らわそうとした。ナンシーの得意技でもある。
しかし金雄は楽々とかわしながら後ろに回りこんで、彼の着地と同時に背中を両方の手の平でやや強くぐいと押した。今度は激しく金網に前から激突した。どっと鼻血が噴出した。
倒れそうになったがそれでも二、三歩後退しただけで踏ん張り、振り向いてまたも金雄にダラダラと鼻血を流しながら突進し、今度は金雄の股間に、飛び頭突きを食らわそうとした。
金雄はザ・モンキーの体を軽く素早く飛び越し、リングの中央に立った。目標を失ったザ・モンキーはそのまま金網に頭から突っ込んで失神した。
鼻血は更に激しく流れ出している。リング上は彼の鼻血で朱に染まりつつあった。それらの汚れは直ぐ綺麗に掃除されたが、金雄にとってまたも苦い勝利だった。
ホテルに戻り、『月の砂漠』で夕食を取りながら今日の試合の反省をするのが慣習の様になって来ている。
「今日も、悲惨な感じの試合になったな。血を流す積りは無いんだが、予想以上にタフだったんでつい力が入ったんだよ」
「でも骨折とかはしなかったし、あの分なら何とかなるんじゃないのかしら?」
「そうあってくれると良いね」
「明日からはDクラスだからそれほど執念深くはやって来ないと思いますけどね」
「そう願いたいよ。しかし何かこう精神的に疲れたな。……ところでDクラスになると試合開始の時間も遅くなるんじゃないのか?」
「はい。午後七時からになります。ついでに言えばCクラスは午後八時。Bクラスは九時、Aクラスは十時です」
「一時間ずつずれて行く訳だ」
「はい。A、Bクラスになると遅いので夕食は試合開始前にした方が良いかも知れません。それとA、Bクラスはスター並みの扱いになるので、専属のトレーナーや、付き人、アシスタントも本人が望めば、勿論お金を払ってですけど何人でも付けられます」
「そんなにお金は無いだろう? かなり貰うとは思うけど生活費やら何やらで大変なんじゃないのか?」
金雄はちょっと驚いて言った。以前金額を聞いてはいたが、彼には今一つピンと来ていなかったのである。
「いいえ、前にも言いましたがかなりのギャラが貰えます。その為に皆頑張っている訳ですし、Aクラスで三連勝すれば下級市民以上の階級が自動的に得られます」
「それでも下級な訳か。中級とか上級にはなれないのか?」
「いいえ、三連勝しても止めずに連勝を続ければ可能なんです」
「そうか、自動的に卒業していく訳じゃなかったよね。でも階級も上がるというのは初耳だけど?」
「ええ、それはまだ話していませんでしたから。金雄さんの場合はあの、卒業する事がきまっていますからね。えっと、その他にも芸術や学術的な業績に応じて階級が決定されますし……」
ナンシーはかなり言い難そうだった。何しろ金雄の場合は地下を卒業して世界選手権に出ることにきまっているのであるが、それが強制されているのだから気楽には言えないのである。
「うーん、すっかり差別社会の様な気がするけど、どうなんだろうねえ……」
なるべく冷静に批判した。