地下格闘会(15)
『ふう、凄い。とても付いて行けない。彼だったらひょっとすると『あの男』に勝てるかも知れないわね。多分その積りで浜岡先生はここに金雄さんを派遣させたんだわ。でも一体全体何の為に? ……駄目だわ、さっぱり分からない。さあ、私もひとっ走りしましょう』
ナンシーは金雄について行く事は諦めてマイペースで走ることにした。彼女が決して遅い訳ではないのだが、金雄が速過ぎるのである。
ナンシーが手首を少し痛めた事を除けばトレーニングは概ねうまく行った。前日同様、『月の砂漠』で遅い昼食を取りながら今日の対戦相手について話し合った。
「今日の相手は、ザ・モンキーよ。これも本名じゃないと思うけど、名前の通り動きがトリッキーで素早いのが特徴よ。得意技はその、き、金的かじり。つまりその、あ、あそこを……」
ナンシーは酷く言い難そうだった。男子の急所の話はさすがに若い彼女にはまともには言えない様である。
「はははは、良く分かった。素早く相手の急所に噛み付いて失神させる訳だ。しかし軽量級なのか? 名前からするとそんな感じだけど」
「そう。体重は五十キロ。地下格闘会一の軽量よ」
「体重別じゃなかったのか?」
金雄も一応は知っていたが、確認の為に聞いてみた。
「ええ、ここにはそんな考え方は無いわ。凶悪犯罪者ということで一括りにしているの。それにも私は絶対反対なんだけど、やっぱり少数意見に過ぎなくて……」
「それなりのルールがあるのならいざ知らず、ルール無しで体重別も無しか。当然悲惨な試合も数多くあるだろうね」
「……、あ、そうそう。彼を甘く見ない方が良いわ。地上でも彼は一家四人を皆殺しにしているけど、ここでも一人殺してる。彼を舐めて掛った男が、その、きゅ、急所をかじられて、その、そこからばい菌が入って病気になって死んだらしいわ」
暗くなりがちな気分をなるべく抑えて、ナンシーは少し言い難そうにしながらも、軽い感じで恐ろしい事を話した。
「ああ、十分に心得ておく事にするよ。所で、今日も俺は赤なのか?」
金雄もナンシーに同調した。これ以上気分を暗くしても良い事は何も無い。
「いいえ。金雄さんのランクは94位。偶数になったから今日は青よ。赤の方と百八十度反対側にあるだけで施設とかは殆ど同じよ」
「漸く青だな。はははは、でも別にどうと言う事も無いけどね。それじゃあそろそろ支度して行こうか」
「はい。ああ、あの、お金、美穂さんに送って置きましたから。貴方の名前で、正当な報酬だと一筆書いてね」
「ああ、それは、本当に助かるよ。有難う!」
金雄はナンシーの手を握り締めて感謝した。
「い、いえ、それ程の事は……」
金雄の気持ちが美穂に向いている事は分かっていたが、それでも手を握り締められて悪い気はしない。胸がときめき顔が赤くなった。
「それじゃあ、行こうか。ここの迷路はまだ把握しきれていないから案内を宜しく頼みますよ、美人秘書のナンシーさん」
「……、あ、は、はい。じゃあ行きましょう」
ナンシーの報われそうも無い新しい恋が始まっていた。
何時も通りに地下に行って、昨日の報奨金を受け取り、待合室に入って出番を待った。
「今日勝てばクラスが一つ上がります。そうすれば少し気持ちが楽になると思います。次のDクラスだと負けてもまだ余裕がありますから。相手もそうそう死に物狂いでは掛かって来ないと思いますのでね、多分……」
試合の様子をテレビで見ながらナンシーは話した。金雄もちらちらテレビを見ながら答える。
「そうだな。そうでなければ精神的に参るよ。しかし昨日よりはいくらか余裕があるよな。万一負けてもまだ下があると思えるからね」
「はい。今日の相手は軽量なので必殺技にさえ気を付ければ、多少手加減しても良いのではと思いますが……」
「ああ、その積りだ。ただこっちも絶対に負ける訳には行かないので、攻撃が鋭ければ鋭い反撃をせざるをえない。ザ・モンキーが余り強くない事を期待しているんだがねえ……」
二人の会話を金雄の次の試合の組が苦々しそうに聞いていた。選手も、彼に付いている男のアシスタントも、アジア系ではあるが日本人では無さそうなので、遠慮の無い話をしていたのだが、どうやら日本語が分かるらしい。
「フン、テカゲンダッテ? タイシタヨユウダナ。コッチハシニモノグルイダトイウノニ、マッタクムカツクゼ!」
選手の方の男がたどたどしい日本語で言い放って、金雄とナンシーの二人を睨み付けた。
険悪な雰囲気になったが最初の試合が終わって、アナウンスがあり、金雄が控え室に入る事になったので、その場はそれまでになった。