地下格闘会(14)
「コモリカネオ、バーサス、ミスターネイル、ゴーッ!」
金雄は突進する振りをして左に体をかわしつつ、ミスターネイルの横からパンチを繰り出した。軽い一撃だったがそれでも歯が数本折れた。
しかしミスターネイルの方も、苦痛に堪え、やはり体の向きを変えながら得意の目突きをやって来た。良く心得ていた金雄は、目突きを防ぐ為にも十分に低く構えて、カウンターで腹部に強烈なパンチを打った。
ミスターネイルの体は数メートル吹っ飛び、ゴロゴロ転がって金網にぶつかって止まった。口からかなりの量の出血があり、その中には折れた歯も三つあった。
それでも尚必死になって動いてはいたのだが、立ち上がることは結局出来ずに、意識が朦朧としている様である。試合続行不可能なのは一目瞭然だった。
「ウイナー! コモリ、カネオ!」
レフリーの宣言で今日も金雄はごく短時間に勝名乗りを貰った。直ぐにその場を去り、シャワーを浴び、着替えてナンシーと一緒にホテルに戻った。『月の砂漠』で夕食を取りながら今日の試合について話し合った。
「勝ったけど余り嬉しくない。いや、全然嬉しくない。ナンシー、君はどう思う?」
「そうね、……ちょっと悲惨な試合だったわね。ミスターネイルはもう後が無いのよ。あの様子では当分試合は無理だから最下級市民になるのは決定的だわ。何だか可哀想……」
「もう後が無いから彼は歯が折れても必死で攻撃して来たんだろう。俺は勝つことが至上命令だから仕方が無いけど、正直言って胸が詰まったよ。浜岡さんを批判はしないけど、相当に辛い……」
金雄の辛いという言葉が胸に刺さって、ナンシーはまた憂鬱になった。ただその話はそれでお仕舞になった。異なった意味で浜岡に逆らえない者同士、これ以上、互いの心の傷を深く抉る様な事は止めにしようという、暗黙の了解が出来上がっていたのである。
翌日も昨日と同様に森での練習である。少し違うのはナンシーが両手にはめるミットを持って来たことである。何とか金雄の役に立ちたいとスポーツ店から買い求めて来たのだった。
「有難いけど、大丈夫かな?」
「こう見えても元女子世界チャンピオンなんだから大丈夫よ。さあミットめがけてどんどん打ち込んで!」
自信満々に言うナンシーの言葉を受け、安心して金雄はパンチを打ち込んだ。
「バスッ! バスッ! バスッ! バスッ!」
「ちょ、ちょっと待って! 痛たたたたたた!」
ミットの上からであるのにも拘らず、下手をすると手首の骨が折れそうだった。
「ああっ! 御免! つい本気を出しちゃった。悪かった」
「いいえ、私の方こそ御免。元女子世界チャンピオンだなんて大見得を切っちゃって。それにしても何ていうパンチなの! 凄いパワーがあるだけじゃなくて殆ど見えないのよ、速過ぎてね」
「格闘技は早い者勝ちだと思うのでね」
「早い者勝ち?」
「ああ、鍛え抜かれた肉体も勿論必要だけど、同じ様に打ち合ったら早くパンチが相手に届いた方が有利だろう? 速ければ速いほどかわし難くなるしね」
「理屈は分かるけど、そのスピードをどうやって身につけたかが分からないのよ。どんな練習をしたの?」
金雄は少考してから答えた。
「特別な事は何も。大樹海の中での練習の賜物なんじゃないのかな。天の川光太郎という人の半生を描いた本を読んだ事があるか?」
「勿論、あるわ。『天空会館のすべて』という本の中で彼の半生が大きく取り上げられている。格闘技を志す者の殆どが読んでいると思うけど」
「その本の中で天の川光太郎さんが、数年間山中で修行した事が描かれていたと思うけど、その事が一番の練習になったと彼は言っている。
もしそうだとすれば、俺は二十年近く山中で修行した様なものだから、それで自然に強くなれたんじゃないのかな、と思っているんですよ。
それと野犬に襲われた事が良い薬になったような気がする。あれで俺は随分用心深くなったし、それまで以上に練習に励むようになったからね」
「ふうん、やれと言われても出来そうも無いわ。大樹海の木に登ったり降りたりもしたの?」
「うん、それは野犬が怖かったからしょっちゅう。おっと、何時までも立ち話ばかりじゃ拙いね。ええと、それじゃあタオルを巻いてからミットをはめてみればどうかな?」
「そうさせて貰うわね」
今度はうまく行った。
ただそれでも余り長い時間は持たなかった。ナンシーの少し痛そうな表情を見て、
「パンチの練習はここまでにしてちょっと走ってくる。ナンシーも自分のペースで走ればいいよ。それじゃあ行くぞ!」
相変わらずのタフさで金雄は猛スピードで走って行った。