地下格闘会(10)
「ところで昨日言っていた個室のトレーニングルームはどうした? 予約出来たのか?」
「済みません、昨日は色々あって忘れてしまいました」
「ええっ! しょうがないなあ全く。それじゃあ今からでも良いから予約して貰えないか?」
「はい。ただ、そのう、今日予約して直ぐという訳には行かないようなんですが……」
「じゃあ明日からか?」
「それが、今朝ネットで調べたんですけど、一週間くらい掛りそうです。頼んでおいたので一週間後なら何とかなると思います」
「何だ、今朝頼んだのか。それを早く言ってくれよ。しかしその間何処でトレーニングすればいいんだろう? しょうがないから皆で一緒にしようか。大きいトレーニングジムで」
「それでしたら、とっておきの場所がありますわよ。私と激しくアレした森でなら人目に付きませんし、どうかしら。うふふふふっ!」
ナンシーは楽しそうに笑いながら言った。
「おーーーいっ! 誰もが誤解するような事を言うなよな!」
「ああっ、す、済みません。私が怪我をしそうになった時、愛情一杯に優しく優しく抱きかかえてくれた場所ですわ。ねえ、これなら問題ないでしょう?」
「おーーーいっ! アレは実質喧嘩じゃろうが! 変な所を強調するなよな、やっぱり誤解するだろうが!」
「はい、はい。とにかくそこでなら誰にも知られずに練習出来ると思いますわ。勿論パートナーには私がなります。今度はちゃんとした正規の道着を着てやりますので、練習のし甲斐があると思いますわ」
「しかし、女性と練習するのはちょっとねえ……」
「女だと思わずにやって下さい。どんなに絡み合ったり、密着したりしても、絶対に嫌らしい等とは言いませんから」
「何だかなーっ、その言い方自体がそもそも嫌らしい様な気がするんだけどね……」
「それは考え過ぎです。やるんですか、やらないんですか!」
「わ、分かった。食べ終わったら道着とか持ってその森に行こう」
「はい。わあ嬉しい。久し振りに練習が出来る。相手が金雄さんなら申し分ないわ」
ナンシーはかなりジョークっぽく話をしたが、金雄と一緒に練習している間だけでも嫌なことを忘れることが出来ると思って大いに喜んだ。しかし金雄の練習がどれ程凄まじいものなのか、彼女はまだ何も知らない。
二人は必要最小限度の道具、道着と替えの下着、タオルや清涼飲料水等を鞄に入れて喧嘩(?)した森に行った。勿論人工の森である。微かに爽やかな木の香りがする。
「この間は気が付かなかったけど、木の香りがするんだね」
「そうよ。自然らしい自然の無いこのムーンシティでは、香りとかには特に拘っているのよ。生えている木の種類なんかは、まあ経済的な理由からなんだけど、皆同じにしてあるんだけど、香りの配合を変えて十箇所位有る小さな森の香りは全部違うの。
特に鼻の良い人だったら、それが何処の森の香りかが割合簡単に分かるみたいよ。私にはそこまでは分かりませんけど」
「へーえ、凄いもんだね。……それじゃあ木の陰で着替えますか。しかしここは本当に人気が無いね。何かこう別世界に来たみたいだ」
「へへへへへ、本当は最高のデートスポットとして、取って置きたかったんだけどな。一応これもデートだからまあ良いかしらね」
「着替えるぞ」
「はい、はい」
金雄は南国格闘会館の極めてスリムな道着。ただ足の裏を鍛える意味もあって、靴等は履かずに足は素足であった。しかし道着の着替えでも女性は長い。
「おい、まだか。寝ているんじゃないだろうな!」
十分以上掛かっているので金雄は痺れを切らして叫んだ。
「酷いわね、寝てるだなんて。女には色々あるのよ。……お待ちどう様」
時間が掛かっただけあって、道着はきちんと様になっている。柔道や空手の道着に比べると遥かにスリムではあるが、日本の武道の流れを汲んでいる事は明らかだった。
胸に縦書きで大きく天空会館と書いてある。黒帯が金雄の目には少し眩しかった。彼が天空会館に挑戦したのは黒帯が欲しかったからでもある。南国会館にも黒帯はあるのだが、何処の門下生でもない彼は未だに白帯なのだ。
「金雄さんはどうして白帯なんですか?」
「誰かさんにこれを着ろと言われているので、その通りにしているんだよ。黒帯というのは、自分で勝手に買って締めるようなものじゃないだろう?」
少し皮肉めいた言い方をしたのだった。