ナンシー(6)
「ま、負けた! 暴行するなり何なり好きにしてくれ!」
「何度も言うようだけど、俺は暴行はしない」
「頼む、あたしをめちゃめちゃにしてくれ。浜岡先生の顔に泥を塗った私にはそれが相応しい。これから腑抜けになって生きるしかないんだ!」
金雄に少し分かったのはナンシーは自分で自分に罰を与える気持ちらしいということだった。一番嫌いな男に暴行される事は女性にとって最大の屈辱である。つまりはそれが彼女にとっての一番の罰のようであった。
それにしても服が引き千切られて下着の見える状態は、ナンシーのプロポーションの良さや顔立ちの美しさと相まって、なんともエロチックだった。
目に涙を浮かべて、自分を暴行してくれと哀願するその様に、危うく引き込まれそうになったが、
『これは浜岡の仕掛けた罠かも知しれないぞ!』
頭の中で理性がそう囁き掛けた。冷やりとして我に返った。
「……これからは、少なくともあんたの前で浜岡の悪口は言わない。たとえ悪い親でも面と向かって悪く言われたら、面白くは無いよな。それに気が付かなかった。悪かったよ。……この位で許して貰えないか?」
金雄にとっては最大の妥協である。
「ええっ? ……ええっ! あっ! は、恥ずかしい! み、見るな! 見るな! 向こうを向いてくれ!」
ナンシーは急に恥ずかしくて堪らなくなった。勢いで服を破ってしまってどうしたら良いのか分からず、途方にくれてしまったのである。
金雄はナンシーに言われた通りに、彼女に背を向け、彼もまたどうしようかと思案した。
『南国大会用の道着があるな。少し大きいけど洗濯もしてあるし、あれなら良いだろう』
金雄はそう思い付いて鞄の所へ行って、中から道着を取り出して、今は上半身だけ起こして思案に暮れている彼女の側へ寄り、顔を背けながらそれを渡した。
「これを着るといい。俺の物を着るのは嫌だろうけどちょっとの間だけ我慢してくれ。何処かで服を買うなりして取り替えればいい」
「わ、分かった。私が良いと言うまで絶対にこっちを向くなよな」
「ああ、そうするよ」
金雄は森の向こうの景色を眺めた。遥か彼方に壁がある。
『とんでもなく広いな。ドーム球場数百個分ぐらいはあるだろうな。地下二千メートルにこんな世界が広がっているとは、目の前に見ているけど信じられないよ。これだけの設備となると国家レベルだ。国が動いているのか? それとも……』
何か夢でも見ている気分だったが、
「ポン!」
肩を叩かれて振り返ると、道着姿でナンシーがばつが悪そうに立っていた。
「あ、あ、有難う。ここで暫く暮らす宿に案内するよ。一段落したら昼食ということで。そこでこれからの事を詳しく話すから。行きましょう」
彼女は自分が破った服を小さく折り畳んでベルトで縛り、まるでちょっとした荷物の様にバックと一緒に左手に持った。両手に荷物を持たないのは格闘家らしい心配りである。
「良かったら、その服を鞄に入れようか?」
「いや、遠慮しておきます」
金雄は勿論親切心で言ったのだが、ナンシーはにべも無く断った。まだまだ気持ちが打ち解けていない事を金雄も、またナンシー自身も悟った。
十五分ほど歩くと二階建てのかなり大きな建物の前に着いた。
「ここが、暫く厄介になるムーンシティホテルです。ちなみにこの街はムーンシティと呼ばれている。それでそのちょっと悪いんだけどここの一階の、豊の海、というレストランでコーヒーでも飲みながら待っていてくれませんか。
ここはインターナショナルな街だから、日本語でも十分通じるから。この格好じゃあちょっとホテルに入り辛くてね。近くの洋品店で着替えてから行くから」
「うん、分かった。ゆっくりして来て良いよ。逃げも隠れもしないから」
「……じゃあ、頼む」
ナンシーは何か言いたげだったが飲み込んで、洋品店に向かった。近くといっても本当に近い訳ではなさそうだった。
金雄はホテルの一階のレストランに入ると、取敢えずコーヒーを頼んでナンシーを待った。ムーンシティホテルと言うだけあって、いたる所に月の写真が飾ってある。
日本語用のメニューの裏表紙に、月の表側と裏側の写真が上下に載っていて、表側の方に『豊の海』という地名があった。
「ああ、このレストランの名前はこれから取ったんだな。しかし月には水は無い筈だ。それなのにどうして海なんだろう?」
呟きながらナンシーを待ったが、中々来なかった。