影山兄妹(7)
「お、おはよう御座います」
リカの挨拶に金雄は言葉が出なかった。いる筈の無い人がそこにいて、挨拶などする筈の無い女性が自分に挨拶をして来たのである。
「あ、あの、申し訳ありませんでした。昨夜、兄と試合のビデオを見たりしながら三時間位話し合いました。誤解していたとはいえ、随分酷い事を言ってしまいました。本当に、本当に済みませんでした、うううっ」
リカは少し涙ぐみながら深々と頭を下げた。
『本心かな、演技じゃないのか?』
金雄は半信半疑である。何と無く違和感があるのだ。考えて見れば何ともセクシーな格好である。他に誰も居ない。まるで自分を襲ってくれと言わんばかりではないか。
クラブの建物は高台にあって、一般の道路は前方に有るものの、直接道路に面していないので、ここに用事の無い者は普通クラブの前は通らない。
後、一時間やそこらは恐らく誰も来ないだろう。しかも彼女は打ちひしがれていて強引に抱かれたとしても、そのまま従ってしまいそうだった。
『余りにも条件が揃い過ぎている。おかしいぞ。……何か有る! 第一彼女は一体何処に隠れて居たんだ?』
じっと考えて、そこまで読んでから金雄は彼女に幾つか質問しようとた。しかしその前に悩ましげな寝間着姿が気になって仕方が無い。
「そ、その格好じゃあちょっとあれだから、着替えて貰えませんか」
「あ、ああ、す、済みません。謝る事ばかり考えて、ネグリジェを着ている事を忘れていました」
「俺はここいらでブラブラしていますから、お話があるんでしたら着替えて来て下さい」
「はい、済みませんでした。直ぐ着替えて来ます」
リカは慌ててクラブの建物の中に入って行った。その間に金雄は彼女の姿から何かを読み取ろうとした。何かがおかしいのである。
一、二分考えて気が付いた。
『分ったぞ、綺麗に整い過ぎているんだ。髪も下着もネグリジェも何時間も寝ていた感じじゃない。いくら寝相が良い人でももう少し乱れている筈だ。やっぱり罠か。……いや、そうとも言えない様な気がする。ほぼ素っぴんだったし、妙に素直だしなあ……』
金雄は再び半信半疑に戻った。
女性の着替えというものは長いものである。二十分待たされた。ショートパンツに半袖のブラウスを着て、メークもバッチリきめて現れた。
長い髪はそのままだった。憎々しげな表情の時にはそうは思わなかったが、普通にしていると何とも美しい顔立ちの娘だった。
「綺麗な人だったんですね。ちょっと驚きました」
金雄は素直に感想を言った。
「あ、有難う御座います。お、怒っていますよね。あれだけ言われたら誰でも怒りますよね。……ナンシー先生は私にとっては神様の様な人なんです。
強くて美人で信念を持っていて、コーチの仕方もとても上手だった。私も兄も彼女のお陰で世界大会に出られる様になったんです。私達が世界大会に出るようになってから門下生が急に増えました」
「ああ、その話しなら食堂のおばちゃんに聞きました。皆の憧れの的だっていう事もね。おばちゃんにとっても、商売大繁盛の神様だって言ってましたよ」
「ふふふ、おばちゃんらしいわね。……だから私はナンシー先生の事を頭から信じました。とんでもない男がやって来る。世紀の大悪党で何百人も殺したり怪我をさせたり女性に暴行し続けている男だって。でも絶対に尻尾を出さない。
恐ろしくずる賢い強さを持っていて、その上に恐ろしく用心深い男、小森金雄。何故かエムと名乗っていたその男の正体を暴く為に、協力して欲しいと言われたんです」
「ふうん、それは変だな」
金雄は首をちょっと傾げて言った。
「変? 何がですか?」
「はははは、だってね、ナンシー先生は俺の雇い主なんだ。俺はナンシー先生の命令でここに来たんだぜ。南国島の大会に出たのだって彼女の命令だったんだ。
彼女の命令だったら何でも聞くのに何でそんな事をするのかな? もし警察に行って逮捕されろと言うのなら、俺はそうするよ。俺は物凄く貧乏だから彼女に首を切られたらアウトだからね」
「えーっ! し、信じられない。……全然理解出来ない。ど、どうなっているの?」
「俺にもさっぱり分らないけど、彼女は誰かに操られているみたいなんだよね。それでそういう事をしているんだと思う。それ以上の事は俺にも分らない」
「誰かに操られている?」
「うん、多分ね。彼女ほどの人がこんな訳の分らない事をする筈が無い、と思うんだけどねえ……」
金雄は冷や冷やしながら話した。ここまで言って良いものかどうか、はっきり分らなかったからである。