影山兄妹(6)
「女子の部、男子の部と分かれる事が許されているのだからこれは差別じゃない。しかしどうしてもと言うのなら、三分間だけ相手をしましょう。
俺は畳四枚分の中で勝負をする。あんたの攻撃は全て自由。畳の制約は無い。それから拳で打つ、足で蹴る等は勿論の事、投げても絞めても、関節技でも自由にすれば良い。
俺は立ったままでひたすら防御だけをする。攻撃はしない。この位のハンディがなければやる気はないがどうだろう。勿論畳四枚から出たり、足以外の部位を床に着けたら俺の負けだ」
「良かろう。リカさん、それでやってみなさい」
「は、はい。大先生がそうおっしゃるのなら」
リカは不承不承ながら承知した。
「変則試合を行う。小森金雄君、影山リカ君、互いに礼! 始め!」
リカの目は憎しみに燃えていた。ナンシー山口に、小森金雄は世紀の大悪人と聞かされているばかりではなく、屈辱的なハンディにも無性に腹が立った。
その憎しみは普段の倍の力を彼女に与えたのだが、観衆は金雄の芸術的とさえ言えるその身のこなしに陶酔した。どんなに追い詰められた様に見えてもスッと風の様にかわして行く。
その風の中で影山リカは蝶の様に舞っていた。しかし蝶は強い風に弱い。三分近く全力を尽くして攻め続けた為に疲れ果て、足がもつれ、とうとう勝手に転んでしまった。なかなか起き上がれないのを見て、
「そこまで、小森氏の勝ち」
と大先生は宣言した。二分五十秒であった。後十秒頑張れば引き分けに持ち込めたのだが、リカは唇をかみ締めて負けを認めざるを得なかった。
「勝ち、小森金雄。互いに礼! リカさん握手しなさい!」
大先生は握手せずに立ち去ろうとしたリカをたしなめた。僅か一秒だったが渋々リカは握手した。
その後、誰も挑戦する者が無く、そろそろお開きになるその直前に、白衣を着た医師らしき人物と看護師が現れた。
「ドーピング、その他の検査の結果、全く異常無しと認められます。影山リカさんのたってのお願いで、徹底的に調べてみましたが、疑わしい点は最新鋭の検査器具を使って調べても一つもありませんでした。報告は以上です。では私共はこれで失礼します」
二人が去ると、金雄に握手を求める者が続出した。
彼を褒め称える者があってもけなす者は一人もいなかった。ナンシー派だった連中さえもである。たった一人影山リカだけが不快そうな表情を浮かべて去って行った。その後を心配そうに兄の譲治が追った。
控え室に戻り、着替えをして三階の自分の部屋に戻った金雄は、明朝の支度をしてから眠った。
『早く眠っておかないと、起こしてくれないそうだからな。鍵は掛けたし、それにしてもあの影山リカという女の子には参ったね。俺を悪の権化だとでも思っているんだろうな。
何をやっても全て悪い方に考える。精神的に疲れるよ全く。幾らナンシーが神様だとしても、冷静に考えれば分りそうなものじゃないか。……無駄か。寝よう』
金雄は溜まったストレスを吐き出す為にもまだ午後八時だったが寝てしまった。
早く寝た為だろうか、夜明け前に目が覚めた。もう一度寝直そうと思ったが中々寝付かれない。ここの所早朝の散歩などはした事が無かったが、
『今寝てしまって寝過ごすよりは良いだろう』
そう思って、やおら起き上がって部屋を抜け、三階から下の階に降りて行って玄関を出た。その時になってやっと気が付いたのだが、市街よりも少しだけ高台になっていて、街がかなり遠くまで見渡せる。その遥か向うから今、朝日が昇ろうとしていた。
『ああーっ! 朝日か。久し振りだな……。美穂と一緒にトラックの中から見た朝日もあったな。うううっ……、い、いかん!』
自分の置かれている厳しい状況のせいだろうか、美穂との幸せな日々がチラッと頭に浮かんだだけでちょっと涙ぐんだ。しかし相変らず盗聴されているかも知れないと思ったので、直ぐに気持ちを切り替えた。
その時、ふと背後に人の気配を感じて振り返った。白っぽい奇妙な物が立っている。
「お、お化け!」
思わず声に出してしまった。大樹海の中で暮らしていた時は様々な奇妙な物を見た。異様な物音も聞いた。その時の事を思い出してドキリとしたのだ。
しかし良く見るとそれは人であった。髪の長い白いネグリジェを着た若い女性だった。そのネグリジェは少し透けていて肌と白いブラジャーやパンティやお臍などが見えた。
昨夜は皆帰った筈だと思っていた。眠ってはいたが三階には誰も上がって来なかったと感じている。実際、今来た時も宿泊施設のある三階に人の気配は全く無かったのだ。
しかし顔を見ても暫くは誰だか分からなかった。髪形が変っていたのと、不機嫌そうな顔ばかり見ていたので分からなかったのだが、よくよく見ると悲しげな表情をした影山リカだった。