影山兄妹(4)
リーダーの譲治は金雄と目線を合わせない様にして、妹と知り合いや家族らしい者達と一緒に去って行った。その姿を窓から遠くに眺めながら金雄は孤独を痛感していた。
『ふう、美穂に会える日が来るんだろうか。ひょっとするとこのまま……』
金雄はこの時初めて、もはや生きて美穂に会えないのではないかと感じた。しかし直ぐその悲観的な考えは捨てて、少し早いが腹ごしらえをする事にした。
『どういう手で来るか分らないからな。スタミナだけは十分に付けておかないと』
リカに教えられたクラブの建物とは別棟になっている食堂に行った。クラブは鉄筋コンクリートの真新しい建物だったが、そこはかなり古い木造の二階建ての家である。
中に入ると、昼食にも夕食にも時間が外れているせいか、他に客は一人だけだった。ラーメンを音を出して啜っている。ここが日本の南東の端にごく近い事を感じさせる光景だった。
メニューは勿論日本語と英語と両方で書かれている。日本語の表記があるのは金雄には有り難い事だった。店の奥の方に明らかに日本人と思われるやや年配の女将さんが一人だけいた。
店の構えからすると店員は最低でも七、八人は必要だと思われるが、やはり時間が外れているからか、留守番的に一人だけなのだろう。
「ステーキ定食をお願いします」
注文を取りに来た女将さんに即座に言った。ここの所カツカレーを食べる事が多かったので今回はステーキの類にしようと決めていたのである。
「はい、千五百ピースになります。先払いになっておりますので」
「ああ、分りました」
間も無くボリュームたっぷりのステーキ定食が運ばれて来た。
「いやあ、凄いボリュームですね」
「はい、何しろ格闘クラブの人は沢山食べますので、この位の量は無いと」
「そうですよね。……ところでナンシー山口という人をご存知でしょうか?」
金雄はクラブの連中に聞き辛かった事を聞いてみた。
「ああーっ、あの、背の大きい、二世だったかの人でしょう? 羨ましい位プロポーションが良くて、皆にナンシー先生と呼ばれていたわね。
二、三年前にここにちょくちょく来ていましたよ。一年ぐらいいたかしらね。美人だから特に男性に人気があって、でも女の人からの人気もあったわね。
元世界チャンピオンで何連覇だかしたって聞いてるけど、ここ暫くは来てないわね。今は何処に住んでいるのかしらねえ」
女将は懐かしそうに言った。
「でも流派が違うんじゃないんですか?」
「流派の事は詳しく分からないけど、違う流派だって事くらいは私も知ってますよ。確か、大先生同士が仲が良くて、ナンシー先生が特別コーチとして招かれたらしいのよ。
それから成績がグ−ンと良くなって、海外にある支部も含めても数百人規模だった門下生が数千人規模に膨れ上がったんだって。
お陰様で立派なビルが建ったし、以前は細々とやっていたんだけど、うちも大繁盛でね。もうナンシー先生様々だわね」
「ははは、ナンシーという人は神様みたいな人なんですね」
「そうなのよ。また来てくれると良いわね。彼女が来るとその取り巻きの人も来るでしょう? それがうちには美味しいんだけどねえ。あははは、それはちょっと欲張りだわね」
「いやあ、良く分りました。ナンシー先生の噂は良く聞くんですが、どういう人なのか良く分らなくて、……ああ、ご馳走様でした」
「はい、有難う御座いました」
『ふーん、神様か。成る程ね。そう言われてみれば俺を支持してくれる連中は殆ど若い人達だな。ナンシー先生の事を余り知らないのかもな。
二、三人いる年配の人は他のクラブとか道場とかから移って来た人なんだろう。前からいる人達は皆ナンシー先生様々なんだな、きっと……』
自分の部屋のベットに寝転びながら、ナンシーを信じて疑わない人がいるのももっともだと思った。
それから少しうとうとしていると、ドアの開く音で目が覚めた。
「時間になりましたわよ。こんなんじゃ明日が心配だわね。それに鍵を掛けていないなんて無用心だわ」
冷たい言い方はリカだった。
「ああ、す、済みません。食堂でボリュームのある定食を食べたら、お腹が一杯になって眠くなって来ちゃって。ふぁーっ! 今行きますから、どうぞ先に行って下さい、ふぁーっ!」
リカは小首を傾げてから部屋を出た。二度も伸びをしてから部屋を後にした金雄はリカの後を着いて行く形になった。
五メートルほども離れているがリカは一度振り返って、
「私を襲う積りですか!」
と、金雄を睨んだ。
「ああ、済みません。じゃあここに立っていますから、どうぞお先に」
三十秒程待ってから金雄は一階にある道場に向かった。道場には沢山の人がいた。リングでもあるのかと思ったが古風な畳敷きだった。