影山兄妹(2)
「そ、それは、天空会館が貴方を訴えなかったからよ」
「それもおかしいですね。天空会館はともかくとして、個人で訴える人が一人もいないのはおかしいんじゃ有りませんか?」
「それは、その、天空会館が止めたから……」
「だったら、天空会館が悪いんじゃないんですか?」
「あれ?」
「極悪非道な俺を野放しにしている天空会館こそ、諸悪の根源なんじゃないんですか?」
「それは、それは、ええと……」
リカは言葉に詰まった。
「エムに関する噂話は何十倍にも歪められて膨れ上がっている。私はそれで困っているんですが、中々分って貰えないんですよ。
私はついさっきまで皆さんととても楽しく過ごしていた。その私がどうして皆さんを襲うんですか? しかし幾ら言っても言葉だけでは信じて貰えないと思います。
今夜はここ迄としましょう。約束通りご馳走になっても良いんですよね? じゃあ失礼します。ああ譲治さん、妹さんを叱らないで下さい。
ナンシーさんに感化されちゃったんですね。彼女も誰かに感化されている。きっと正義感が強いからの勇み足だと思います。それじゃあ……」
金雄は無念さを滲ませつつその場を去った。
噂は噂を呼び、一人歩きしてしまう事の怖さを改めて思い知った金雄だった。悲しかったがどうにもならなかった。
船の揺れにも夜の寝台の鼾の合唱にも大分慣れて、思ったよりも楽に眠る事が出来た。
『人を信じる心なんて、脆いものだな……』
そんな教訓を胸に刻み込んで眠った。
起きたくないような朝だったが仕方無しに起きた。のんびり髭など剃ってレストランに行って掛け時計を見ると、もうお昼近かった。
何と無くお馴染みになったカツカレーを注文して、朝と昼兼用の食事を取りながらふと金太郎の事を思い出していた。
『金太郎さんには、お別れも何もしなかったな。何処のホテルに泊まっているのか分からなかったし、分っていたとしても、春川陽子さんがあの状態では、彼は多分また気を利かせるんだろうな。……結局同じことか。
それにしても変った男だったよな。しかし何だか羨ましい。俺がもう少し弱ければこんな事にはならなかったのにな。ハァーーーッ!』
金雄は時折溜息を吐きながら、何とかカツカレーを食い終わった。
トレーニングルームに行くとまた中央島格闘クラブの連中に会いそうな気がしてその気にならなかった。デッキに出て、ただぼんやりと海を眺めていた。空は澄み切って青く、所々に白い雲が浮かんでいる。
遠くに南国島に向かう迷彩色の高速フェリーが見える。双方とも時速百キロ以上のスピードですれ違っている事になるので、遠くにあっても見る見るうちに過ぎ去って行った。
何気なく空の高い位置に目をやると、豆粒の様な旅客機が飛行機雲を残しながら幾つも飛んでいた。南国島には無かったが中央島には大きな空港がある。そこへの発着便らしかった。
『後三時間足らずで中央島に着く。一体誰が待っているんだろうな。美穂だったら良いのにな。ははは、有り得ないな。しかし中央島格闘クラブと天空会館とどんな関係が有るんだ?
たしか影山リカちゃんはナンシー先生と言っていたよな。天空会館の支部でもないのにどうして彼女が先生なんだ? 分らないな。まあいい、もう終った事だ』
ぶらぶらしていると、見覚えのある顔が接近して来た。リーダーはいないが男女七、八人の中央島格闘クラブの連中だった。
少しびくびくしている。誰が声を掛けるのか揉めている様である。女子のサブリーダー風の女性が声を掛けて来た。こんな時には意外と女子の方が度胸がある。
「あ、あのう、昨日は済みませんでした。それであのう申し訳無いのですが宜しかったら、中央島格闘クラブの方へ寄って行って頂けませんでしょうか」
「はい、ただ迎えの者が来ている筈なんですが、その者が許可するかどうか。許可が出ましたら伺いますが……」
金雄は自信無さそうに言った。
「ああ、良かった。ほら全然怖くないじゃない。す、済みません。昨夜、小森先生が帰られた後、皆で物凄い議論になったんです。小森先生派とナンシー先生派とに分かれて、激しく対立したんです」
「あああ、それは、私なんぞの為にそこまで気を使う必要は無いのに。でも、俺を支持してくれる人もいたんですか。有難い事です。うううっ……」
金雄は嬉しくなってちょっと涙ぐんだ。それを見てクラブの面々は驚いて思わず顔を見合わせた。特に変った所の無い普通の人だと思った。