別れ(5)
「あんまり食べたくない。お酒でも飲んじゃおうかな」
「おいおい、朝から酒を飲んでどうするんだよ」
「だって、もう私の気持ちは分っていると思うけど、物凄く辛いのよ。泥酔でもしなきゃやってられないわ」
「いらっしゃいませ。もうお決まりでしょうか?」
店の主人が直接注文を取りに来た。暇な時間帯になったので一人で切り盛りしているらしい。なかなか注文しないので痺れを切らしたようでもある。
「じゃあ俺は、海鮮ラーメンとおにぎり二個。陽子さんは?」
「海鮮グラタンと、……白ワイン。ボトルごと頂戴」
「かしこまりました」
白ワインボトルごとと聞いて、金雄はドキリとした。
「ほ、本当に飲むんだ。控えめにしておいた方が良いと思うけどな」
「このまま、海に飛び込んじゃおうかな」
「えっ! そ、それは、止めた方が……」
「ふふふ、そんな事しないわ。私の今の心境をちょっと言ってみただけよ。私、どんな理由があっても学業を途中で投げ出す訳には行かないの。
クニで待っている母親を悲しませたくないから。お父さんは子供の頃に死んじゃったから母一人子一人で、ああ、その点は金雄さんと同じだけど、どれだけ苦労して私を大学に入れてくれているか、良く分っているから。アルバイトを三つも四つも掛け持ちして働いているのよ。一日の睡眠時間は三、四時間位なの」
「へえーっ! 凄いお母さんだね」
「お母さんはね三流高校の卒業生なんだけど、それだとアルバイト位しか仕事が無いのよね。勿論特別な才能があれば別だけど、誰もがタレントになったり、プロのスポーツ選手になったり出来る訳じゃないわ。
だから私には何としてでも大学を出て貰いたいと思っているらしいのよ。私、勉強は好きだし、南国大学の卒業生の就職率はほぼ百パーセントなのよ。結構良い所に皆勤めているわ……」
サラサラと言いながらも陽子の表情は暗い。
「お待たせしました。海鮮ラーメン、おにぎり二個、海鮮グラタン、白ワインのボトル、グラス二個お持ちしました」
店主は大きなお盆に一度に運んで来た。顔の表情がやや険しいのは二人の会話を聞いているからだろう。確かに危険性を孕んだ会話である。
「ああ、どうも」
「済みません変な会話で。でも心配されるような事はしませんから」
陽子は店主に気を使った。
「ああ、そうで御座いますか。あ、安心致しました、そうですよね、はははは」
店主は一応笑顔を見せてから去って行った。
「こういう時にラーメンを食うのは無粋かな」
「かえって良いかもね。ラーメンに白ワインも良いわよ。破滅に向かう二人を象徴していてね」
「……分った。じゃあ貰う事にする」
金雄は陽子に余り飲んで欲しくなかったので自分も飲む事にした。
「絶望的な二人の関係に乾杯!」
「はははは、きつい事を言うなあ。まあ、とにかく乾杯!」
そこで二人の会話は途切れた。金雄は渋い表情ながらラーメンとおにぎり二つを完食した。陽子はグラタンを半分も食べずにひたすらワインを飲んだ。
金雄もせっせと飲んだので、直ぐに白ワインのボトルは空になった。ゆっくりしていると陽子が更にお酒を飲みそうだったので、
「もう十時過ぎたし、そろそろ行くよ」
強引に陽子を引っ張って、お金は自分が払い店を出た。
陽子の歩みは遅い。今にも泣き出しそうな表情をしている。金雄と競争する様にワインを飲んだので酔いが回って来たのだろう、足元がフラフラしている。
金雄は陽子の肩を抱きかかえながらフェリー乗り場まで歩いて行った。もし美穂と深い関係になる前だったら陽子の気持ちは分らなかったかも知れない。
しかし今は痛い程良く分る。自分がもし美穂に振られる事にでもなったら、やはりこんな風になってしまうだろうと思った。上船開始の十一時まで少し間がある。待合室で時間まで待つ事にした。
待合室の椅子に並んで座っていた二人だったが、午前十一時になって上船開始のアナウンスがなされると、とうとう陽子は泣き出してしまった。
それでも気丈に、
「す、済みません、ちょっとセンチになっただけですから」
等と言いながら眼鏡をケースに入れてバックに仕舞うと、用意して来た自分のハンカチで涙を拭いた。ただ涙で別れを告げているカップルも何組かあったのでさほど目立ちはしなかった。
続々と船に乗っていく人がいて何時の間にか残っている人もまばらになった時、やっと二人は立ち上がって本当の別れを告げる事となった。
「それじゃあ行くから。随分世話になった」
「うううう、……」
陽子は泣きながら金雄に抱き付き、目を瞑って、別れのキスを求めた。普通に目を瞑っているだけなら金雄は応じなかっただろう。