思い違い(6)
『セレモニーはどんなに早くても十五分は掛るわ。最重量級は五百人以上居て、丁度二百五十番目が金雄さんとグレンさんの試合。殆ど一番最後みたいなもので、五つのステージで同時に進行するから五十試合目と同じ事になる。
一試合平均四分とすれば、二百分後、すなわち三時間二十分後ね。大体十一時半ぐらい。余裕を見て十一時位ね。それで間違いないわね』
彼女は独断でそういう計算をしていた。確かに力量の差が少なければ彼女の計算は概ね正しい。しかし初戦は完全にランダムな抽選の為、力量の差が大きい場合の方が多かった。
僅か十秒で決着のつく場合も少なくなく、一試合平均二分で進行していたのである。その上オープニングセレモニーは五分で終っていた。単に放送で開会宣言と、主な注意事項を流したのに過ぎなかったのだ。
二人が漸く最重量級の会場に辿り着いた時、アナウンスがあった。
「スーパーヘビー級第三ステージ、小森金雄さん、グレン・ターナーさん、ステージにお上がり下さい」
同じ内容がその後、英語やフランス語、中国語など幾つかの言語で放送された。対戦者の国の言語を優先して放送するようである。それが金雄を救う僅かの時間となった。金雄と陽子は第五ステージの側に居たのである。
金雄は人垣を掻き分けて必死になってやっと第三ステージに到達出来た。既にグレンはステージ上に立っていた。さすがに堂々たる風格である。それに対して金雄は息を切らして何とかステージ上に立っているだけである。
間も無くレフリーがやって来て試合開始を告げた。誰もがグレンの勝利を確信した。春川陽子も悔しくはあったがその一人だった。
『奇跡でも起きて金雄さんが勝ってくれないかしら?』
陽子は心の中でそんな事ばかり考えていたのである。
「ストップ!」
試合開始直後に、レフリーは大声で試合を止めた。それから金雄の前につかつかと歩み寄った。手振りを交えて色々と金雄に話し掛けるのだが、英語であった為に意味が分らない。
金雄に追い着けなくて第四ステージの前でその様子を見ていた陽子は、形振り構わず一般の人の立ち入りが禁止されているステージの直ぐ側を通り抜けて、第三ステージの前まで走って行った。
普通のリングより床が少し低く、ロープの張られていない南国格闘会館独特のステージには四方に階段がある。一番近くにあった階段を一気に駆け上り、息を切らせながらレフリーと話し始めた。
本来ならその時点で金雄は失格になるのだが、通訳に限って第三者の立ち入りを認めるという特例に救われた。
「……え、ええと、金雄さん、レフリーは貴方の首に掛けられている身分証がルール違反だと言っているのよ。それを外せばオーケーなんですって」
「ああ、そうなんだ。これは浜岡が……、ああいや、じゃあ外すから春川さん持っていてくれないか?」
「分った」
陽子は金雄の身分証を受け取るとレフリーに御礼を言ってステージを降りた。ちゃっかり第三ステージの一番前に立って応援する事にした。
二階から上には座席があるがステージの側には座席が無く、一階に居る者は全員立っての観戦である。レフリーは改めて試合開始を宣言した。
「ゴーッ!」
公式の試合の場合、ネックレスや、イヤリング、そして勿論指輪の類は全て外す事、というルールを金雄は知らなかった。しかしそのアクシデントで時間が掛った為に金雄はすっかり落ち着く事が出来た。
ゴーサインの後の金雄の突進は殆ど誰にも、対戦相手のグレンにさえも見えなかった。防御をする前に金雄の両方の拳が彼の胸を凄まじいパワーとスピードで突いた。
「ドオーーーーン!」
小さな爆弾が破裂したような音がして、百五十キロもあるグレンの体が吹っ飛んだ。
ステージの下の床に落ちて、
「ゴロゴロゴロッ!」
激しく回転し、
「バキィ!」
第二ステージの階段に激突し、それを壊して止った。
「ウアアーーーーッ!」
ダメージ吸収の道着を着ていたのにも拘らず、グレンは何箇所も骨折していて激痛にのた打ち回った。第三ステージの周辺だけが一瞬シーンとなった。
余りの事にレフリーは試合の判定を忘れてグレンの様子を見ていたが、担架で運び出されてから慌てて金雄の勝利宣言をした。
静まり返っていた第三ステージの周辺は、次の試合が開始されると何人かの人間に強い印象を残しはしたが、ほぼ元の騒々しい状態に戻った。初戦に勝つことが出来て、ほっとして金雄は陽子の元に戻った。しかし陽子の様子がおかしい。