高速フェリー(1)
「そうですか、それはちょっと困りましたねえ。もう直この車は港に着きます。そこでフェリーに乗って貰います。高速フェリーですが、それでも丸二十四時間掛ります。幾ら強くても船酔いの恐れがありますから、なるべく眠るようにした方が良いでしょう」
「一体何処へ行くんだ?」
「南国島です。二日後に世界格闘技選手権、アジア南部地区予選があります。それに参加して優勝して頂きたい。貴方の実力からすれば、九十九パーセント間違い無く優勝出来る。もし出来なければ、どうなるか分っていますよね」
「美穂を殺すのか」
「ははは、お察しの通りです。私は躊躇いませんからね。念を押しておきますが、逃げ出したり、誰かに連絡を取ろうとしたら、彼女の命は無いと思って下さい」
「はーっ! 分ったよ。ただ何かの偶然でそう思える様な状態になった時には、俺に警告を出してくれないか。命令には従うから」
「殊勝な心掛けですね。それは勿論の事です。明らかに反逆しない限り彼女の命は保証します。ぼちぼち着きましたよ」
車は大きな港に着いた。見るからに速そうなフェリーが何隻も並んでいる。双胴船タイプが多いが近頃の無差別テロを警戒して、船体が海の色に近い青に塗られているものや、外観が箱の様な形のレーダーに映らないステルス性を追求した物など、様々なタイプがあって何か賑やかな感じだった。
運転手以外全員が降りると、
「それでは、ここで暫しのお別れですが、必要な物をお渡ししておきましょう。まずは身分証です。貴方の名前は小森金雄。二十三才。住所氏名や生年月日は適当に書いておきましたから自分で確認しておいて下さい。
何処に行くにもこれだけは持って行く事。忘れると怖いことになりますよ。首から紐で下げておけば間違い無いでしょう。
これから行く先々でこの身分証は必要になります。提示を求められた時には何処でも提示して頂きたい。その時に持っていなければ誰かさんの命は消滅する」
浜岡は一通りの事を言って、自分の着ている上着のポケットから、細いが丈夫そうな長い紐の付いたカード型の身分証を出して金雄に渡した。
「あんた等は来ないのか。俺を一人にして良いのか?」
浜岡は直ぐには答えずに、車のトランクからやや大きめの鞄を別の男に取り出させた。それから最終的な指示を出し始めた。
「南国島に我々の様な天空会館の幹部関係者が行くのはちょっと拙いのですよ。特に大会直前はね。それに我々は何かと忙しい。今すぐに行かなければならない所がある。
ああ、それからこの鞄には切符やお金や、替えの下着まで必要なもの一切が入っている。まあ、無くしても身分証さえあれば何とかなりますが。
南国島に行ってからの事に付いても、詳しい資料が入っていますから、船の中で良く読んで頂きたい。じゃあ健闘を祈っていますよ」
「良く分った。で、南国島の後は?」
「先の事を心配する必要は無い。先ず優勝する事だ。ちゃんと手筈は整っているから安心して良い。資料は良く読むように。それでは!」
浜岡を始めとする男達はあっという間に車に乗ってその場を去った。金雄は見かけ上は自由になった。しかし今彼は浜岡の奴隷だった。いかなる抵抗も封じられている。
『ええと、南国島行きのフェリーはこれかな? 船体の色は迷彩色。全体的に箱を幾つか組み合わせたみたいなレーダーから発見され難いステルス機能付き。何だか戦争にでも行くみたいな感じの船だな。
しかしこうテロや海賊が多くっちゃ仕方が無いか。……ふふふ、この船に間違い無いな。多分大会に出るんだろう、筋肉男や筋肉女がどんどん乗り込んでいる』
鞄の中から切符を取り出して係員に渡した。半券を受け取ると自分の席を探した。席にも色々なタイプがあるが、彼のは列車の寝台車の様な奴だった。二段ベットの下段である。しかも列車のそれよりは大分広いし天井も高い。
『これならゆっくり眠れるな』
金雄は安心して、邪魔な鞄は一万数千ピースほどをポケットに入れてからコインロッカーに仕舞った。フェリーは午後三時発船したがそれと同時に空腹を覚えた。
浜岡の一味に捕らえられてからずっと飲まず食わずだったが、緊張の為に何も感じていなかったのだ。船が動き始めると同時にすっかり覚悟が出来て、普通の状態に戻ったのである。喉もカラカラだった。
『レストランに行けば、水も食い物もあるよな』
金雄は早足でレストランに向かった。本来なら走るのだが、風があって波が高く船が揺れて走れなかった。生まれて初めて乗る船は今の彼にとっては最強の敵だった。
『うひゃ、歩き難い。ここで試合をしたら船に慣れている奴に負けるな』
そう思っている彼の前に一人の男が現れた。その筋肉振りから見て大会出場者に間違いない。