史上最強の男(1)
「確かに俺は彼の息子らしい。しかし俺とあの男とは全く別の世界の人間だ。あああ、もう行かないと!」
「私の事なんかほっておいて勝手に行けばいいんだわ。私は残る。お兄ちゃんが可哀想だもの! ううううっ……」
リカは半ば錯乱状態で泣き出した。夢限は困り果てたが、結局赤いボタンを押す事にした。最早ぐずぐずしていられないのだ。
その直前、
「早く行きましょう! 意気地なしのリカに構っていられないわ!」
もう一人のリカが出現し、
「ビッ!」
あっけなく赤いボタンを押した。
「オオオッ!」
別人格のリカの行動の早さに、夢限は呆れる程驚いた。ただ隠し扉がどういうものなのか分からないので、ちょっときょろきょろした。扉の開いている時間は十秒と聞いていたので、うかうかしていると取り残される恐れがある。
「ギーーーッ!」
重々しい音がして目の前のモニターの沢山付いている壁が左右に分れた。これなら間違いようが無い。
「兄貴! さよなら!」
リカは直接は見えないが譲治の倒れている方を向いて、別れを告げた。夢限もそれにならって別れを告げる。
「皆! さよなら!」
二人共に目を潤ませながら隠し扉の向うへと入って行った。リカは兄に対して、夢限は翔や人質の人達に対しても無念の別れを告げた。
「ギ、ギーーーッ!」
扉が閉まると、
「この地域はあと六十分で爆破されます。至急退避して下さい!」
爆破までのカウントダウンが始まった。隠し扉は相当頑丈そうなので二、三百メートルも離れれば爆風の影響は余りなさそうだが、浜岡は二千メートル離れた小屋から更に百メートル離れろと言ったのである。
『相当に強力な爆弾なんだろうな。ひょっとすると、ここでもやはり核を使うのか? ふうむ、それも計算に入れて置いた方が良いだろう。とすれば出来るだけ早く逃げなければ!』
少し焦り気味の夢限だったが、
「痛いっ!」
早足で歩くと傷めた右の足首が相当に痛い。
「足首が痛むのね」
「ああ、少しね」
「ちょっと待って」
リカは上着の裾をたくし上げてズボンの上に巻いていたバンドを外した。
「あれ? そのバンドは?」
「兄貴の奴のを形見に貰って来たんだ。はははは、嘘。夢限の足に巻こうと思って持って来たんだ。まだ直っていないと思ってね。ちょっと失礼」
リカは夢限の右足首と土踏まずとを靴の上から交互にバンドで巻いて固定した。
「これで少しは楽になるはずよ。応急処置だから万全とは言えないけどね」
「ああ、いや、有難う。随分楽になったよ。とにかく急ごう」
「うん!」
小屋までの地下通路は所々にある発光ダイオードの光でぼんやりと明るい。浜岡の言った通りかなりの上り坂で、登山の経験が無い者には相当堪える筈である。
『東郷美千代は小屋に着いてからも、暫くは動けないのではないか? いや甘い考えは禁物だ。俺は彼女を何も知らないのだからな。愛人イコール運動は苦手というイメージでは飛んだ見当違いになりかねないな』
夢限は自分を戒めた。
その頃、世界中のかなりの数のパソコンに浜岡敦と東郷美千代の顔写真の付いた奇妙なメッセージが流れた。
「これは緊急のメッセージです。心してお聞きなさい! 世界の王たる浜岡敦は諸君等に殺害されました。そこで彼の真の妻である、東郷美千代が報復する。世界の九十九の大都市はもう間も無く壊滅的な打撃を受ける事になるでしょう。
死にたくなければ都市から離れなさい。出来るだけ遠くへ。これは冗談でもなければ、単なる脅迫でもない。凡そ三十分後に恐怖は始まる。大都市であればあるほど災いは大きい。
警告する、一刻も早く逃げなさい! 警告する、一刻も早く逃げなさい! 警告する、一刻も早く逃げなさい! ……」
コンピューターウィルスらしく、最後の『警告する、一刻も早く逃げなさい!』は、無限に続いて止まらなくなった。もっとも今回のウィルスは単純なもので、電源を一度切りさえすればパソコンの機能は簡単に回復した。
このメッセージを間に受けて逃げた者もいたのだが、その数は世界の主だった都市の総人口の0.01パーセント位に過ぎなかった。
逃げなかった最大の理由はサンドシティの屋内格闘場の爆破事件が、核爆弾によるものである事を当局が秘密にしていたからである。
その理由は何時もの如く、
『パニックになったら大変だ!』
であった。パニックなぞ恐るるに足りないほどの恐怖が目の前に迫っていたのだが……。






