幻の強者(12)
「アアーーーーッ!」
ちょっと信じられないという会場内の空気になった。
ロボットが歩き出すと驚きは更に大きくなった。素早くしかも殆ど音も無くブラックはリングに向かって歩いて行く。その自然で滑らかな動きは、今までのロボットの水準を遥かに凌駕している。
ブラックの歩いている間に再びアナウンスがあった。
「このロボットは浜岡敦博士の傑作中の傑作です。そしてこのロボットの能力は、前世紀最大の格闘家、天の川光太郎氏と完全に同値です。
彼が習熟したあらゆるテクニックをマスターしており、従ってこのロボットに勝つことが出来れば、世紀を超えた、史上最強の男であると証明された事になるのです。
ただしこのロボットは燃料電池の寿命から、三十分しか最高度の戦闘が出来ません。その為、試合時間は三十分とします。
勿論機械は人間のように疲れないので、一種のハンディとして、エムさんにはハイテク道着を着けたままにして貰い、更に一切のルール無しで結構です。
こちらのブラックは通常の格闘技のルールを遵守します。尚レフリーはつけません。ダウンによるカウントは、不肖この私、神山里美が行います!
ダウンの回数は問いません。ただ単にテンカウントでゲームセットとなります。判定も御座いません。リングの外に落ちたら負けになる事は同じです。三十分で決着が付かない場合は引き分けと致します。エムさんそれで宜しいでしょうか?」
金雄は頭を縦に振って、
「はい、それでいいです!」
一言で了承した。ブラックはリング下に立つと、素晴しいジャンプ力でロープとロープの間から飛び込み、回転受身でくるりと前転してふわっと飛び上がり、スタッとリング上に降り立った。
「ウウワワオオーーーッ!」
会場内に大きなどよめきが起こった。このロボットのブラックは、キングをも凌ぐ強者であるらしい事を、会場中が、中継されているテレビを見ている世界中の者達が、そして誰よりも金雄が思い知らされたのである。
スポットライトは解除され辺りがすっかり明るくなると、ブラックは金雄とほぼ同じ体格である事が良く分かった。
それから間も無くアナウンサー兼場外レフリーの神山里美が、ちょっと妙な感じではあったが、
「互いに礼! 始め!」
と、試合の開始を告げた。金雄は直ぐ突進しようとしたがブラックはジャンプして後ろのロープの最上段に飛び乗った。
「ボムッ! ボムッ! ボムッ! ボムッ! ……」
何を思ったのか小気味良いリズムで、ロープの上で垂直にジャンプを始めたのである。最初は小さく、段々ロープの反動を利用して、高く飛びだした。ロープの上に立つことさえ困難なのに、ブラックは全く揺るがずに正確にジャンプを続けた。
すると会場からは、
「エームー! エームー! エームー! エームー! …………」
と、エムの大合唱が沸き起こった。
『金雄もやれ!』という事らしい。金雄は少し躊躇ったが、このままではブーイングが起きそうだったので渋々ながらやってみる事にした。
『試合には関係の無い事なんだがなあ……』
そう思いながらも、ジャンプしているうちに、ブラックの意図が、それは多分浜岡の意図なのだろうが少し見えて来た。
『在り来たりの試合開始では面白くないという事か。受けて立つ義務は無いが、まあ良いだろう。そうか、その為にレフリーが居ないのだな……』
普通にレフリーが居ればこんな事はさせないだろう。これが何の役に立つのかは分からなかったが、浜岡の巧妙な演出のようである。
ここまで来たらもうたとえそれがデモンストレーションに過ぎないとしても、ブラックには負けてはいられない。金雄も段々高く飛び始めた。ブラックも負けじと更に高く飛ぶ。
二人のジャンプがロープの反動もあって三メートルを軽く超えて、機が熟したと思われた時、阿吽の呼吸で両者はリングの中央の五メートル余りの高さの空中へ飛び出した。
試合開始早々、二人の戦いは常識を遥かに超えたものとなった。空中で交錯し、落ちながらの激しい攻防となったのである。
ブラックが先に落ち、金雄の会心の膝蹴りが、腹部に見事に決まった。たとえ相手が誰であろうと、かなりのダメージを受ける筈である。
しかしブラックは一瞬動きが止まっただけで直ぐに回復した。そもそもロボットには痛みという感覚そのものがないのである。
衝撃は機械的に処理され、簡単に回復してしまう。金雄がダメージ軽減の為のグラブなどを外し、その上に一切の禁じ技がないから有利だ、という女子アナウンサー神山里美の言葉だったが、それでも尚ハンディ不足に思われるほどであった。