幻の強者(8)
「ああ、承知している。しかしこのチャンスを逃したらお前と一生話が出来ないかも知れないんでね、敢えてする事にした。お前はあの時の事を覚えているか?」
「あの時の事?」
「ああ、数年前にお前が空き家に住んでいた時のことだ。天空会館のトップテンがお前を成敗しに行ったことを覚えているだろう」
「闇討ちの時の事か?」
「ふん、卑劣なお前にはああでもしないとな。その時に一人だけ逃れた男がいただろう。それが俺だ」
「良く覚えている。俺は立派な事だと感心しているが」
「そんな風に考えるのはお前位のものさ。あの時事前にもしもの時には俺が早めに逃げ出して、天の川先生に報告することになっていたんだ。
皆その事を表向きには信じてくれている振りをしているが、裏ではこそこそと、『臆病者!』と俺を散々罵っているのさ」
「俺はそうは思わないがな」
「お前のような野獣にどう思われようと構わん。しかし世間の奴らはそうは思ってくれない。この数年間俺がどれ程辛い思いをして来たか、お前に分かるか!」
「それは……」
「そこで俺はお前を倒す事にした。その為に死に物狂いで練習して来た。お前をリングの上で倒せれば、俺の言った事は嘘ではなかったんだと本気にしてくれるだろう。
その為には俺は手段を選ばん。覚悟しておけ、どんな事をしてでも必ずお前を倒してやる! いいか、どんな事をしてでもだぞ!」
「反則技を使うという事か?」
「はははは、さあ、どうだろうね。ただリングの上でお前は死ぬかも知れんぞ。いや、必ず殺す。お前が死ぬ前に一言言って置きたかったのさ。死んでからじゃあ何も聞こえないだろうからな」
ガチャリ、とそこで電話は切れた。
『ふうん、随分辛い目に会わせてしまった様だが今更どうしようもないな。申し訳ないが勝たせて貰う。俺はキングと戦いたいんでね』
金雄は一瞬過去を思い出したが、直ぐに吹っ切れた。キングに勝つ為には、余りのんびり戦ってはいられない。
最短の時間で原田源次郎を倒す方法を必死になって考えていた。少しして係員が呼びに来た。リングの上では物凄い形相で原田が待っていた。金雄は最初から目をそらしていた。傍目には金雄が原田の気迫に負けている様に見えただろう。
「エムはちょっと元気がないな。それに比べると原田源次郎は凄い気迫だ。殺意さえ感じる」
そんな囁きがあちこちから聞こえて来た。
しかし金雄が目をそらしているのには訳があった。野獣の様な時代ならいざ知らず、今は優しい気持ちも持ち合わせているのだ。
もし目を見たりすると、過去の経緯を思い出し、ついつい同情してしまいそうだったから敢えて見ない様にしていたのである。
直ぐに試合は始まった。レフリーは両者が日本人ということで、同じ日本人だった。
「互いに礼! 始め!」
レフリーの始めの言葉が掛るや否や、その姿が見えないほどのスピードで金雄は原田に突っ込んで行った。
「ドオーーーーーンッ!」
金雄の猛烈な両手突きで、原田源次郎の決して軽くはない体が吹っ飛んだ。その体は一瞬だがロープに張り付いた。更に第二弾。今度は飛び膝蹴りが顎に命中。
ハイテク防具を付けているのにも拘らず原田ほどの男がその場に崩れ落ち、完全に失神してしまった。カウントの必要も無く、あっさりと金雄の勝ちが決定し、原田もまたスパルク同様タンカで運び出されて、即病院送りになった。試合続行不可能なのは言うまでも無い。
「ウウウワオオオオーーーーッ!」
物凄い大声援が起こった。人気絶頂の金雄が優勝候補の筆頭とも言われた原田源次郎に圧倒的な強さで勝ったので、場内の興奮は凄まじいばかりになったのである。
「エームッ! エームッ! エームッ! …………」
金雄の愛称が会場中からしつこいほどに連呼され続けた。金雄はやはりちょっと照れた様に片手を上げて声援に応えただけで、さっさと退場した。知り合いの応援に対しても今度は実にそっけなかった。金雄の頭の中にはキング戦の事しかなかったのだ。
今回は少し長めに休憩時間がある。スパルクと原田の試合が両者棄権で流れたので一時間位は休める。係員に誰も部屋に近づけない様にして貰って仮眠を取る事にした。正確に言えば横になって作戦を練る積りだった。
前日の予選の時とは違って、試合に集中する為にアナウンサーのインタビュー等は自分の試合が全て終ってからになっていた。
「ルルルル……」
しかし、また電話が来た。
『今度は誰だ。少しは休ませてくれよな、まさか浜岡じゃないだろうな……』
多少の不安を感じながら受話器を取った。
「あのう前にお話を伺ったことのあるアナウンサーの野口と申します。ご無理を言って本当に申し訳御座いませんが、ちょっとだけインタビューに答えて頂けませんか」
野口アナウンサーと言えば、最初に金雄達と一緒に部屋に入って、彼が決して噂されている様な悪魔的な野獣ではない事を説明した相手である。