幻の強者(1)
ナンシーの予想通り二人は久し振りに情を交わした。しかし僅かな違和感を二人とも感じた。だがそれについては、二人とも一言も触れなかった。触れるのが怖かった。
美穂は金雄の中にナンシーの影を感じていたし、金雄は自分の心の中の順序が何時の間にかナンシーがトップになっていることに、その時になって初めて気が付いた。美穂をトップと信じていたのは幻想に過ぎなかったのだ。
全裸で抱き合いながら二人は、離れていた時間を取り戻そうとした。しかし時間がそうそうある訳ではない。美穂を抱き締めながらも、金雄はナンシーの事が気になっていた。そしてここの所全く音沙汰の無い浜岡の動きも気になっていたのである。
『やっぱりなるべく早く、ナンシーと美穂は俺から離さないと不味いぞ。あの浜岡が黙っている筈が無い!』
金雄には嫌な予感がしてならなかったのだ。
二人の心の溝が埋まる前に、久し振りの情交にピリオドが打たれた。特に不満がある訳ではないが、嬉しくて嬉しくてしょうが無いという程でもなかった。クリスマス特番でナンシーと金雄の仲の良さそうな様子を見た時から、こうなる事を美穂は恐れていた。
そこで彼女は、彼女なりの奥の手を携えて来たのである。服を着てテーブルに向かい合って座ると、美穂はその奥の手を披露した。
「ねえ、とうとう分かったわよ。変な話なんだけど、今問題になっている浜岡敦博士がね、本人の直筆かどうかは分からないんだけれど、手紙で教えてくれたのよ」
「え、な、何を?」
「貴方の両親の事よ」
「な、何だって!」
さすがの金雄も動揺した。
「落ち着いて聞いてね。……とても残念な知らせでもあるのよ」
「残念な知らせって、まさか……」
「そのまさかなのよ。貴方のお母さんは、大樹海の中を流れる大樹川の河口の少し手前で、死後かなりの年月の経っている、半ばミイラ化した遺体で発見されていたのよ」
金雄の心情に配慮して、美穂は感情を押し殺し、努めて淡々と言った。金雄は辛そうな表情をしていたが、それでもじっと続きを聞いていた。
「何年か前の事になるんだけど、身元が分からなくて結局無縁仏として葬られたようよ。僅かに残った遺留品からも身元は分からなかったんだけど、ごく最近、浜岡博士が徹底的に調べた結果、貴方の証言と、彼女の亡くなった時期がほぼ一致するし、推定の年齢や、遺骨を調べた結果の体格や骨格の状況などから、格闘技をやっていた人に間違いないことが分かったのよ。とすれば、考えられる事は一つしかないわ」
「し、しかし、それだけでは決定的な証拠にならないのでは?」
金雄は何とか生きていて欲しいと思ってそう言った。
「ところが遺品の中に小さな手帳があったのよ。文字が滲んでいて殆ど読めなかったんだけど、浜岡博士は、コンピューターの技術をフルに使って遂に解読に成功したのよ。
彼女の名前は大崎恵美。その子供の名前は大崎、夢が限り無いと書いて『夢限』。貴方が言っていた『ムゲン』と一致するわ」
「アアアア……」
金雄は母親の死を受け入れざるを得なくて崩れ落ちそうになった。
『多分死んでいるのだろう』
と思ってはいたが、心の何処かでは生きていて欲しいと強く願っていた。その幻が消滅した今はもう何の希望も無い。
「それから、……もう一つお父さんの事なんだけど、言っても良いかな」
落ち込みの激しい金雄を見て、美穂は何だか言いそびれた。
「……言ってくれ。誰であっても良い。今更聞かない訳にも行かないよ」
「そう、じゃあ、言うけど。貴方のお父さんは、天空会館元館主の天の川光太郎よ」
「な、何だって。そんな、何故? あいつは俺を知らなかったぞ、俺も知らなかったが。一体全体どうなっているんだ」
金雄は混乱した。
「じゃあ、訳を話すわ。光太郎さんは三十過ぎて結婚と同時に引退したんだけど、奥さんの紀子さんになかなか子供が出来なかったのよ。
で、よくある話だけど、子供欲しさの余り愛人を作ったの。その愛人が大崎恵美さん。彼女も天空会館の一員だったんだけど、まだ本来の力を発揮する前だったから、世間的には殆ど知られていなかったのよ。
でも光太郎さんはその資質を見込んで個人的にレッスンしていたらしいわ。それでだんだん仲良くなって関係が出来たのよね」
落ち込んでいる金雄を見ながら、なるべく軽めに話を続けた。