ユミ(30)
ナンシーは一睡もせずに金雄からの頼まれごと、日本のナンシーファンに美穂の居場所を探らせる事と、彼女の監視役の発見を命じた。
また安川君やその仲間達に連絡を取って、オーストラリアから日本への飛行機の切符の手配などを命じた。何時に無い緊迫した彼女の様子に、ファン達は必死に応え様としていた。何とも頼もしいファン達ではある。
大晦日の朝六時。約束通り竜太が愛用の随分使い古したサファリカーで迎えに来た。珍しくユミが皆の分の朝食を準備しているのだそうである。何時もは竜太が調理して、ユミは手伝うだけだったのだが。
ユミの運転に比べれば、亀の様にのんびりとしたスピードで車は佐伯ジムに到着した。
「お早う御座います。朝食の支度はすっかり出来ていますからね。どうぞ召し上がって下さい」
「お早う御座います」
「お早う、ユミさん」
口々にお早うを言ったが、ユミの意外なほどの明るさに翔も金雄もナンシーも驚いた。
「何だか別人の様になったな……」
金雄の口から自然にそんな言葉が出た。
「はい、私は生まれ変わりました。エムさんの事は大好きですが、私の結婚相手ではないと悟りました。私が結婚したいのは、あの、今はちょっと言えません。
身勝手過ぎて、凄く申し訳ないので……。でも、もし許して貰えたら、その時に言います。あっ、と、とにかくいただきます!」
「いただきます!」
日本式の食事の挨拶から朝食が始まった。献立もすっかり和風で、ご飯と味噌汁と納豆。お新香と鮭の切り身の焼いたものである。
その他には何故か、日本の旅館風に新鮮な生卵と味付きの焼きのりとが付いていた。金雄とナンシーにとってはまたしても感激の食事だった。
「うまい!」
「おいしい!」
と、ご飯の他に味噌汁も御代わりをして食べた。前夜の激しい営みが食欲を増進させていたのかも知れない。
食後のお茶の時間に今夜と明日の事を竜太が聞き始めた。
「エムさんとナンシーさんは何処に泊まりますか? ここにして頂いても宜しいんですが、早いとこ決めて頂かないと支度がありますもんで、……」
金雄とナンシーは顔を見合わせて、一呼吸置いてから何時ものようにナンシーが答えた。
「有難う御座います。ただ勝負事はやってみなくては分かりませんので、宿はこちらで手配いたします。今まで本当に有難う御座いました。
それであのう、御代の方はまた来年の為の先払い、という事にして頂けると有難いのですが。何だか身勝手な話ですけど」
「えっ! ら、来年の為の先払いですか? 随分気の長い話ですね。じゃまあ、そちらさんがそれで良いと仰るのならそういうことに致しましょう。はははは、本当にそれで宜しいんですよね?」
竜太は恐縮しながらも、内心はほっとしていた。溜まった付けの一部をそれで支払えるからである。無論ナンシーにも金雄にも異論はない。
そもそもそのお金は浜岡のくれたものである。それが人の役に立つのなら、
『十年分ぐらいまとめて支払っても良い位だ』
二人ともそう感じていた。
「それではこれで失礼します。きっとまた来年も会えると思いますので、その時は宜しく」
金雄はお別れの挨拶をしたが、竜太が思い掛けない事を言った。
「でもまだ最後のお別れではありませんよ。実は今年は、屋内総合格闘場のチケットが三枚ありましてね。明日の決勝戦の席なんですが、応援に行きますから、今日の予選、何としてでも突破して下さいよ!」
「竜太さん、それを早く言って下さいよ」
「そうよ、お父さん、そういう事は早く言うものよ」
翔とユミはたしなめる様な言い方をした。
「ところがそうは行かないんだなこれが。実はねキャンセル待ちだったんだよ。まともに買ったんじゃ高くてね。これが貧乏人の知恵って奴でしてね。
それじゃあ、エムさん、ナンシーさん『明日会場でお会いしましょう!』って、あっしが送って行くんでしたね。あはははは!」
竜太が陽気に笑うと、
「はははは!」
皆も釣られて笑った。ナンシーも金雄も、この楽しさが何時までも続けば良いのにと思わずにはいられなかった。
「じゃあまたお会い致しましょう、その時までさようなら」
ユミは名残惜しそうに、そう言って手を振った。
「きっと会えますから。また来年も必ず来ますから」
ナンシーも竜太の運転する車の窓を開けて、やや身を乗り出して手を振った。車が角を曲がるともうユミと翔の姿は見えない。
ナンシーはすっかり車中の人になると、
「あ、あのう済みません、私、何だか眠くて」
そう言うなりもう眠り掛けていた。