ユミ(20)
「な、成る程、そういう事情が御座いましたか。……では裏口からお帰り下さい。車を待たせておりますから。信頼出来る男ですので、乗ったら帰ると仰って頂ければ、トラックの場所までお連れ致します」
「あ、有難う御座います。それでは、今後とも宜しくお願い致します」
「はい。また何かあったら、お知らせ下さい。こちらも新しい情報が入り次第お知らせ致しますから。それじゃ」
「じゃあ、失礼致します」
美穂は入って来たのとは反対方向にある、これもすこぶる厳重な何重にもなったドアを開けて貰って、裏口から外に出た。
乗用車が待っていて、自宅同様にしている超大型スーパーの駐車場に止めてあるトラックまで送って貰った。
「どうも有り難う御座いました」
送ってくれた車を見送りながら、多少不安に駆られる。
『もし、私が監視されていたとすると、一時的に彼等の視界から私は消えた事になる。かえって疑われる事になるのじゃないのかしら?』
しかし今更どうにも出来ない。桑山研究所への出入りで精神的にかなり疲れたので、暫くトラックの中で仮眠を取る事にした。
流星拳の道場の朝は何かしら厳かなものがある。ピリリと緊迫した雰囲気の中で、金雄とナンシーとユミは翔とその内弟子達と一緒に朝食をとった。
朝食の支度の一切は二人の女性の内弟子達がやっている。古風な流派らしいやり方で、人によっては性差別だと怒る者もいるかも知れない。しかしここではそれが当たり前になっているようである。
食事中に翔は金雄に頼みごとをした。
「エムさんにお願いがあるのですが」
「はい、なんでしょう」
「折角のご縁ですから、多少なりとも指導や模範演技などをしては貰えませんでしょうか?」
「はい。ただ流儀が違うので、不味いのではありませんか?」
「ここでは試割等はしませんが、例えば、天井から吊るしたボールを蹴るトレーニングや、近くにある岩山に登ったり降りたりするトレーニングがあります。一つお手本を見せて頂けないでしょうか?」
「お手本になるかどうかは分かりませんが、やってみましょう。岩山というのはどのくらいの高さがあるのですか?」
「ほんの百メートルほどですが、かなり険しいので練習に丁度良いのですよ」
「昨夜は夜だったので岩山は良く見えませんでしたが。……そうですか、分かりました、やってみます」
割合簡単に了承した。
食事も終って、ユミとナンシー以外は全員が道着を着て道場に集まった。天井を見ると、翔の言葉通りボールが幾つも吊り下げられている。低い位置のものから、高い位置のものまで十個ほども並んでいた。
「低いのは子供用でして、次が女子用。一番高い天井から十センチ位しか離れていないのがこの道場の最高記録です。残念ながら私はまだそれに届いていません。私の父の記録です。次の高さが私の記録です。
しかし通常はその次の高さのボールに届くのが精一杯です。先ず私の弟子達にやって貰いましょう。じゃあ順次にやってみなさい」
「はい!」
内弟子は女子二名、男子八名の全部で十名だった。しかし三番目のボールにすら誰も届かなかった。最後に翔が何とか届いた。
「それではエムさん、お願いします」
「申し訳ありませんが、天井を蹴ってもいいですか?」
「えっ! て、天井に届きますか?」
「まあ、多分」
「構いません、突き破っても」
「あ、いや、破るのは遠慮して置きます。修理が大変ですから。じゃあ行きます。えいっ!」
「バンッ!」
金雄は軽く飛んだが、あっさり天井に届いて、加減して蹴って、空中で一回転して床の上に降り立った。
「オオオーーーッ!」
思わず驚嘆の声が上がった。しかしユミは余り驚かない。
「今日は良く晴れているから早目に岩山に行きましょうよ。本当の力はあそこで分かります」
そう断言した。
岩山は思ったよりも近くにあった。結局ユミとナンシーも女性の内弟子の二人から予備の道着を借りて、全員道着姿になって翔を先頭に、二列に並んでランニングでその岩山に向かった。
如何にも全員が同じ道場生の様に見えて、金雄とナンシーが目立たなかった。時折見掛ける野次馬やマスコミ関係者の目くらましに丁度良かったのだ。
「一、二、一、二、…」
全員で号令を掛けながら、一番体力の無いユミに合わせてゆっくり十分ほど走ると、岩山の麓に到着した。
「山と言うからもう少しなだらかなものを想像していたのですが、そそり立つ崖みたいなものですね。これじゃあロッククライミングみたいにしなければ登れませんね」
金雄は昇り降りは相当きつそうだと思って言った。