ユミ(18)
「目途は立っていない。しかし新規に建設しているものがある。こんな事もあろうかと、新規のエレベーターには野々宮を一切参加させていないのだ。
ただロボット兵を運搬出来るエレベーターとなるとそれこそ三年も掛る。掘りやすい所は既に掘ってしまっているからね。固い岩盤をくり貫かなくちゃならんからな」
「食糧やエネルギーの備蓄なんかは大丈夫なんですか?」
「ふふふふ、そこに抜かりは無い。最低でも三年は持つ。節約すれば十年は持つだろう。いざという時には、籠城も考えているのだからね。
予定通りに行って、三年後に世界を相手に戦って、もし不利になっても、その時には籠城が五十年は続けられる様にする積りだったんだが、大幅に予定が狂った。
しかももう一つ不味い事がある。それも野々宮が絡んでいるんだが、どうやら市販されているロボットに付いている、一斉蜂起用のチップが発見されたようなのだ。
野々宮に手伝って貰ったのが総て裏目に出た。……もはや待ってはいられない。世界制覇を諦めるか、来年早々にも宣言して勝負するか、二、三日中には結論を出さねばなるまい。
美千代、お前はどう思う? 私に愛想が尽きたら、今すぐ出て行ってくれ。今ならお前には傷が付かないだろう。私に関わるもの全てを置いて出て行けば、何も知らないただの愛人と言う事で済む。しかし明日になったら私はお前を離さない。死ぬ時は一緒だ! どうする? 今日中に決めてくれ!」
浜岡は真剣な表情で言った。
「わ、私は、……。少しだけ考えさせて下さい。本当に今日中なら後を追わないんですか?」
「ああ、お前には良くして貰った。幼い頃から、天才、天才と騒がれていた私は、本当は孤独だった。幸か不幸か両親には学が無く、私を全く理解出来なかったし、私を普通の子供としては愛してくれなかった。それどころか疎ましくさえ思われていた。殺されかけた事さえ何度もあった位だ。
結婚もしたが、家柄を鼻に掛ける嫌な女だった。お前だけが違っていた。その気になれば何不自由ない暮らしも出来たのに、まるで普通の家庭の主婦の様に、炊事、洗濯、掃除までしてくれた。家庭の温かさを私はお前によって初めて手にした様な気がした。凡そ十年の間、私は幸せだった」
浜岡は感無量になったが、しかし直ぐ気持ちを切り替えて、言葉を続けた。
「貯えはあると思うが、もし足りなければ、金庫の中にキャッシュや貴金属類がある。何回かに分けて全部持って行って良い。数百億ピース位はあるだろう。もう一度言うが、期限は今日中。
明日になれば私はお前を手放したくなくなるだろうよ。それじゃあ私は出掛けて来る。深夜に帰宅する予定だ。午前零時を過ぎてから戻る。その時に居るか居ないかでお前の運命は決まる。どちらでも自由だ。じゃあな!」
浜岡は覚悟を決めて出掛けた。愛人の美千代にこのような決断を迫るという事は、既に敗北の確率が高いという事を意味している。
『でも、ムーンシティで彼と一緒に篭城するのも悪くはないわね。もう私も若くはないけど、だからと言って平凡な生活は絶対に嫌だわ。うーん、だけど死ぬのもちょっとねえ、……』
美千代はひたすら迷っていた。
小笠原美穂は手紙の指示通り、下着から上着まで新調して、靴や靴下、イヤリングの類も買い換え、キャッシュだけを持って、バスで桑山研究所に向かった。
用心の為に三つ前のバス停で降りてそこから歩いた。小雪の舞う寒空の中を歩くのは久し振りだった。
『ああ、学生の頃を思い出すわね。中学の頃はちょっとした不良だったから、ミニスカートでこんな雪のちらつく日も歩いてたわね。今じゃ殆どGパンだけどあの頃が懐かしいわね。ううう、でも寒いわねえ』
見栄を張って少し薄着にして来たのがたたって、かなり寒かったが、やっと桑山研究所に着いた。
二階建ての普通の住宅より少し大きい程度の建物で、全体に白っぽく、高い塀にぐるりと囲まれている。あちこちに監視カメラがあったり、アンテナの類が三つ四つあるところが一般の家庭とは少し違う印象を与えていた。
室内に入ると直ぐ受付があった。
「あのう、小笠原美穂と申しますが、桑山先生にお話があって参りました」
「はい、小笠原美穂さんですね。少々お待ち下さい。」
少し待っていると、受付嬢ではなく、スピーカーから声が流れて来た。
「小笠原美穂さん、所長の桑山です。先ず真っ直ぐ歩いて下さい。ドアの前で立ち止まって下さい」
なんだか良く分からなかったが言われる通りにした。すると一瞬で後ろのドアが閉まり、狭い場所に閉じ込められた形になってしまった。