ユミ(8)
「いやあ、しかし予想以上にお強う御座いました。あの安藤君が一瞬でやられるとはねえ……。ああ、そうそう、じき夕食に致しますから食堂の方に来て下さい。
ホテルのレストランみたいな訳にはいきませんが、鮭などの焼き魚に豆腐とわかめの味噌汁、それとお新香といった日本食はどうですか?」
「ああ、それは良いですね。是非お願いします」
「私も大歓迎よ。焼き魚なんて久し振りね」
食堂といっても、テーブルとイスだけのシンプルなものだったが、豪華なホテルのレストランとは違った素朴さがあってむしろ気持ちが落ち着く。
二人がそこで今後の事で盗聴されても差し障りの無い話をしていると、ユミと私服に着替えた安藤翔とがやって来た。
「怪我の方は大した事が無かったので、ここで夕食を一緒に取りたいのですが宜しいでしょうか?」
ユミが気を使った。
「勿論よ。金雄さんも良いわよね」
「ああ、何の問題も無いよ」
翔はうな垂れていたが、間も無く重い口を開いた。
「トリックだなんて言って悪かったです。全部本当である事を悟りました。申し訳御座いません」
翔は丁寧な言葉遣いで謝罪した上に金雄に深々と頭を下げた。一緒になってユミも頭を下げた。
二人の関係はそれだけ深いのだろう。それにしても自分の誤りを素直に認める潔さに、金雄もナンシーも翔に対しては好感を抱いた。
「いや、分かって貰えればそれで良いんですよ。それよりも番組の前宣伝で、俺が極悪非道な人間に扱われていますが、あれは殆ど事実無根です。それは信じて貰えるでしょうか?」
「あれは有り得ないですね。テレビで貴方を見た瞬間、あれは嘘だと思いました。ただ、番組そのものがインチキだと思ってしまったのは、私が未熟だったからです。
自分の腕が世界のトップクラスだと自惚れていました。その私が出来ないのだからトリックに違いないと、早合点してしまったのです。
私の友人達にもそう言ってしまいました。お詫びと言っては何ですが、私の友人達に訂正の電話やメールで知らせようと思っています。
それからさっきの試合の結果も、ちょっと情けなかったですが、ほんの一瞬で失神してしまった事も勿論正直に言います。
……それであのうユミさんに色々事情を聞いたのですが、マスコミや野次馬達にかなりしつこく追われているそうですね」
金雄の失言(?)を恐れてかナンシーが素早く答えた。
「そうなのよ。テレビであんな風にオーバーに扱われるなんて、夢にも思っていなかったの。多分三日位で嗅ぎ付かれると思うんだけど、その前に何処かに逃げたい気分だわ。でもこの街の事は余り詳しく知らないから困っているのよ」
「だったら、明後日辺りにでも翔ちゃんの道場に行きませんか? 自宅と道場と一緒になっているのですけど、空いている部屋が有りますから、泊まれますわよ」
ナンシーの言葉を受けて、今度はユミが翔の負担を少しでも軽くしようとしているかの様に言った。
「そうねえ、そうして貰えると助かるわ。金雄さんそうしましょうか?」
「うん、ご迷惑でなければ、お願いしようかな」
今後の予定が幸いにもとんとん拍子に進んで和やかな雰囲気になったところで、
「夕飯の支度が出来たから、ユミ運んでくれ」
調理場の方から竜太の声が掛った。
「はーい!」
「私も手伝うわ」
「ああ、いえいえ、それには及びませんから、どうぞお客様方は座って待っていて下さい」
ナンシーの申し出を料理を運んで来た竜太は柔らかく断った。一旦腰を上げたナンシーだったが、
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて、そうさせて頂きます」
改めて座り直した。
慣れているのだろう、ユミと竜太は大きなお盆に載せて素早く料理を運んで来た。二度ほど往復するとテーブルの上は直ぐに和風の食卓になった。
まるで家族の様に五人で夕食を取った。一家団欒のひと時に、漠然と飢えていた金雄の目には確かに込み上げて来るものがあった。それは一滴の光となって零れ落ちたのである。
「ど、どうしたんですか?」
ユミが驚いて金雄に尋ねた。竜太も翔も驚いて様子を見ている。ナンシーが金雄の代わりに答えた。
「す、済みません。金雄さんはこういう雰囲気に慣れていなくて。でもずっとこういうのに憧れていたんだと思います。わ、私もちょっとこういう、家族的な雰囲気に弱くて、はははは」
ナンシーも涙ぐんだ。彼女も人を殺して家族に見捨てられて以来、もう何年も家族一緒の食事なぞ無かったのだ。
ちょっとしんみりしてしまったが、ナンシーは話題を変えて場を盛り上げようとした。
「ところで、ユミさん翔君が負けてショックだった? 随分自信があったみたいだったけど」
「何でも無かったと言えば嘘になるけど、余りに早く勝負がつき過ぎて、ショックを受ける間が無かったの。お父さんがタンカ、タンカ! って叫ぶし、死んじゃったらどうしようって思って、ちょっと怖かったし……。でも思ったほどの怪我じゃなくて安心しました」
「今はどう?」
「私にはまだちょっと信じられないんです。それでその、少しばかり気の付いた事があるのですが、言っても宜しいでしょうか?」
ユミはまだ完全には納得していなかったようである。