逆カルチャーショック(2)
「ああ、見て。今、別室に案内されて行く所だけど、別室から出て来る頃にはすっかり大人しくなってるわ。私も知らない内は心配したんだけど、ここの従業員はそれを知ってるから誰も慌てないわ」
「へえーっ、そうなんだ。それを聞いて安心したよ」
「じゃあ行きましょう」
「うん」
通路の突き当りを右に曲がると、会員専用と書かれたドアが有って人が一人立っている。普通の従業員とは違うようである。格闘技の心得がありそうだった。多分門番のような役目をしているのだろう。
「ああ、美穂さん、いらっしゃい。今日はボーイフレンドと一緒ですか?」
「皆そう言うけど違うのよ、橋本さん。お世話になった人だから、お礼の積りでここに連れて来ただけなんですからね」
「はい、分かりました。どうぞお通り下さい」
橋本は丁寧にドアを開けた。二人が通るとまた丁寧にドアを閉めた。顔はニヤニヤ笑っている。金雄はそこからが意外に長い通路になっている事に驚いた。まるでホテルの廊下の様に左右にドアが並んでいる。そこをゆったりと話しながら歩いて行った。
「もう、私の言う事がそんなに信じられないかな、何でも無いって言ってるのに」
「ひょっとすると顔に書いてあるんじゃないんですか?」
「ええっ! ほんとに?」
美穂は真顔で驚いた。
「あ、冗、冗談です。本気にしないで下さい!」
「ああ、もう、金雄さんまでそんな事を言って私をからかって!」
「す、済みません、済みません」
今度は金雄が真顔で何度も謝った。
「あ、そんなに謝らなくても良いのよ。ああ、ここよ、ドアに名前が付いているでしょう、小笠原美穂って」
「成る程、アパートみたいですね」
「でも違うのよ。どの部屋にも鍵は掛けられないのよ。鍵穴が無いでしょう?」
「ああ、そうですね。つまりあくまでもレストランの延長線上にあるという事ですか」
「そういう事。そんな所に大切な彼氏を連れて来る訳が無いでしょう?」
「う、ぐ、ま、まあね」
「あ、御、御免。貴方が大切じゃないって言っている訳じゃないんですからね。誤解しないでね」
「大丈夫です、気にしてませんから」
美穂の部屋に入ると自動的に明かりがついた。確かにホテルの部屋のようにベットなどは無くレストランの個室の様な作りになっていた。
部屋の中央に大きな四角いテーブルがあり、イスが十脚ほどある。何処と無くカラオケルームに似ている。実際カラオケ設備もある。呼び出しボタンは部屋の隅のデスクの上にあった。
二人はテーブルの幅の狭い方を挟んで向き合って座った。その方が話し易い。カラー写真付きのメニューを二人で捲って何にするか品定めを始めた。
「さあて、金雄さん何を食べますか? その前にお酒を飲みます?」
「うーん、俺、お酒って飲んだ事が無いから良く分からないんだけど。こんな時は何を飲んだら良いのかな?」
「ぜ、全然無いの? 一滴も?」
美穂の逆カルチャーショック第二弾が始まった。
「あ、貴方本当に二十才過ぎているんでしょうね?」
「はい」
「そ、そうよね。私こう見えても年齢を当てるのは得意な方なのよ。ずばり二十三才でしょう?」
「はい、当りです」
金雄はやや無表情に答えた。
「やっぱり。それでビールの一杯も飲んだ事が無いの?」
「はい、酒類は一滴も飲んだ事が無いです」
「じゃ、じゃあ思い切ってここで飲んだら?」
「大丈夫でしょうか? 自分が酒に強いのか、弱いのか分からないので不安なんですよ」
「ははは、ビールの一杯位飲んだってどうって事無いわよ。じゃあ決まり。ここの名物のステーキ定食二人前と私はウーロン茶。貴方は生ビール、手始めに中ジョッキ一杯にするけどいい?」
「それでいいです」
美穂は手馴れた様子で呼び出しボタンを押し、やって来たウェートレスに注文した。間もなく料理が運ばれて来ると、ウーロン茶と生ビールで乾杯した。
「ごくっ!」
生まれて初めて飲むビールの味がどんなものなのか、大人ならば殆どの人が経験している事なのに、その瞬間の記憶は大抵余り無いものである。美穂は金雄の様子を固唾を飲んで見守った。
「う、う、苦いですね。こんなものが美味しいんですか?」
「慣れて来ると美味しく感じる様になるのよ。料理を食べてからもう一口飲んで、また食べてからもう一口飲む。それを繰り返している内に慣れて来て、その内ビールだけでも飲める様になるわ、きっと」
「成る程、勉強になりますね」
「べ、勉強になるって程のもんじゃないんだけど……」
美穂は逆カルチャーショックに頭がくらくらして来たが、決して不快ではなかった。むしろとても楽しかった。