反乱(6)
「頼みます、あっしには病気の妻と、幼い二人の子供が、あっしの帰りを待っているんで御座えます。どうかどうか許して下せえ!」
今度は少し言葉を変えて、同情を誘う作戦に出て来た。指を組んで金雄を拝むような動作をする。二、三歩前進すれば、金雄に手が届く位置であった。やはり違う言語で同じ内容の言葉を発しているのだろう。
場内の雰囲気は今度は同情に変る。気が付いてみると既に三分は経過している。金雄がこれ程長くリング上にいたのは初めてである。
『間合いを詰めて来て、次はあの団子の髪で俺の目を狙うか、さもなければ低い姿勢だから股間を拳で狙って来るのだろう。場内の雰囲気は完全に彼のペースだ。
彼の攻撃の前にこっちが攻撃するのは不味い。よし、ならば彼に攻撃させよう。その後での攻撃ならばブーイングにはなるまい。それから後の事は成り行きに任せよう』
金雄の方針は決まった。一歩前進してから、金雄も膝を付いたのである。これは股間への攻撃をやりにくく、また守り易くする為だった。
髪の毛の団子で目を狙って来い、という暗黙の挑戦でもある。更に如何にも親しげな笑顔を見せながら握手を求めた。
「ホーーーッ!」
場内の雰囲気が変った。金雄の予想外の行動が好感を持たれた様である。握手は平和的な行動である。握手をしてしまっては心理的に攻撃をし辛いと感じたのかポンポコは、
「妻子の為だ、許せ!」
短く叫んで首を強く横に振り団子の髪で金雄の目を攻撃した。
金雄が少しのけ反ると、身を乗り出してまた首を振って、同じ内容を別の言語で叫びながら目への攻撃を執拗に続けた。彼の何度目かの攻撃の後、金雄は大きくのけ反って、
「ウアアアーーーッ!」
痛そうに叫び声を上げ両手で目を押さえた。
今度は立ち上がって目を瞑ったまま耳を澄ますようにしてポンポコを探した。チャンスとばかりにポンポコは猛然と攻撃を始めた。
「サイシノタメダ、ユルセ!」
自分の攻撃を正当化する為にそう叫ぶ事は忘れない。相変わらず十数ヶ国語を駆使していた。金雄は本当は目をやられてはいない。
やられた振りをして薄目を開け、攻撃させていた。急所をことごとくかわしていたので、ダメージは殆ど無い。そのうちにチャンスが訪れた。向き合って接近する状態になったのである。
金雄はよろけた振りをしながら足を引っ掛けてポンポコを仰向けに倒し、自分も一緒になって倒れ込んだ。自分の腹の前で拳を作りそのまま一緒に倒れる振りをして肝臓を強烈に打った。傍目には、ただ単にたまたま手がポンポコとの間に挟まっただけに見えた。
「ウゲッ!」
小さく叫んだきりポンポコは失神した。金雄も少し腹部を痛そうにしながら、ふらふらと立ち上がり相変わらず目の辺りをこすって見せた。何のダメージも無かったが、ダメージが有った様に芝居をして見せたのである。
レフリーはポンポコの失神にややあってから気が付き、ダメージの大きさから金雄の勝利を宣言した。ポンポコは結局立てず、タンカで運ばれて行った。
金雄の勝利に場内は温かい拍手を送った。一方破れたポンポコにも若干の拍手があったが、目を攻撃してからの攻勢では余り共感は得られなかった。金雄にとって過去最長の、七分という長時間の精神的に疲れる試合が漸く終ったのである。
「目の方は大丈夫?」
試合場からの帰りの道々ナンシーは聞いて来た。
「まだちょっと痛い」
エレベーターに乗るまでは金雄は演技を続けた。二人きりになったら真相を話そうと思ったのだが、しかしその日は他に何人かの乗客があったので、金雄は相変わらず目を痛そうにしていた。
困ったのは、可笑しさが込み上げて来た事である。二人でホテルの部屋に入ってから、
「ぷっ、はははは、あっははは、……」
金雄は笑い転げた。
「な、ど、どうしたの? ちょっと、どうしたの?」
ナンシーは訳も分からず、金雄に尋ねた。一しきり笑ってから金雄はやっと芝居をしていた事を打ち明けた。
「なーんだ、心配して損したわ。でもこれでBクラス入りは間違いないわね。それにしても名演技だったわよ。貴方役者になれるわ」
「全く精神的に疲れたよ。ふう、しかし腹も減った。遅いけど晩飯を食いに行くぞ」
「はい、お供いたします。今日はBクラス入りの前祝いに飲まない?」
「ふふふふ、だーめ! 飲む事があるとすれば地上に戻ってからだな」
「そう、あと一週間の辛抱ね。最短六戦ですものね」
「ああ、早く日の光を浴びたい。月や星も見たい。流れる雲と青空と鳥の鳴き声と、雨や雪を体で受けたい。当り前の昼、当り前の夜が恋しい……」
金雄にしては珍しく詩的な言葉で本音を言った。