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まどろみ  作者: 中島 遼
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処置室2

「……ぁ」

 村山は自分のうめき声で目を覚ました。

 いや、正確にはそれは掠れていて、ほとんど声は出ていない。

「気づいたか」

 あっと言うまもなく、口にガムテープが貼られた。

「予定時間内に目覚めてくれて本当によかった。お前とは最後にどうしても話をしておきたかったからな」

「!」

 彼は処置室のベッドに寝かされている。

 そうして気づけば両手が別々に拘束されていた。

 視野には入らないが、胸部や腰、そして足にも縄で縛られている感触がある。

 照明は上の電灯だけではなく、方向性のあるライトが戸棚の上から彼の腹辺りに向かって注がれていた。

 この部屋には窓があったが、使用する部屋の性質上、分厚い遮光カーテンが掛けられているため、光が外に漏れることはない。

 また、仮に漏れていたとしても正面は北の山であり、気づく者など通らない。

「気分はどうかね?」

 小金井のねっとりした声が耳に届いた。

「騒がれると面倒なので、少し喉にキシロカインも噴霧しておいた。まあ、効果のほどに関してはあくまで保険レベルだがね」

 誰も来ない時間帯の、普段使われていない処置室。

 村山の背筋は冷える。

「何をしようと思ってる? と、問いたいのかい? それとも、敬愛する明石先生でないのがご不満かい?」

 小金井の目元がひくひくと痙攣した。

「教えてやろう、明石の馬鹿が使っているパソコンのパスワードは、前の病院と全く同じだ。俺でもなりすませる」

(……なんてこった)

 村山の自尊心が微かに傷つく。

 控えめに見ても、ITならそれなりのレベルに達しているだろう自分の引っかかった手が、そんなくだらない方法だとは。

「俺の人生を無茶苦茶にしてくれたお礼は、お前を無茶苦茶にすることで返す」

 そう言われても、いったい村山をどうするつもりなのかが全くわからず、彼はただ緑衣の男を見つめる。

「俺の女は最高に好い女だ。顔も身体も、頭もな」

 突然、夢見るように小金井が呟いた。

「なのにこの俺が男にセクハラだと? ふざけやがって」

 村山の上を憎しみに満ちた視線が何度も往復した。

「女は泣いたよ、俺が受けた屈辱を一緒になって悔しがってくれた」

 話が全く見えず、村山は数度目をしばたく。

「女はこうも言った。それほど卑怯な男なら、目の一つもえぐり出してやればいいのに、と。そうして復讐し終えたら、海外に行って二人でやり直そうと」

 くつくつという笑い声が上から降ってきた。

「俺が目指した栄光への道筋は、完全にお前によって絶たれたんだから、せめてそれぐらいは良い思いをしたってバチは当たるまい」

 明らかに小金井の言動は異常である。

(……薬か何かをやってるのか?)

 常識で考えて、それが可能かどうかぐらいの判断力は持ち合わせているはずだ。

(それとも……)

 以前、村山のMRIを撮りたがる小金井に、彼が入院した折りに撮った写真の存在を示唆したが無視された。

 何となくだが、小金井の目的は撮影でも読影でもなく、機械に拘束されている村山をその時間中、罵ったりあざけったりすることではないかと思うことがある。

 それからすると、今回も少し趣向を変えたいつものいじめの延長かもしれない。

「そんなこと、出来るわけがないって思ってるだろ?」

 彼の顔をのぞき込んだ小金井が首を微かに曲げた。

「それがそうでもないんだ。俺の女は告白してくれた。実は自分が過去には相当危ない橋も渡ったことのある裏の世界の人間だと。国外に逃亡したなら、俺を匿うことなど訳はないとな」

 村山は眉をひそめ、相手の言葉を異様な妄想だと思おうとした。

「ただ、女が心配していたのは、俺がそんな裏社会で生きていくことができるかどうかだ。だから胆力があるかどうかを量るために、お前に一泡吹かせろと……そう、目ぐらいくりぬいてやれば、なんて条件をつけたのさ」

 酔った人間がするように、小金井は目を細めて頭を後ろにふらりと引いた。

「この町に来て、良いことなどほとんどなかったが、あいつに出会い、俺のものに出来たことだけは神に感謝しないとな」

 小金井の顔はマスクのために目しか見えない。

 しかも、逆光のために表情も読めない。

 だから、本気かどうかもよくわからない……

「まだ信用していないようだから、少し詳細情報を教えてやろう。俺に与えられた時間は今から三十分程度。その間にお前の目を取り、ロープで下に降りれば車が待っている。そしてそのまま海まで行き、船で国外に逃亡する」

 小金井の声はいつになく弾んでいた。

「本当なんだよ、俺の女が相当なタマだってのはな。逃走ルートも方法も、全て詳細に計画を組んであり、この俺ですら文句のつけようがなかった。ロードマップ通りに行けばお前が発見される予定時刻には、俺は機嫌良く船の上で口笛を吹いていることだろうよ」

 何かがきらりと光った。目をこらして見た村山は見覚えのある収納ケースを見て戦慄する。

 村山と違って小金井はディスポではなく、自分専用のメスを持っていた。

(ま、まさか……)

 それを見てようやく、村山は小金井が冗談を言っているのではないことに気づいた。

「心配するな。メスは殺菌済みだ。明日、解雇されるだろうってんで、ナースが返しに来た……と言っても、この状況下で術野感染の有無を問うても始まらないがな」

 相手は心底おかしそうに笑った。

「怖がらなくていい。俺は眼球などに興味はない。あくまでメディアンだ」

 唾が飲み込めなくて、苦しい。

「時間内にどこまでできるかわからんが、胆嚢ぐらいは摘出できるだろう。それを目玉の代わりにする。時間がないんで、腹は開きっぱなしで放置するが、下手に麻酔なしで縫われるよりはその方が親切だろ?」

 村山は叫んだが、掠れた音が出るばかりだ。

「俺がメッサーの時には術中死ティッシュトートなど今までなかったが、今日ばかりはそうもいかんなあ」

 小金井は嬉しそうに微笑んだ。

「安心しろ。出血をなるべく少なくして、できる限り長生きはさせてやる」

 その言葉が偽りでも何でもないことを村山は知っていた。

「ただ、残念なことに鉗子の数が足りない。血管の結紮は面倒だが、いちいちやるしかあるまい。助手がいないのが辛いところだ」

 ようやく感じ始めた恐怖に身体がひきつる。

「それでも、お前が人ではないという証拠をつかむ最後のチャンスだ。慎重にやらせてもらおう」

 村山は必死で身をよじった。だが頭以外の場所はきっちりと固定されていてどうにもならない。

「本当は脳が見たかったんだが、あれは独りでは無理なんでな。ああ、あと、お前が望むなら、視野に鏡をおいて、裂かれていく自分の腹が見えるようにしてやってもいいぞ」

 小金井が楽しそうに目を細めた。

「動くと手元が狂うから、せいぜいじっとしてろよ」

 まどろみの中で見る夢のように、非現実的なのに輪郭の端々が奇妙にリアルだ。

 村山は声を何度も上げようとした。しかし、それは外に漏れるにはあまりにも小さい。

「時間がないので部位のマーキング省略。患者IDと術式確認は省略。麻酔器、パルスオキシメーターの装着も省略。イソジン省略」

 そっと取り出されたメス。

 いつの間にかはめられたラテックス手袋が視野に入った。

「慎重に行こう」

 そうして目を見開き、身体を硬くした彼の身体に、刃物が入れられ……

「っ!!」

 と、そのときだった。

 突然、窓ガラスが割れる音が響き、カーテンを揺らして何か黒いものが部屋の中に飛び込んできた。

「わしの獲物じゃあっ!」

 年老いた女の声が聞こえ、次の瞬間、窓の方に体を向けた小金井の腕に向かって、何かが振り下ろされる。

「ぎゃああああっ!」

 悲鳴とともに、数センチぐらいの棒状の物体が数個、宙を舞うのが見え、そして床に落ちる音が微かにした。

「わしの獲物だあ」

 影が近づき、村山を見下ろす。

「!」

 それは、篠田がシゲさんと呼んでいた老女だった。軍手をした手に持っているのは、小型の斧。

「わし以外の者が、こいつに手を出すことは許さん」

 相手は歯を見せて笑った。

 そうして村山の喉元に口を近づけ……

「何だ、どうしたっ!」

 ばたばたと走ってくる音と、声がした。

「ちっ」

 老婆は舌打ちをし、そのまま窓の方へ行く。

 目で追った村山に一度にたりと笑いかけると、窓枠に結びつけられていたロープを窓の下に放り投げ、そのまま村山の視野から消えた。

 同時にばたんとドアが開く。

「う、う、うわああああっ!」

 つんざくような叫びが上がった。

 村山は固く目を閉じる。

 後で質問を受けたときに、何も見ていなかったと言えるように。

 気絶していて何も知らないと言えるように。

 だが、歯の根が震えるのをどうしても止められない。

(これは、夢だ。多分きっと……)

 宙を飛んだのは恐らく指。

 しゃがみこんだのか村山の位置から小金井は見えないが、彼のことだ、適正な止血をしているはずである。

(だけど、獲物は斧だった)

 切断面はかなり粗いだろう、切られてから手術台までの時間は短いが、つなぐのは大変だ。

(……いや、空中で切り落とすためには、よほど研がれていなければ無理なはず。仮に斧の振り下ろされる方向と、小金井先生が振り払おうとした手の動きが正確に逆方向のベクトルを描いたとしても…)

 彼を押し潰さんばかりの恐怖をかみ殺すため、村山はひたすら入射角から判断した指の断面や血管、神経のことを考え続けた。

いったん、ここで切らせていただきます。

次の章でとりあえずは締めますので、今しばらくおつきあいいただければ幸いです。


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