餌2
「おはようございます」
「おはよう」
部屋には明石だけだった。
彼も今来たところらしく、白衣を着ている最中だ。
「先生、煙草をおやめになったんですか」
すると相手は山中と同じような顔をした。
「何を今更?」
「何か心境の変化でも?」
この問いは誘いだ。
アメリカに帰るということなら、ここで彼に話すだろう。
「だから、何を今更言っている?」
「今更って、そんなに前からなんですか?」
彼は不機嫌そうな顔をし、そしてロッカーを閉めた。
「煙草は、お袋が死ぬまでと決めていた」
「え」
「それだけのことだ」
まずいことを言ってしまったと、うろたえた村山が口を開こうとしたときだった。
医局の扉が開き、小金井が入って来た。
「お、おはようございます」
慌てて村山が挨拶をすると、相手はじろりと彼を見つめ、そして軽くうなずく。
(……嫌な空気だ)
小金井が復帰すると聞いたのは昨日。
それは村山には意外なことだった。
(……篠田先生の見立ても外れることがあるんだな)
もちろん、次の行き先が決まるまで働くつもりという事なのだろうが、
(……早くいなくなってくれ)
思いながら、相手の視線が自分に強く注がれていることに緊張する。
「後で話をするつもりだったが、二人揃っているので事前に言っておく」
そんな空気を知ってか知らずか、明石はいつもどおりの口調で彼らに対した。
「シフトの関係などもあるので、半月ぐらいは村山が執刀、小金井が第一助手で頼む」
「え!」
村山の喉は渇いた。
「実力的には太田先生が執刀して、俺が助手というのが問題ない形だと……」
「この病院には、お前が執刀することに異議を申し立てられるようなレベルの者はいない」
「先生!」
「そうだな、小金井?」
明石が小金井を見ると、相手はぞっとするような冷たい笑みを浮かべた。
「ああ。だから半月と言わず、ずっと助手のままで、こいつのオペを眺めていても俺は構わない」
村山は取りすがるように明石に視線を移したが、相手は事務的に頷くのみだ。
「予定を繰り直したんで、今日の夜に臨時で全員集まってもらう。そのときにこの話もする予定だ」
英莉子の処理について、もう少し待てば良かったとの思いが脳裏を去来した。
あの女が完全な証拠ではなく状況証拠だけで警察を動かしたのは、村山が裏切った時用の保険だったのかもしれない。
「じゃあ、またその時に」
明石はそのまま部屋を出て行く。
二人で取り残されることを恐れた村山は、取り急ぎロッカーを開けて白衣を羽織る。
「村山」
小金井が横に来て、そして自分のロッカーを開けた。
「俺が今回の事でこの病院をやめるとか思っているなら大きな間違いだ」
「そ、そんなことは……」
横に裂けた口がさらにいびつに広がった。
「むしろ、おおっぴらにお前を好きにできる。なんと言っても俺にはもう、怖いものはないんだからな」
ロッカーを叩くように閉め、村山は部屋を飛び出した。
そうして明石を追いかける。




