電話3
「もしもし」
「あ、高津君?」
声を聞いた瞬間、背筋が凍り付いた。
あの長い髪の女だ。
「久しぶりだから覚えてないかもしれないけど、私、涼の友達って前に貴方に名乗った者よ」
電話を切りそうになる手をかろうじて押さえ込む。
「大活躍だったわね、テレビ局で」
どこまで知っているのか、どこまではったりなのかがわからないので黙り込む。
「入り口を見張ってても、萌ちゃんが一度入って出て、それからはどこからも潜り込んだ形跡はないのに、夜には二人とも西の部屋にいたからびっくりしたわよ」
一瞬パニックになりかけたが、西の部屋に彼らがいたことがどうしてわかったのか、そちらの方が気になった。
「それから停電して部屋から逃げて、その後はよくわからない。夜遅くに萌ちゃんが車で送ってもらって帰宅したことはわかってるけど、貴方は不明」
こちらが相手のことを何もわからないのに、逆に高津達のことは調べ尽くされているのが怖い。
「ちなみに萌ちゃんを送った車は、貴方のマンションの住人の所有物で、涼の中学、高校の時の友人っていうのが凄くできすぎた感じ」
「……要件は何?」
「ゆっくりお話がしたんだけど、今から貴方の部屋に行っていい?」
「お断りだ」
どんなネタに変換されるかわかったものではない。
「上手にキスができる方法を教えてあげるわ」
「必要ないし」
「まあ、つれないのね。流れによっては、私を好きにもできるのよ」
「断るって言ってるだろ?」
相手は屈託なく笑った。
「実はね、私、誘った男に断られる経験ってそうそうないの。むしろ面倒くさいのに声をかけられて困ったりするぐらいだのに」
「こんな目に遭わされて、脅されて、普通に接しろと言われても無理でしょ?」
「普通の男なら、こんな目に遭わされて脅されたなら、逆に相手の女を思うとおりにして脅してやりたいって思うみたいよ。妻帯者じゃなければ、世間に対して臆する必要もないし、いい機会じゃないの」
電話を切ろうと思ったが、どうしてか手が動かない。
「要件はそれだけ?」
「貴方と涼の関係を聞きたいわ」
「前にも言ったと思うけど、俺と村山さんとの間には何もない」
吐き捨てるように言うと、相手は受話器の向こうで軽く息を吐いた。
「彼は貴方たちの事がとっても大事みたい。何だかんだ言って、助けに駆けつけた訳だしね」
「まさか」
「事実よ」
「村山さんはあの件には全く関わっていないから」
くすくすという笑い声が聞こえた。
「貴方たちが西の部屋に入ってから出るまでの間に、色々あったのよ」
高津は目を細める。
部屋に入った時に、何となく気になったパソコンが一台あった。
だが、それが何だというのだ?
村山が彼らを助けるような何かをした記憶など一つもない。それに、
「……仮にそんなことがあったとしても、それは村山さんが俺たちを助けようとした訳じゃなく、村山さんは単純に貴方みたいなタイプが嫌いで、うざいっていうのが正しいと思うよ」
「まあ、嫌な子」
色っぽい声が聞こえた。
「貴方の部屋で話してたんなら、その口をふさいじゃったわよ」
高津は身震いする。
あんな女が横にいて迫ってきたら、自分の自制心を抑える術はないだろう。
「私、賢い人は好き。だから貴方も好き」
甘い声が耳に響く。
「……ってことは、うざがられてる自覚はあるわけだ」
「貴方たちを罠にはめてみて、彼の対応を確認したら、思ってたよりもセンシティブに反応してきた。それだけわかれば私には充分。貴方たちを抑えておけば、それなりの効果が見込めるって点でね」
「無駄だよ」
本気で思う。
「村山さんは多分、俺たちに何かあっても何とも思わない。自分に火の粉が降りかからないかどうかについては検証するだろうけど」
「貴方たちに何かあった時に、手助けをしないことはあり得ると思う」
意外と素直に女は言った。
「でも、貴方たちに何かあったら、その報復はきっちりすると思うの」
村山の律儀さについても調査済みという事か。
「だからね、私は貴方と仲良くしようと思ったわけ。そうすれば彼も私にはそうそう手は出せない。それと、言っておくけど、涼と私の関係は今、とっても良好よ。だから安心してくれていいわ」
「今更?」
高津は笑った。
「俺の中では貴女は既に敵なんだ」
心のどこかで、それを否定する声が聞こえた。だがあえて無視をする。
「何を呈示しようと、どんな奉仕をされようと、それは変わらない。だから二度と電話なんてかけてこないで」
「素敵よ。今時、こんな格好いいこと言う男の子は珍しいわ」
声というのは武器になると、高津は改めて認識する。
「馬鹿にしてるわけ?」
「違うわ。取引するレベルにあるってことを素直に喜んでるのよ」
「貴方と取引などしない」
「萌ちゃんに手は出さないって約束する」
高津は固まった。
「どう?」
「……貴方の約束なんて、信用できると思う?」
「相手によるわ。貴方の場合は涼が担保。彼に魅力がなくなった次点でその約束は失効する」
拒否ができない事を、そして信用せざるを得ないことを相手は全てわかって言っている。
「条件をのんだら?」
「私と友達になって欲しいの」
意味がわからず、高津は黙り込む。
「誰に聞かれても、そう答えて。もちろん涼にも。そして、友達らしく情報交換するの」
「……それだけ?」
「それから、貴方たちの不思議を探る権利、それから……」
たくさん出てきそうだったので、慌てて高津は頷く。
「最初の一つだけなら」
「良かったわ、貴方が物わかりよくて。じゃあね」
「あ、待って!」
高津は女を呼び止める。
そして何故そんなことをしたのかわからずに、とりあえずの言葉を探した。
「情報交換って言ったってさ、不公平だよね」
「何故?」
「貴女は俺のことすごく詳しいのに、俺は貴女の名前すら知らない」
「エリコ」
「え?」
「英語の英に、草かんむりに利益の利」
「名字は?」
「ない」
高津の口は知らず知らずに動く。
「あと、友達だったらメアド交換ぐらいはしないとね」
再び女は軽い笑いをもらした。
「後で番号とアドレス、貴方の携帯に送っておくわ。今日はありがと。お休み」
電話は切れた。
奇妙な予感が心を揺らす。
高津は少し困惑した感情を残したまま、電話をしばらくの間見つめていた。




