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まどろみ  作者: 中島 遼
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虫垂炎5

「あら、お帰りなさい。早かったのね」

「今日の晩ご飯は?」

「ゴーヤチャンプル-よ」

「その鰺は?」

「これは明日の晩のマリネ用にこれから三枚に下ろすとこ」

 献立の下ごしらえをしていた詩織はこちらを向き、そして少し心配そうな顔で村山を見た。

「顔色が悪いわ」

「嫌な話を聞いたんでね」

 村山は詩織の台所仕事を手伝いながら、さっき聞いた話を全て話した。

「そっか」

 聴き終わった詩織も浮かぬ顔でいる。

「酷い話ね」

 村山は頷く。

「ゴーヤ、俺が処理するよ」

「あら、いいわよ、これぐらい」

「だったらこないだみたくシマシマじゃなくてできるだけ綺麗に綿を取ってくれないか。その白いとこが苦いんだ」

「涼ちゃんのはお湯でさらすから大丈夫よ」

「こないだもそう言って、やっぱり苦かった」

 詩織はようやく微笑み、ゴーヤと種を掻き出すためのスプーン、それとまな板と包丁を村山に渡す。

「じゃ、お願い」

 ゴーヤの前処理を始めた村山に、詩織は視線を向けた。

「で、涼ちゃんはどうしたいの?」

「まずは産婦人科の医者と、詐病患者、それと虫垂炎でもないのに手術した病院の医師を締めあげる」

 これはネットで情報を取るよりも、正攻法で行った方が疑われなくて済むだろう。

「ほんとに明石先生が好きなのね」

「そんなんじゃなくて、医者として許せないだけだ」

 詩織はまた笑い、そして少し真顔になった。

「でも、それはやめた方がいいわよ」

「どうして?」

「涼ちゃんが恨みを買うだけだもの。それより、泳がせといて問題がなくなってから始末した方がいいわ。情報を取る意味でもね」

 詩織はあこぎなことをさらっと行った。

「それに多分だけど、きっちゃんがもう動いてると思う」

「何故わかる?」

「きっちゃんの性格からして、それを見過ごすはずがないもの。きっと私たちよりも万事うまくやるわ」

 詩織はちらりと彼を見る。

「で、病院の方はどうする?」

「え?」

「主に院長戦のことだけど」

 村山は少し息を止めた。そして、言葉をまとめてから改めて息を吐く。

「……今まで俺、言ってなかったけど、義兄さんに院長になって欲しくないんだ」

 詩織は頷く。

「私もよ」

「戦況はあっちに勢いがあるって篠田先生は言ってたけどね」

「逆に言えば、拮抗しているからこそこちらの布陣を崩しにかかってるってとこでしょ。明石先生もその一環」

 詩織は白菜を洗いながら首を傾ける。

「このままだと、さらにきっちゃんに都合の悪いような事を考えついて、実行されちゃいそうだもんね。あ、涼ちゃん、ゴーヤに面取りいらないから」

 無意識にゴーヤの角にアールを入れていた彼は、切ったものを全部ボールに入れた。

 そうして水にさらす。

「ねえ、あっちがそうなら、こっちも布陣崩しで行く?」

 詩織は少し言葉を切ってから、眼科の部長や門前薬局の社長など、五人の人間の名を出した。

「この人たちをこちらに引き入れれば、勝てる確率は上がるわ」

「どうして?」

「まず眼科の野瀬部長、あの人のお嬢さんが美人なのよ」

「……それが?」

「そのお嬢さんに遠藤の次男が一目惚れしちゃって、あの手この手を使って、ようやくおつきあいまではOKになったの。でも、まだ結納までは気が抜けない」

 村山の祖父の妹は杉山姓だ。その長男は代議士をしていて彼も理事の一人だが、その代議士の弟の長女深雪、つまり村山の又従姉弟が結婚して遠藤となった。

 その遠藤も、村山家とは古くからのつきあいがある地元の名士で、やはり理事の一人である。

 詩織の言う遠藤の次男というのは、遠藤深雪の義理の弟のことだ。

「……それで?」

「そのお嬢さんの敬愛するお父さんが貴方を支持したら?」

「そんなことぐらいで何もならないだろう?」

「遠藤は家族ぐるみでその弟の恋を応援してるから、ちょっとは揺らいでくれるかもよ」

「まさか」

 詩織は電子レンジから皿で重しをした豆腐を出した。

「遠藤がお義兄さんを支持してるのは、お義父さんへの遠慮だけなの。深雪ちゃん自身はお義兄さんより貴方を支持してるし、絆ができれば状況も変わるわ」

「そんなものかな」

 詩織は豆腐を絞りながら手でちぎり、ボールに入れる。もう冷めているようだ。

「あくまで布石よ。でも、いい位置に石を置いておくと後で意外に効いてくることもあるし」

「……まあな」

「で、次は藤原社長」

 藤原社長は門前薬局の社長で、この付近三町の薬局は全てその傘下にある。

 ライオンズクラブの役員をやるなど、彼もまた地域での顔役の一人だ。

 また、北町に住む彼の伯父が医薬品卸業の取締役をやっており、彼の病院とは別の意味でも強いつながりがある。

「あの人の杉山への影響力は大きい。票田だし」

「なるほど」

 今度はわかりやすかったので、村山は素直に頷く。

「だけど正直、全く接点がないな」

「一緒に食事すればいいのよ」

「えっ!」

 思わず村山は詩織を見つめた。

「包丁、もらっとくね。あとは炒めるだけだから、涼ちゃんはもう座ってくれていいわよ」

「マリネは?」

「冷蔵庫に入れて、ご飯が終わってから揚げるわ。お腹すいてきたから、先に食事にしましょう」

 布巾を受け取ってテーブルを拭き、ランチョンマットを敷く。

 既に冷蔵庫に冷やしてあったサラダや焼きなすを出してラップを剥がしたり、箸や皿を並べているとメインディッシュが現れた。

「いただきます」

「お味噌汁は後でいい?」

「うん。ご飯食べるときに一緒にもらうよ」

 ビールを開けてから、再び話を元に戻す。

「で、さっきの話なんだけど、食事なんて俺、無理だ。喋ったこともないのに」

 詩織にビールを注いでやると、彼女は嬉しそうに一杯空けた。

「きっちゃんもいるから大丈夫よ」

「……ならいいんだけど、俺はあんまりあの人から良くは思われてないと思うよ」

「どうして?」

「見合い、断った前科があるんだ」

 頷いてビールのプルタブを開けたところを見ると、詩織もそのことは知っていたのだろう。

「仕方ないわよ、私とつきあってたんだもの。だから、そんな状態で、のこのこ見合いの席に行った方が相手のお嬢さんに恥をかかすことになった……って言えばいいのよ」

 詩織はイタズラっぽく彼を見る。

「でも、今にして思えば、お嬢さんとお見合いして結婚しておくべきだったと後悔しきりです。何と言っても妻と違って美人だし、奥ゆかしいし……というのも忘れずにね」

「……馬鹿野郎。そんなことを言ったら篠田先生にその場で四文字固めをかけられる」

 村山はビールを飲み、焼きなすを箸でついた。

「それに、それぐらいで仲良くなれるとも思えない」

「大丈夫、あの人は剛毅な方で、しかも形勢を見るのに長けてる。見合いを断ったから志村派になったなんて事はないわ」

 チャンプルーは二皿あり、ゴーヤを塩水でさらした後、熱湯を通したのが村山側にある。

 今日のは詩織も気を遣ってくれたのか、苦みはいつもに比べればましだった。

「むしろ、きっと貴方と話をしたがってる」

「何故?」

「うちは以前、ステージの高い癌の患者さんはほとんど全部大学に廻してたでしょ」

「まあね」

「それは外科がそういう患者さんを手術しなかったから。だけど最近風が変わったと藤原社長は見てる」

 頭を傾けた村山に詩織は頷く。

「そうなると放射線科とか薬剤部とか外科以外も、仕事が増えるってことよ」

 確かに癌の手術は外科だけというよりは、他科との連携で成績が上がる。

「元々、がん専門の診療科を置いたらどうかってこと、以前から言ってらしたけど、お義父さんがまだ早計だと切って捨てられたこともあったの」

「……へえ」

 あの男が無視したものなら、それを成功させるのも面白い。

「社長は癌のお薬も色々なのが出てるから、やりがいがあるって思ってらっしゃるんでしょうね」

 今、様々な分子標的薬を世界中が率先して作っている。

 もちろんそれらは高額だ。

「端的に言えば、儲かるってこと?」

「まあ、薬屋さんだからそこは重要でしょうけど、その辺りをじっくりと聴くのはいいと思うよ」

「任せる」

 気になったので、比較のために詩織の皿に箸を延ばしてゴーヤを一個取ってみる。

 それはやはり苦い味がした。


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