遠距離電話2
(……萌は誰にも傷つけられない、か)
確かにそうかもしれない。
傷つけたくて言った言葉も、彼女を傷つけるに至らない。
(萌は強いから)
伊東が高津と同じ気持ちを抱いてしまったことに、彼は何となくおかしみを感じる。
(どうしてるんだろ、萌)
男二人が意味のない心配をしている傍ら、彼女はきっと村山の事でも考えているのに違いない……
(独りで)
不意に胸が痛んだ。
強くて傷つかない、だから独りで平気。
それはひどく寂しい事のような気がした。
(それに)
萌の顔をたった一ヶ月足らず見ていないという理由で、これだけ心が乱れるのだ。
(萌はずっと村山さんを見てなくても平気そうに見える、見えるけど……)
そうじゃないかもしれない。
(そうじゃないのに違いない)
会話どころか、好きな相手の顔を見ることもできないなんて、どんな気持ちだろう。
学校や予備校で、独りでいるのはどんな気分だろう。
男子と女子で多少は違うのかもしれないが、集団に溶け込めないというのは辛いことには違いない。
(それも自分が悪いわけじゃなく、陥れられてるんだから)
萌がそのことに気がついているかどうかはわからないにしても……
高津は携帯を取り、そして萌の携帯番号を呼び出す。
「もしもし」
「あ、圭ちゃん!」
ちょっとだけ嬉しそうな声に聞こえ、高津も一緒に高揚する。
「久しぶりね、元気?」
「うん。萌は?」
「元気、元気。もちろん、勉強ばっかでそこだけはちょっと憂鬱だけど」
いつもと変わりない声。
「予備校は楽しくないの?」
「だって。放課後に部活とかないし」
「わかるけど、そりゃ、仕方ないな」
たわいない会話。
「今日は何?」
「ご機嫌伺い、あんまり前みたいに会えないから。……そういうのは萌、嫌?」
「ううん。時々でも話ができると安心するかな」
我知らず高津は赤くなる。
「ね、圭ちゃんは友達できた?」
「まあ、何となく喋るだけの奴ぐらいなら」
「凄いよね、全く知らない人の中に一人で入って、そこで人間関係築けるって」
「知ってる奴が全くいない方がそういうの、簡単だよ。だって、周りはみんなそのつもりでいるから。その点、微妙に知ってる奴がちらほらすると、逆にそこに束縛されて友達ができにくかったりするだろ」
「そうなんだ、覚えとくよ」
ちょっと萌の現状に配慮が足りなかったかと後悔する。
「……ね、萌、元気?」
「だから元気って」
「うん、確かにそう聞いた。でも」
何故か思ってもいなかったような言葉が出た。
「もし、俺みたいなのでもいいって思うなら、時々思い出して、そして使ってくれよな。俺、ずっと待ってるから」
「圭ちゃん?」
不思議そうな声。
「何かあったの?」
「俺は何もないよ。萌に何かあったらってこと」
どうしてか突然萌に会いたくなる。
あのくるりとした瞳や白い頬を見たい。
「あたしは大丈夫。知ってると思うけど、あんまり物に動じることないし」
「うん」
高津は頷く。だが、
「それでも、萌の役に立ちたい。だから……」
いてもたってもいられない。
会いたくてたまらない。
「萌、今、部屋?」
「うん」
「誰かいる?」
「ううん。あたし独りよ」
独りという言葉に高津は過敏に反応した。
「寂しくない?」
「……寂しくなんてないよ、だって圭ちゃんとこうやって話ができるんだし」
「俺は話をしてるだけじゃ駄目だ」
「……って?」
「会いたい。今すぐ会いたい」
萌が笑った。
「え、何? もうホームシック?」
「そうみたい。だから……」
どうしてか鼓動が激しい。
「だから、手を出して」
「え?」
「手」
「……手って、こう?」
白い手が見えた。
高津は相手を驚かさないように、そっとつかむ。
夢の中でしか、握ったことのないその手のひら……
「!」
近距離に、思い描いていた丸い目が見開かれていた。
「……あ、あ」
慌てて握った手を離すと、立ち上がった萌は真っ赤になって数歩離れ、そそくさと明日着るはずの畳まれた衣類をベッドの下に入れる。
「け、け、圭ちゃん……何で?」
「あ、いや、ごめん」
高津は思わずその場で屈伸した。
「あの、ほんとにごめん。つい、はずみで……」
そうしていつかと同じ言い訳を繰り返す。
「はずみって……」
萌はまだびっくりしたままの目で高津を見やった。
「ホームシックのはずみ?」
幸い彼女はパジャマではなく、普通に部屋着だった。
「うん。そうみたい」
他に言葉もなくてそう言うと、萌はやっと微笑んだ。
「圭ちゃんの力って、すごいね」
萌もまた、誰かと同じ反応をすると頭の隅で思う。
「萌ほどじゃないけど、でも」
高津はもう一度その手を握る。
「萌が呼んだらいつでも来るから。だからもし、危険なことがあったりとか、困ったことがあったりしたら呼んでくれ。絶対にすぐ来る」
萌は優しい顔で頷く。
「今みたいのを見たら、信じない訳には行かないよね」
「もし」
この甘いシチュエーションで言うべきか否かは迷うところだが、高津はあえて誠実に告げる。
「萌じゃなくても、例えば村山さんや暁、そして夕貴に何かあっても同じだ。呼んでくれたらすぐに俺は萌の所に跳んでくる……いいね?」
萌はほころぶように笑った。
「……ありがとう、圭ちゃん。大好きだよ」
「えっ!!」
あまりの言葉に、高津は握った手を再び離した。
「あ、あ、あ、ありがとう……その実は俺も……」
と、そのときだった。
階段を上がってくる音がする。
「お姉ちゃん、またひっくり返ったの? 凄い音がしたよ」
高津は慌てて萌の耳にささやく。
「じゃ、また」
そうして彼は窓を開け、そして自分の下宿のベッドを思い浮かべながら飛び降りる。
「わっ!」
今日は切迫感が少し薄かったせいか、タイミングが少し遅れた。
「ぐっ!」
なので、ポテンシャルが一メートル半ぐらいの衝撃として彼の身体に直撃する。
「おうふ……」
布団がまだ冬物で厚かったのが幸いしたが、タオルケットだけなら相当の打ち身になったろう。
飛び込みで失敗したときのように、腹が痛い。
そしてそれだけでなく、いつもの虚脱感が重く上からのしかかり、高津は手の下にあった枕にようやくの思いで爪を立てた。
(……痛かったけど)
つかんだ枕をわずかに引き寄せる。
(……幸せだ)
萌の好きが自分の好きと違うことはわかっていた。
ひょっとしたら村山を救うと言ったから、おまけでもらった言葉かもしれない。
(それでも……)
ここ一年間で、一番幸福な瞬間だった。
高津は静かに目を閉じる。
そのまま、好い夢が見られそうな気がして。