真緒4
「……びっくりしないんだね」
「そりゃそうよ。だって最初からわかってることだから」
意味もなく村山は不愉快になった。
「義兄さんを信じてるんだ」
「信じるとかどうかじゃなくて、わかるもの。あの人がやることとやらないことぐらい」
にっこりと上品に微笑むその表情から、どうしてか村山は目をそらした。
「ごめん、せっかくお茶の用意してくれてるのに」
「しょうがないわ、大事な話なんだろうし……」
と、突然真緒が怒った顔で話に割り込む。
「駄目よ、涼ちゃんは真緒と一緒におやつ食べるの。そして遊ぶの」
「真緒」
たしなめるような母を彼女は無視し、そして村山の腕にしがみつく。
「篠田センセって、悪い人なんでしょ? だから行っちゃ駄目!」
「え!」
「病院を乗っ取ろうとしている悪者だって聞いたもん」
心底驚いて、何を言おうか迷った村山の代わりに澄恵が言葉を発した。
「真緒は篠田の小父さんを良く知ってるの? 喋ったこともなくて何も知らないくせに、どうしてそんな酷いことを言うの」
「だって、こないだ来たおじさんもそうパパに言ってたし……」
「きっちゃん……篠田先生はとっても賢くていい人で、私はとっても好きよ」
「パパの敵なのに?」
「敵なんかじゃないわ。真緒は騙されてるの」
「パパが今、変なことを雑誌に書かれたりしてるのも、その人のせいなんでしょ?」
「違うわ」
「じゃあ、誰のせいなの?」
澄恵は硬い表情で真緒を見る。
「それはわからないけど」
「だったら篠田センセのせいかも知れないじゃない」
「変なことを雑誌に書かれて嫌な気持ちになるのは真緒や私だけで、パパも篠田先生もそれで別に全然損も得もしない。だから篠田先生がそんな馬鹿なことするはずがないのよ」
村山は目を見開く。
同様に真緒も驚いた顔をした。
「そうなの?」
「パパが女の人にモテモテだからって言う理由で、お医者様としての腕が悪いとか、患者さんに酷いことをするとか思う人はいないわ」
「……そうなの?」
「そうよ」
姉が娘に頷くのを見て、村山は胸が悪くなった。
家族に辛い思いをさせるような男に、院長たる資格を与えるつもりはない。
もちろん、姉の夫であるという資格も。
「涼ちゃんもそう思う?」
だが、見上げる真摯な顔に、否定の言葉は吐けない。
だから返事をはぐらかす。
「少なくとも、篠田先生がそんなことしない人だって言うのは間違いないよ」
「涼ちゃんは篠田センセに騙されてるっってパパのお友達のセンセはみんな言うよ」
「え?」
「病院はパパと涼ちゃん、どちらかの物なんでしょ? 篠田センセは涼ちゃんを騙して、病院を乗っ取って、パパを追い出そうとしてるんでしょ?」
一体、この小さな子供に誰が何のためにそんなことを吹き込むのか。
「真緒」
姉が哀しそうな顔で真緒の目線までしゃがむ。
「間違ったことを覚えるといけないから、本当のことを言っておくわ」
村山はどきりとして澄恵を見る。
彼女の言う真実とは一体何なのか……
「病院はね、患者さんのものなの。誰がたまたまそれをお預かりしようと、それを忘れたら病院は終わりなの」
姉らしい言葉に、村山は微笑む。
「でも、賢い人がケーエーしないと、潰れるんでしょ? だからパパが院長にならないといけないんでしょ?」
「心配しなくてもお医者様になれるような人なら、みんな賢いわよ」
それは間違っている。
彼は他の人間よりも勉強はできたが、賢くはなかった。
だから周りは彼をいつもさげすみの目で見る……
「涼ちゃんもそう思う?」
村山は頷いた。
「たいていの人なら大丈夫だろうね」
「でも、涼ちゃんだって、病院の一番偉い人になりたいでしょ?」
「なりたくない。絶対になりたくない」
彼は首を振る。
「俺は病院とかどうでもよくて……」
本音を言ってから、姉の視線が気になって言葉を変える。
「こんな事で真緒や姉さんが哀しい気持ちにならないのが一番いいって思ってる」
もちろんそれは真っ赤な嘘だ。
二人がどれほど辛い思いをしようが彼は気にしないと誓った。
彼女らが元凶の志村を憎みさえしてくれればそれで良い。
(そうとも、そうすれば全てはうまく行く)
自分に言い聞かせながら、彼は淹れたてのコーヒーをカップに注いだ。
「せっかくだから、飲んでから行くよ。約束通り、チョコレート、半分こしよう」
「それより、ケーキあるからそっち食べない?」
「俺はいいよ」
寂しそうな顔で見られて、彼は仕方なく微笑みを浮かべた。
「ごめん、今日は時間がないから。その代わり、今度真緒の服を一緒に買いに行こう」
「え!」
「車でちょっと遠くに行ってもいいし」
真緒の顔がぱっと輝く。
「今日来てた服、もう駄目だろ? だから……」
飛びついてきた姪を抱き上げ、隣の椅子に座らせる。
「だから今日はごめんな」
「約束よ」
「うん」
指切りをして、彼は姉が持ってきたオレンジジュースを真緒のコップに入れてやった。
そうして、それで全ての罪をつぐなったことにした。




