ジョン3
みどりんは、一応萌の意図を理解してか、ジョンに見つからないように地面を這っている。
「散歩して、道に迷った?」
「そうなんです。低い山だし、道なりに歩けば何事もないだろうって思ってたら、途中で何がなんだかわからなくなっちゃって」
相手は苦笑した。
「君はいちいち日本語を話してから、英語を話すんだ」
「え、ええ、まあ」
「それも声色を変えて?」
慌てて萌はみどりんを見る。
「声色、あたしに合わせて」
「やだよ、気持ち悪いから」
「ごめん、できないことを無理に頼んで悪かったわ」
「……やりゃあいいんだろ」
会話を終え、萌は外国人の背中に語りかける。
「ごめんなさい、変な癖で。緊張すると、英語の文法がわからなくなるから、日本語で一回考えてから喋るの」
「発音も文法もたいしたものだよ。さすが日本人の子供は賢いな」
「……子供?」
チャイルドと聞こえたので、聞き直す。
「まさかと思うが、ひょっとして小学生ではない?」
「高校生です」
厳密には予備校生だが、外国人に説明する必要はないと思ってそう言うと、相手は驚いたように振り向いた。
なので萌は慌ててみどりんが視野に入らないように身体をずらす。
「日本人って、ほんと年齢がわからないな」
どうやら嘘がばれた訳ではなさそうだ。
「そういうおじさんはいくつ?」
「俺は二十四歳だ」
「ええっ!」
十歳近く年上の村山の方がずっと若い。
「気をつけろ、ここは滑りやすいから」
ジョンは木々の間の角度が急な隙間を通った。
しばらくはそんな変な道を彼が通ったために、会話は途切れる。
だが、それは萌にとっては幸いなことでもあった。知らない人と話をし、話を合わせることは難しい。
(……慣れればそうでもないんだけど)
予備校の二人の女子も、いつかは慣れる日が来るのだろう。
だが、それまでの道のりはあまりに長い……
「あっ!」
突然、景色が開けた。
既に暗くなり、宵の明星の輝く暗い空。
そして眼下には病院の明かり。
「ここまで来たら、子供でも帰れるだろう?」
人のいる所に帰る前に、みどりんを片付けないといけないな、と思いながら萌は頷く。
「サンキュー、ベリーマッチ」
「ま、そうは言っても下までは一緒に降りよう。子供……じゃなくて十代の女の子をここで放っていく訳にはいかないからな」
老けた男だが親切なところは好感が持てる。
「ところで」
更に下に降りながらジョンが言った。
「君はまたあの場所に行くことができる?」
「絶対に無理」
萌は胸を張った。
「どうやってあそこに着いたのか、まったくわからないし」
「それは良かった」
何が良かったのかわからないが、相手はつぶやいた。
小さい声で聞き取れないほどだったが、みどりんが訳したのでしっかり聞こえた。
(でも……変な言い方)
まるであの辺りに近寄って欲しくないような言いようではないか。
「よし」
ようやく病院前のバス停に来た時に、ジョンは手を上げた。
「じゃ、この辺でいいかな」
「ほんとうにありがとう」
萌もつられて手を上げる……だが、
どうしてか相手は顔をしかめた。
そうして、萌に数歩近づいてその手を取った。
「え!」
ジョンは萌の右手を凝視する。
「これは?」
「え?」
「この指輪はどこで手に入れた?」
右手を見ると、薬指にはめた指輪がバス停の灯りの下できらきらと光った。
よくはわからないが、これが気に入ったらしい。
「ゴミ箱に落ちてて、拾ったの」
「ゴミ箱?」
「駅前の公園にあるの。そこで友達が拾って、冗談で指にはめたら取れなくなって」
「……ガッデム」
「くそったれ」
ほぼ同時に聞こえた声に、萌は不安になった。
ここからは見えないが、別の道から来る通りがかりの人がみどりんを見つけたらどうしようという恐怖だ。
「あ、もうすぐバスが来る時間だからここでお別れね」
みどりんはジョンにばれないようにゆっくりと移動し、ベンチの下に潜り込んでいる。
「いや、少し話を聞きたい」
「家の人が心配してるし、またね」
手を振り払ったが、相手はさっと萌のポケットから携帯を抜き出す。
「あ!」
そうして、自分の携帯電話と赤外線で情報交換をした。
「返してよ!」
「頼む、話を聞かせてくれ。その指輪は俺の知り合いのものなんだ」
「そんなこと言われても……」
キャラメルのおまけ程度にこれほど執着するからには、何か曰くがあるのかもしれないとは思ったが、電話を人質にするのは卑怯だ。
「とりあえず返して」
「質問に答えてくれればな」
しかし、ちょうど病院から出てきた数人の人影を見て、ジョンは萌が大声を出すとでも思ったのか、諦めたように電話を返してきた。
「なら、明日の朝八時にここ」
「無理よ、学校あるし」
「じゃあ、来週の日曜日午後二時に。場所はここでいいな?」
バスが来たので仕方なく萌は頷く。
「絶対だぞ。嘘をついたって俺はお前を探すからな。名前、わかってるんだから」
「嘘はつかないよ」
バスに乗り込みながら、後ろからついてこられないようになるべく入り口付近に立って牽制する。
幸い、相手が乗ってこなかったので、萌はほっと息をついて席に座った。
「みどりん、引っ込んでいいよ」
どこにいるかはわからなかったが、バスの天井なんかに張り付いていられても困るのでまずはつぶやく。
(……お母さん、怒ってるだろうな)
食事の時間までに戻れなかったので、またガミガミ言われることだろう。
(それにしても疲れた……)
思った以上に散々歩いている。
この一年、体力作りにいそしんでいたからいいようなものの、これが一年前だったら今頃筋肉痛で動けないだろう。
家に近づいたので停車ボタンを押し、そして萌はバスを降りた。
そうして家に向かって歩こうと県道を渡ろうとした時だった。
(!)
バスの後ろについていた車がバッシングした。
何となく運転席を見た萌は、そこにサングラスをかけた帽子の男が乗っているのを見て驚く。
「シーユー、モエ」
ウィンドウを上げてそのまま車は去ったが、萌はしばし立ち尽くす。
家までつけることはしないが、この辺りに住んでいることはわかったとでも言いたげな行動。
神尾なんて名前はあまりないので、すぐに足はつくだろう。
(……なんか面倒くさいことになっちゃったな)
萌はため息をついた。




