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まどろみ  作者: 中島 遼
33/89

ジョン2

 その週の日曜日、萌は独りになりたくて、川上の店にはいかずに家でぼおっとしていたが、あまりに天気がいいので、北の山辺りをうろうろしてみようと考え、外に出かけた。

 県道まで歩けば、乗り換えなしでバスに乗れる。

(……一人で来たって言ったら圭ちゃん、怒るかな)

 思いはしたが、今日は一人でぶらぶらしたい気分だ。

 バスは割と早くに終点についた。

(……懐かしいな)

 終点にあるのはもちろん総合病院だ。

 萌はしばらく病院の前で立ち尽くす。

(外科病棟はぼろい方って村山さん言ってたっけ)

 向かって右奥にある古い建物の入り口を、萌はじっと眺めた。

 万に一つでも、村山が外出するとか、空を見たくなったとかで出てこないかと思ったのだ。

 しかし、十分待っても誰も出ては来なかった。

 病棟の窓にその姿がちらりとでも現れないかと思ったが、一向に何事も起こらない。

 萌は小さくため息をついて、病院の前を通り過ぎ、北山への坂を上る。

(……ああ、そうか)

 高津と来れば、こんなところで佇んだりは出来なかったろう。

(だから……)

 どうしてか胸が痛い。

 萌は一度首を振って、坂を上った。

 北山の木々は初夏の瑞々しい緑で覆われている。

 もっと登れば、病院を上から見下ろすこともできるだろう。

(あ)

 何となくショートカットできそうな道を発見し、萌は進んだ。

 だが、道は上には行かず、しかも山の中へとどんどん入っていくようだ。

(この道は違う、か)

 仕方なしに引き返したが、どうしてか最初に歩いていた道が見つからない。

(……というよりは)

 最初の道をそもそもあまり覚えていなかった。

 思えば、こういう所を歩くときは、必ず村山か高津がいた。

 彼らはびっくりするほど距離感や方角を把握し、決して迷うことなく目的地に着いたので、さほど山道に不安を抱いたことはなかったのだが、

(……まずい、かも)

 考えてみれば自分にそのスキルはない。

 携帯を見たが、アンテナが立っていなかったので、助けは呼べない感じだ。

(……村山さんの携帯は、山の上でもアンテナ立ってたのに)

 電話会社によって、その辺りは随分違う。

 それとも、場所によっても違うものなのだろうか。

 萌は携帯に頼ることは諦め、とにかく周辺をフィーリングで歩き始めた。

 こんな小さな山なら、いつか端まで出るだろう。

 しかし、何となく辺りが暗くなってくると、いささかの不安が頭をよぎる。

 こんな所で迷ったなどと知れたら、今後一切、北の山での一人歩きは禁止されるに違いない。

 それに、

(お腹空いた)

 恐らく、あと二時間ぐらいで限界が来る。

(困ったな)

 この季節、日は長いのが救いだが、それでも萌の歩いている側はどうやら東に面しているようで、しかもうっそうと木が茂っているので相当暗い。

 夢の経験で、クモの巣が頭に引っかかったくらいでは驚かなくなったが、それでもブンブンと飛び回る羽虫はうっとうしいし、刺されるとかゆくなる。

(……あれ?)

 さすがの萌も焦り始めた頃だった。

 一瞬、何かがチカッと光った気がした。

 距離は遠いが人工的な明かりに思えたので、萌はそちらに向かってみる。

 木々をかき分け、道とも言えないような草だらけの隙間を縫いながら進むと、十五分程度歩いた頃に、ようやく人らしき姿を見つけることが出来た。

「すみません~」

 大声で呼ぶと、帽子をかぶった人物がこちらを見る。

(……あ)

 サファリジャケットにジーンズ姿。蓄えたひげは金色で……

 男が何かを言ったが、萌にはわからなかった。

「……ええっと、あの、はうでゅーゆーでゅー?」

 再び言葉が返ってきたが、ほとんど理解できない。

「……みどりん」

 仕方なく萌は、隣にあった大岩を指し示しながら小さい声を出す。

「この岩の陰ぐらいに出ておいで」

 そこならこの外国人からは見えない位置だ。

「で、通訳してくれないかな」

「同じ星の人間同士なんだから、自力で喋れよ。しかも相手が喋ってんのは公用語だろ?」

 みどりんが嫌みを言った。

「正直、俺の能力MAX値をミリオンとしたら、お前、この仕事は小数点以下五桁くらいのレベルだぜ」

 萌は無視して外国人を見つめた。

「あの、実はあたし、道に迷ってしまったんです」

「あんた、名前は何だい?」

 この三十代ぐらいの男に、その吹き替えは似合ってないように思ったので、萌は小声で指示を出す。

「みどりん、普通な感じの会話にして」

「了解」

「神尾萌。貴方は?」

「俺はジョン」

 犬みたいな名前だ。

「貴方も道に迷ったの?」

 すると相手は笑った。

「俺は目的通りにここにいる。だが、目的を果たせそうにないんで、とりあえずふもとに降りようと思った途端に奇跡が起きた」

「……は?」

「それが君によるものなのかどうかを確認したいんだが、いいかな?」

 日本語の翻訳がおかしいのか、相手が何を言っているのかがまったくわからない。

「あたし、とりあえず下に降りたいんで、道、教えてもらってもいいですか?」

「そういうことなら俺も一旦下に降りる」

 萌はほっとした。

「良かった。じゃあ、後ろをついて行っていい?」

「それは構わないが、君は何しにここに来たんだ?」

「散歩よ」

「何でまた……」

 言いかけた男は一度空を見上げた。

「まあ、話は歩きながらでもできる。確かに日が沈む前に山は降りた方がいいな。行くぞ」

 慌てて萌は後についた。


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