ジギタリス3
村山は一つ息をつき、コーヒーのプルタブを開けた、と……
(……!)
ばたんという音がして、駐車場の端に止まっていた小型のハッチバックから人が降りてきた。
それはほぼ三十分前に、この道を通ったときに存在を確認し、誰も乗っていないと思い込んでいた車だった。
「こんばんは、涼」
長いストレートの髪を手で払いながら、英莉子が笑いかけてきた。
そうして彼の隣に立って、同じように小銭を入れてコーヒーを買う。
「あら、久しぶりに会ったのにだんまり? それとも私たちの間に言葉はいらないって事?」
村山は無視してコーヒの中身を喉に流し込む。
そうして外灯の下にあるゴミ箱まで歩き、缶をそこに捨てた。
「ね、待って」
村山の肘をつかもうとした手を振り払う。
「触るな」
「なによ、人を感染症患者みたいに」
わだかまっていた凶暴な気持ちが吹き上がる。
「人間相手だったらそんな扱いはしない。言っておくが、お前は病原菌の方だ、間違うなよ」
それは自分も同じだと、心の隅で何かがささやく。
「声が聞けて嬉しいわ。貴方が車を降りて飲み物を飲むのは低い確率だと思ったけど、待ってた甲斐があった」
どうして英莉子がここにいるのかがわかり、村山は微かに笑う。
この女は他の人間に比べると、行動の意味が村山にも理解しやすい。
「ねえ、仕事をする気はない? 報酬ははずむわ」
「金には困ってないし、副業を持つような余裕もない」
不意に英莉子はポケットからメモ用紙を取り出して、それを見せる。
そこにはhttp:で始まる103文字のアルファベットと数字、記号があった。
村山は目をそらして車に向かって歩き出す。
「ここを攻略してくれたら、そうね……」
英莉子は彼の横に並ぶ。
「貴方の義理のお兄さん、彼の女性関係を清算してあげるわ」
村山は立ち止まって、英莉子を見る。
「俺の家族に手を出したら許さない」
「清算って言ったのよ、聞こえなかった? それとも爆発させる方がいい?」
彼は眉を微かにひそめ、再び前に向かって歩んだ。
「爆発の方がいいのね?」
「お前が一体、何を言っているのかがわからない。そもそもそんな長い記号を一瞬見せられて、それで何をどうするのかも不明だ」
「私の話を詳しく聴きたい?」
「いらん。とにかく帰れ」
「会話の録音なんて撮ってないから安心して」
「勝手に撮ればいいじゃないか。俺には何一つとしてやましいことはない」
村山は肩をすくめる。
「お前が大っ嫌いだから帰れと言っただけだ」
「まあ」
くすくすと相手は笑った。
「貴方に頼まないとすれば、誰に頼めばいいの?」
「知らん。その辺りを歩いている人にでも声をかけたらどうだ?」
村山はポケットから鍵を出して車に挿しこんだ。
「今の日本には貴方ほどできる人はいないわ」
「じゃ、イスラエル人にでも頼め」
車に身体を滑り込ませ、彼はドアを閉める。
手袋を再びつけてシートベルトをすると、英莉子が右手を彼に振ったのが見えた。
彼は無視をして、そのまま車を発進させる。
(さて、どうするか……だが)
もちろん、英莉子の望み通りハッキングするかどうかではない。
ハッキングした後の処理についてだ。
義兄の女性関係については、近い将来にどうにかするつもりだったが、英莉子が動くというのならその方が楽だし、彼がやるよりも徹頭徹尾にやってくれることだろう。
ハッキングの公開方法も、あの様子なら問題なさそうだ。
ダブルクロックが使う予告掲示板はいくつもあるが、イスラエル人が管理しているものは一つしかない。
しかし彼をどれだけ怪しいと思っている人間がいたとしても、その掲示板はアメリカ、カナダで使用されていることから、今の会話をヒントに何かを得ることは難しいだろう。
(俺のことを調べ尽くしているあの女を除いては)
ハッキングした相手に公開予告状を送る時に、どの掲示板に載せるかを告知するかどうかは彼の気分次第だ。
あまり素行のよくない団体相手の場合は予告すらなく開示することもあったので、どんな形で彼がゲームを楽しもうと、それを請負仕事だと勘づかれるリスクは少ない。
(……時間差、で行くか)
一分後に公開するから確認しろ、というメールをその団体に送っておけば、一応義理は果たした感じになる。
あらかじめ、その掲示板を見張っている英莉子が、先回りに何をしようとそれは彼の知ったことではない。
(まさにジギタリスだ)
ジギタリスは危険な毒草だが、心筋細胞におけるカルシウム濃度の上昇作用により心筋収縮力を増大させることから、強心薬として昔から使用されている。
(……そうだ、な)
村山はハンドルを軽く右に回しながら独りごちた。
(何も怖がる必要はない)
逆に言えば、薬にもならない毒物は捨ててしまえばいい。
邪魔な物は排除すればいいだけのことだ。
小金井であれ、誰であれ。




