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まどろみ  作者: 中島 遼
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 春になり、ようやく村山の周りも落ち着いてきた。

 大蔵がやめた後、常勤の医師を二人増やしてもらったこともあり、仕事も大分楽にはなった。

 新たに配属になった医師は太田と小金井と言う。

 太田は明石の一期上。ひげの濃い大柄な男で、夕方になると四角いあごが青くなるたちだ。

 明るく快活なのはいいが、いつも女の下半身の話ばかりする。

 美人の看護師を見かけては長話をするので、忙しい彼女たちには快く思われていないという話だったが、佐々木によると既に看護師数人に手をつけているという。もちろん本当のところはわからない。

 もう一人の小金井は、以前、明石が村山に言っていた「できる」外科医だ。

 目が細く、頬のこけた痩せ型の男で、癇性なところがあり、明石とは違った意味で怖い。

 プライドは山のように高くて人の意見を聞かない。また、人当たりもかなり悪くて、大学での出世街道には残れないタイプだった。

(……しかも)

 彼は村山の思惑とは違う理由でここに来たらしい。

 当初の想定では、明石のような医師に引き寄せられるように勉強家の外科医たちがやってくると考えていたが、小金井は違う。

 彼は大学医局を飛び出していたが実力は相当あり、それ故、優秀と言われる医師を見下すことを生き甲斐にしているようなところがあった。

 どうやら明石がネットで騒がれたのを見て、自分の方が腕がいいことを証明するために来たらしい。

(……でもまあ、同じ事か)

 いずれにしても、明石に引き寄せられた医師は、明石がいなくなれば消える確率が高い。

 そういう意味では、小金井は待遇を厚くし、尊敬している旨を伝え続ければ、この病院に残ってくれる可能性をわずかながらも残していた。

 また彼のおかげもあって、今泉がいたころに比べカンファレンスも変わった。

 準備万端で臨むタイプの明石は、挑戦したいがためだけに切る事を嫌い新進気鋭の小金井とはよく衝突した。

 ほとんど毎回、喧嘩ごしのように小金井は明石にいろいろ噛みついたが、それはそれでアカデミックである。

 以前は判断の難しいものはカンファレンスをする事もなく部長と今泉が大学に持って行き、患者をそちらに紹介していたのだが、最近は様々な症例を検討する機会も増えた。

 意味のわからない嫌みで時間がつぶれることもなく、むしろ村山的にはわかりやすい日々を過ごせている。

「もしもし」

 そんなある日、大学時代の同期から彼宛に電話があった。

「久しぶりだな、二年ぶりか」

 用件は、その男の受け持ち患者が実家に戻ることになったが、村山のいる病院の近くだということでこちらに紹介状を書くというものだった。

「……って言っても、放射線科になるだろうけどな。残念ながら外科の適応はない」

「そっか……うん、とりあえず了解した」

「……それはそうと、お前、すごい手術してんだな。それ、言いたくて実は電話したんだ」

「何のことだ?」

「いや、DVD見てびっくりしたんだ。前からお前、天才って言われるぐらい上手かったけど、ものすごく上達してっからさ」

「……何のことだ?」

「何のって、肝切りの助手やってた、あのビデオの話だよ。執刀してた先生もすごいけど、前立ちのお前の評価も相当なもんだぞ」

 村山は動転した。

「……な、何のことだ?」

「……切除時の出血を抑える工夫、というふれこみだったけど、あんまりにも手際も何もかもがすごくてさ。執刀医と助手との息もぴったりで、流れるように手術が進んでいくところなんか、芸術鑑賞してるみたいな気分になったよ」

 そうして、友人が相当喋ってからようやく我に返る。

「ちょっと待て。本当に何のことかわからない」

 慌てて状況を根掘り葉掘り聞き出す。

 それによると、昨年暮れに行った肝臓癌の手術ビデオが、どうしてかダビングされて友人の大学病院で視聴されたという。

「なんで?」

「詳しくは知らないけど、うちの講師が見る価値があるからって言って、みんなに見せた」

 ますますわからない。

「執刀医に聞いてみろよ、その先生が多分、全部知ってるから」

 電話を切り、村山は明石を捜した。

「先生!」

 ICUから出てきた彼を、村山は必死で呼び止める。

「こんなところで大声だすな」

 いつものように怖い顔だったが、今日はそんなことにかまっていられない。

「つかぬことをお伺いします。暮れにやった肝切りについてなんですが……」

 歩き始めた明石に並ぶ。

「あの手術のビデオが外に流出しているようなんです。それについて先生は何かご存じですか?」

「知ってる」

「え?」

「俺の大学の先輩に送った」

「……大学の、先輩?」

「俺が日本に帰ってきてることを知って、冷やかしで電話してきたんだが、何かそんな話になってな」

 村山は歩きながら相手の顔をのぞき込む。

「そんな話ってどんな話ですか」

「ちょうど脈管合併切除の新規工夫についていろいろ考えてるようだったから、参考になるようならと話をしたらそのビデオを見せろって話になったんだ」

 村山は言葉を失った。

「心配するな。ちゃんと病院の許可もとったし、後ろめたいことにはなってない」

「そ、そ、そうじゃなくて……」

 何かを言おうとしたが、まとまらないのでとりあえず口を開く。

「それが何で俺の知人のいる大学で流れてるんですか?」

「当初、こじんまりとした肝切りのワークショップで使うって話で、事実、そこで流したとも聞いたんだが」

 熱心な医師の中には病院や大学、あるいは国の枠を越えて個人的に集まり、パブリックになっていない事例も含め、勉強会を開くことがある。

「その後、そのメンバーのうちの何人かが教育のためにDVDを学内で視聴したいと言ってきたから許可をした。それでじゃないか?」

 冬だというのに汗が流れる。

 明石だけのことならいい。

 むしろ、そうなるように村山が音頭を取りたいぐらいの話だ。

 だが当該ビデオには明石だけでなく、村山も映っているのだ。

 しかも、あの日は興奮のあまりに若干テンションが上がっていたため、少し自制心が欠落していた。

 だから明石がいつもより彼に手出しをさせてくれることを純粋に喜んで一所懸命にやった。

 そんなものが衆人の目に触れたと思うだけで、足がすくむ。

「何で、出す前に俺に一言教えていただけなかったんです?」

 村山は明石に詰め寄る。

「プライバシーとか、そういうこと考えなかったんですか?」

「患者のプライバシーについては、決して問題が起こらないような配慮をしている」

「違います、俺のプライバシーです」

「はあ?」

 明石はびっくりしたように村山を見つめる。

「医者はオフィシャルなもんだろ」

「それはそうですが、でも……」

「でもも糞もあるか。そんなことを言うから、手術室は密室だなどと根も葉もないことを言われるんだ。……ったく、最近の若いもんは意味のわからんことばかり言いおって」

 年寄り臭い台詞を吐き、明石は去っていった。

 後には呆然と突っ立った村山が残される。

(……なんてこった)

 明石に悪意はないだろうが、それだけにたちが悪かった。

(気をつけないと)

 自分の掘った穴に自分で落ちかねない。

(気をつけないと……)

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