ジギタリス1
ヒトに化けた何かではないかと言いたくなると小金井は言った。
それに恐怖した自分は、一体何を恐れたのか。
(そんなの、決まっている)
村山は手のひらを見つめる。
自分が人に化けた何かだと、ばれるのが恐ろしかったのだ。
そのことは、小さな頃から知っていた。
人の輪に入れず、親からも愛されず。
小学校の側にあったススキの群れ。誰かがあれを綺麗だといった。
それが一向に自分にはわからなかった。
散りゆく庭の桜を見て、詩織は綺麗だと言う。
それがやっぱり自分にはわからない。
(俺は、普通ではない……)
「!」
かたりと音がしたので顔を上げると、部屋にくだんの小金井が入って来た。
そして嬉しそうな顔でこちらを見る。
「……二人きりになるのは久しぶりだな」
もちろん村山が避けていたからだ。
「それが今、ちょうどラウンドしようと思っていたところで……」
村山が立ち上がると、小金井がドアの側に立ち止まり、行く手を防いだ。
「まあ、待て。少しだけ話をしようじゃないか」
同じ医員だが、小金井は副医長とも言うべき立場にいる。
そして直属の上司でもあった。
「色々、調べたんだが、ちょっと腑に落ちない事があってな」
「どの患者さんのお話ですか?」
「仕事の話じゃない」
彼は貧乏揺すりをしながら腕を組んだ。
「俺がここに来る前に、お前、一度入院しているだろ? そのときの話だ」
村山は身構える。
「あの日、お前はいつものように病院を出て、そして家まで歩いて帰る途中に、知り合いの子供がやくざに連れて行かれたのを助け、子供の代わりに連行された。最初の疑問は、何故、その時間にその子供はやくざに捕まったのか」
「子供は俺に会いに来たと言っていました。そして偶然、やくざに絡まれたと」
「まあ、それならそれでいい。で、その母親はお前と噂のあった美人なんだな?」
「噂のことは知りませんが、彼の母親とは面識があります」
小金井は唇を歪めた。
「で、お前が連れて行かれたと言って、その子供は母親に助けを求め、母親は不動産屋の担当者と一緒に車で息子を拾い、大分経ってから道に倒れているお前を発見した」
相手はよく調べている。
明石は後藤を暁の父と誤認していたぐらいなのに。
「おかしいだろ? 普通は息子を助けてから、すぐに警察だ」
「そうかもしれませんが、それは先方の事情であって、俺には関係ないことです。ひょっとしたら」
村山は目を細めた。
「彼女の夫は単身赴任だか出張だかで常に家にいないので、不動産屋の男と一緒にいたことを誤解されたくなかったんじゃないですか?」
「なるほど、な」
歪んだ唇が更に上がった。
「じゃあ、次の話だ。カルテを確認させてもらった」
村山は平静を装った。
「明石はいい救急医だ。消化器外科なんざやめて、それ専門になればいいと思うほどセンスがいいな」
小金井は数歩歩いて、一番近くにあった机に手をつく。
「オピオイドによるアレフィラキシーショック、びしょ濡れで冷えた身体、そして全身の傷の意味……生半可なもんじゃない。あれは殺されかけたとしか考えられない。なのに、誰も何も言わない」
その指がこつこつと机を叩き始めた。
「偶然、あの頃、俺はこっちの大学病院に用事があって、しばらくこの地域に滞在していたんだが、ローカルニュースにすらなっていなかったな」
「こっちの大学?」
小金井は頷き、県下の国立大学の名を言った後、目を細めて彼を見た。
「何故、病院ぐるみで隠したんだ?」
「院長の息子がそんなみっともない姿をさらしたのが恥ずかしいからでしょう」
あえて他人事のように言ってみる。
「残っていた血液を確認したらモルヒネが出た」
血液を早めに処分していなかったことを村山は悔やんだ。
「お前が打たれたのはヘロイン、だな?」
英莉子は複合物だと言っていたが、そんなことは今言う必要もないことだ。
「……勝手に持ち出して、ただで済むと思ってるんですか?」
「馬鹿だな、脅しているのは俺の方だ」
小金井は笑った。
「このことをばらしたら、病院はどうなるかな」
村山は肩をすくめる。
「病院など、どうなったって構いません」
「お前の敬愛する明石もただじゃ済まない」
「明石先生は関係ありません。悪いのは院長ですから、彼が全ての責任を取るでしょう」
言ってはみたが、それが幻想だということは村山もわかっている。
仮に世間が許しても、明石は己の責任は己で取ることを選ぶだろう。
(……そんなことになったら)
背筋に悪寒が走る。
「言っておきますが、被害者は俺で、その当人と父親が被害届を出さなかっただけなんです」
「麻薬に関して明らかに怪しいことがあれば、届ける義務が病院にはある。それを怠った責任は問われるぜ」
「ここは私立病院ですから、刑事訴訟法には触れません」
「うまくマスコミに話せば、同情ではなく糾弾になる。そして一旦彼らが糾弾側に走ってしまったら、後で同情すべきことだと気がついても、自分の間違いを正そうとはしない。そうなったらこの病院は困ったことになるだろうな」
「結構です、やってください」
無理に村山は強く出た。
「……ならばお前は、そのことで院長が困っても構わないと?」
「はい。あの人がどうなろうと知ったことではない」
「お前自身はどうなんだ?」
「医師をやめたところで、痛くもかゆくもない。働かずに食っていける金があるのに、何でこんな辛い仕事についてるんだろっていつも思ってるぐらいです」
小金井は村山の方に三歩進み、手の届く範囲まで来て立ち止まった。
しかし、相変わらずその指は机を叩いている。
「一番不思議なのは、誰がお前をリンチしたか。そしてそれについて、誰も何の興味も示していないという事なんだ。そもそもこの田舎町にやくざなんてそれほどの数はいないんだから、探せばわかりそうなものなのに」
脅しの方向が変わった。




