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まどろみ  作者: 中島 遼
21/89

心電図2

(……ふう)

 誰もいない部屋で、彼は一つ息をつく。

(……小金井先生、か)

 ナース達とは別の意味で、彼も小金井については困っていた。

 明石の技術を会得したい、執刀を見たいという気持ちは更に強くなっている。

 だが、小金井組の彼の立場では、手術はもちろん、ローテーションの関係もあり明石との会話や接触すら激減していた。

 もちろん、明石に比べて小金井が劣るという訳でもない。

 小金井の手術は流麗だ。

 メスさばきも鮮やかで、大胆かつ繊細なカットをする。

 だが、村山がなりたいのは明石のような医師であって、小金井ではない。

 なのに、一昨日行ったデブリードマンと呼ばれる壊死組織除去やその前の虫垂炎でも、気づけば小金井のスタイルに近い手技を行っている自分を発見してどきりとすることがある。

(……どうして俺は)

 村山は呪わしい自分の指を見つめる。

 それはひどく不誠実で、節義が薄い己の象徴のようで……

「おい」

 驚いて顔を上げると、知らない間に小金井が側に来ていた。

「こないだの心電図の件だが」

 慌てて村山は椅子を蹴って立ち上がる。

「は、はい」

 いつも機嫌の悪い表情をしている男だが、今日は珍しく薄笑いを浮かべていた。

「予想以上に異常だった」

「何がですか?」

「お前の出した答えだ」

 心電図を読むのは得意だと思っていた村山は慌てた。

「申し訳ありません」

 相手は机をこつこつと指で叩く。

「もっとも、異常なのはそれだけじゃないが」

「……と言いますと?」

 含み笑いが更に深くなる。

「まあ、まずは心電図から行こうか」

 黙りこくった村山を、小金井はじろじろと無遠慮に眺めた。

「結果から言うと、お前は循環器の医師に勝った」

「え!」

 それはちょっとまずかったかもしれないと村山は思った。

 プライドの高い医師相手に専門の領域で勝つと、大概ろくなことはない。

「多分、偶然だと思います、頂いてからお渡しするまで時間もなかったし、割と適当に流したので……」

「時間に制限をつけたのはわざとだ。瞬時の判断による解析結果が見たかったのでな」

「え?」

「俺の知り合いが開発した心電図の自動診断システム、循環器の医師と勝負して勝ったそのソフトとお前を勝負させた」

 村山は少しほっとして相手を見る。

 直接対決で優劣を決めた訳ではなかったようだ。

「循環の専門医に俺が勝つとは思えないので多分、偶然が重なったのだと思います」

「実のところ、問題はそこじゃない」

 相手はうっすらと眼を細める。

「お前は何者だ?」

 意味がわからなくて小金井を凝視すると、彼は細い眉を片方だけ引きつらせた。

「何もかもが普通じゃない」

 村山は目を見開く。

「お前のミスと機械のミスがほぼ一致した。人間のミスでなくてな」

「……どういうことです?」

「人間のやるミスをお前は犯さない代わりに、機械がやるのと同じような間違いをしている。特に正常な心電図を異常と読む場合の所見あたりは見事に一致していた」

 どうしてか脇の下が冷たくなった。

「インプットデータの統計から見た答えと、直感的に人がこれだと思う答えは微妙に違うらしい」

「……偶然です」

 乾いた喉からかすれた声が出た。

「俺がどうしてこんな事を試そうと思い立ったのか聞きたくはないか?」

 小金井が机を叩くテンポが少し早くなる。

「ICUで暗算が異様に早い。早見表を見なくても正確な値が小数点以下まで出てくるのが不思議だった」

 輸液や薬の投与の際の計算のことを彼は言っている。

「それで試しにあまり外科や救急では使わないような希釈薬剤で、それも中途半端な体重でのケースを言ってみたが、見事に正確な答えが返ってきた。覚えはないか?」

 怪しまれないように村山はある程度時間をおいてから答えを返すように努力はしていたが、それでも不十分だったと言うことか。

「多分、たまたまその薬を最近使ったとかだと思いますが……」

「たまたま知ってても、普通は体重などは一桁目を丸めて暗算するが、お前はきっちり小数点以下まで計算し、それを四捨五入したと思われる値を言った」

 仕方なしに村山は小さく首を振った。

「実は、小さい頃から暗算だけは得意だったんです……」

 小金井は鼻を鳴らした。

「次は手術。お前は俺の手術のコピーがべらぼうに早い。昨日見せた手技を、今日にはもう会得している。見よう見まねにしても恐ろしい眼と指だ」

 それは明石にもばれていたことだが……


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