心電図1
「でね、私にコピーを撮れって命令するの」
「ひどーい」
「医局秘書さんに頼んでくださいって言ったら、うちにはそのような人間はいないと認識している。何だったら君がその人に言っといてくれないかって言うのよ」
「間違いないっ」
女たちはかしましく笑った。
「確かに一外の医局秘書さんはいないも同然だけど、だからってそれを看護師に言う?」
「ぐずぐずうるさいし、人間関係これ以上悪くなってもと思って仕方なしにやってあげたんだけど、そしたらコピーした頁が紙に対して水平じゃない、やり直せって怒鳴るのよ」
「あのコピー機、両面コピーが少し歪んじゃうよね」
「そんなに真っ直ぐが好きなら、自分でやれって言うのよ」
話題の中心は小金井だ。
「この間も、言われて生食取りに行った時に、突然、廊下で別の患者さんが倒れたから、他の先生呼んだり大変だったのに、戻って来たら理由も聞かずにそれはそれは凄い剣幕で……」
看護師は不愉快そうな顔をした。
「患者さんの前で、人格を疑われるような言い方で非難されたんだから」
小金井が生理食塩水を求めた経緯がわからないので何とも言えないが、彼が気むずかしいというのは事実だった。
手術中、看護師の渡し方が気に入らないという理由で器具を床に捨てることもある。
「無茶苦茶不愉快よね、チッチ君。こっちが言い返せないのわかってて」
チッチ君というのは、頻繁に舌打ちをするので佐々木が陰でつけたあだ名だ。
癇性で、何でも自分の思い通りにならないと相手をこっぴどく非難する。また、看護師は医師の小間使いだという意識がかなり強い。
そのためコメディカルとは軋轢が絶えなかった。
「ね、先生」
看護師の一人がこっちを見た。
「酷いでしょ?」
愚痴る看護師達の数の多さに村山は仕方なく頷く。
「え、あ、まあ……」
「何か歯切れ悪い」
「やっぱ、先生同士は悪口言えない?」
村山は首を横に振った。
「俺は別に何の被害もないし、そういう場面に出くわしたこともないし……」
「鈍感!」
「先生、周り見えてる?」
「佐々木先生なんて、それはもう色々話してくれるのに」
一番若い看護師が一年上の看護師を見ながら言う。
「オーべーのOが大文字だってネチネチ叱られたとか、貧乏揺すりが気になって集中できないとか……、ね?」
「へえ」
「有名な話ですよお、肥満体型だと、小文字も大文字になるのか、って」
オーべーというのは異常なしを表すohne Befund の略なので、確かに小文字が正しい。だが、日本人にとっては別段どうでもいい話なので佐々木は愚痴ったのだろう。
「……へえ、そうなんだ」
看護師の一人が突然くすくすと笑い出す。
「あ、でも、村山先生には優しいのかもよ」
「え、何、何?」
「ほら、小金井先生の視線」
「ああ、あれね」
頃合いだと思い、村山はその辺りを片付け始めた。
「先生、よく小金井先生から熱い視線で見られてるの、知ってます?」
「……え?」
今度は女三人が笑い出す。
「じゃあ、シャワー室の話、知ってます?」
「いや」
きゃあきゃあと隣の看護師が身体を揺すった。
「村山先生がシャワー室に行くのを見計らって、小金井先生も後を追うって有名ですよ」
確かにシャワー室で小金井と出会うことはあったが、単にタイミングの問題であって取り立てて騒ぐようなことではない。
「お気に入りだって評判ですよ。医局で二人きりの時とか、どうなんです?」
一人の看護師が嬌声の中、首を微かに傾ける。
「あ、でもね、小金井先生、すっごい美人の彼女がいるって聞きました」
「ありえないって」
「喫茶店で親しげに会話してるのを見た子がいるって話なんですが」
「絶対、保険の勧誘員よ」
クスクス笑いが漏れる。
「私もそっちに百円賭けるわ」
村山は立ち上がった。
「じゃ、俺はこれで……」
「あ、ずるい、先生逃げるんですか?」
逃げるも何も、彼女らと雑談をするためにナースステーションに来たわけではなかった。
「今日、まだ本田さんとこに顔出してないから」
本田さんというのは神経質な男性患者で、主治医の村山が決まった時間に来ないと怒り出す。
長時間の手術などでその日は行けないと告げると、入院料が一日分損だとなじった。何とか遅くに顔を出しても、時間外まで待たせたのなら割引しろと迫った。
(……まあ、たまには利用させてもらわないと)
逆に言えば、顔さえだしていれば機嫌はいいので、扱いやすいとも言える。
村山は本田、それから同室の患者の様子を見に行く。
そうして通り一辺倒の会話を交わしたあと、そのまま医局へと向かった。




