集団パニック1
日曜日、川上のレストランで息抜きをしていた萌の前に、伊東が新聞を置いた。
「……例の集団パニック、これって変じゃないか?」
言われて萌は新聞に目を通す。
「どこがどう変なの?」
「最初はトンネルのあっち側。それからトンネルのこっち側付近、そして山沿いにやや東寄り」
「それが?」
「普通だったら、トンネルのあっち側で広がるような気がしない?」
「病気じゃないかもしれないんでしょ?」
「そう……みんな穏やかに暮らせない感じなだけで」
伊東が何を言いたいのかわかった。
「蛙がやったのかな」
「わからないけど、場所的には一致する」
「圭ちゃんだったら、非科学的って言いそう」
伊東は眉を寄せる。
「……確かに」
そうしてぷっと笑った。
「でさ、女の子ってそういうこと言うよなあ、みたいな事を平気で言うんだ」
「圭ちゃんはそんなこと言わないよ」
伊東は微笑んだ。
「……うん、でも、女の子がどうのっていうのは別としても、理系男子って魑魅魍魎を馬鹿にするとこあるから」
「ふうん」
ということは、村山もそうなのだろうか。
「でも圭ちゃんは宇宙人は信じてるよ」
信じているというより、既に遭遇した事があると言った方が正しいかもしれない。
「そりゃ、理系男子だもの」
そこの違いは萌にはわからない。
「妖怪も宇宙人も似たようなものでしょ?」
「まあね」
もう一度笑ってから、伊東は布巾でテーブルを拭いた。
「最初の話に戻るけど、次はどこだと思う?」
萌は新聞に載る地図を眺めた。
矢印は真下に行ってから右に曲がっている。
「このまま山沿いをまっすぐ東か、また下に曲がるか」
山沿いを真っ直ぐ東にいけば、いずれ川にぶつかる。
「あるいは元に戻るか」
萌は考え込む。
蛙……これが仮に蛙のせいだとして、そいつの目的がわからないのでは想像のしようもない。
「おおい、櫂、ちょっとこっちを手伝ってくれ」
「はい」
川上に呼ばれて伊東がキッチンの方に戻る。
萌は立ち上がって、伊東がまだ拭いていないテーブルを拭き上げた。
「おお、済まんな、萌」
川上に布巾を渡すと、彼は布巾をすすぎ、再度萌に返す。
「ついでに花瓶も拭いてくれ」
「了解」
三カ所ある花瓶を丁寧に拭く。
家では絶対にしないが、持ちあげて底も磨いていると、川上が頭を軽く下げた。
「ほんと済まんな。今日は昼にママ会があって、既に満席、時間押しって感じでさ」
「ママ会?」
「ああ、幼稚園とか小学校のママ友が集まって、食事会をするんだよ」
「ふうん」
「萌も女子会、するんならここでやれよ、サービスしてやるから」
「ありがとう」
言いつつ、萌は心の中で首を振る。
実は、そういうのは苦手だ。
クラスで文化祭の打ち上げをしたりとか、クラスマッチの後のカラオケとか、萌にとっては苦痛以外の何ものでもない。
席がくじ引きだったりすると、それだけで家に帰りたくなった。
(……百合子と和実と三人でいて、二人が話をしているのを横で聞く、っていうぐらいが限界)
萌はキッチンで働く伊東を何となく眺める。
高津や村山は緊急事態だったので仕方なしに仲良くなった感があったが、伊東にはそれはない。
藤田みたいに色々話しかけてくれたにもかかわらず、結局最後まで苦手意識が消えないような相手もいるのに。
(大事にしないと)
川上、長谷川もそうだ。
伊東がらみで知り合った相手は、どうしてか萌には心地よい。
(……姫がらみ、だからかな?)
思いながら地図を見る。
(次はどこだろ)
萌の勘ではこのまま真東に進むと思う。
(……だって、曲がったりするの面倒だし)
相手がただの蛙なら、何か目的があって動いているとも考えにくい。
(でも……)
こういうのは村山や高津の方が当てる確率は高い。
(村山さんは理論で攻めるし、圭ちゃんは勘が鋭いし)
ぶっちゃけ萌はどちらも持っていない。
(この件は夜に圭ちゃんに聞こう)
夜になるのを待ち、萌は高津に電話でその件を相談をした。
「……ね、どう思う?」
高津はしばらく考え込み、そしてゆっくりと言葉を発する。
「……蛙はどうしてずっとトンネルにいたんだろ?」
「蛇が怖くて出られなかったのよ」
「でもさ」
電話の向こうで高津は考え込んだ。
「そのパニックって、最初は北の町で起きたんだろ? 仮にそれが蛙のせいだとしたら、変じゃないか」
「どうして?」
「あっち側に行けるんなら、蛇が怖いと思った瞬間にとっとと逃げるんじゃない? 大昔からずっといるってのも変だろ」
その疑問は、実は昼間に伊東と考えていたので答えは持っている。
「トンネルの北町側の工事の穴は、昔にはなかったもの。それで、蛇に睨まれて縮こまってた蛙が、蛇がいなくなったんでまっしぐらに外に出たら、昔いた側と逆だった。それでもう一度元の場所に戻ろうとしたのに違いないわ」
「……違いない、ね」
微かに笑って、高津は言った。
「じゃ、どうして戻ってきたんだろう」
萌は少し考えた。
「仲間でもいたのかな」
「もしそうなら、今まで毒の被害がなかったことがわからない」
「そっか……じゃあ、家がこっちにあったとか」
「……かもしれないね」
「圭ちゃん、予感しない?」
うーんという声がまず聞こえた。
「遠すぎてわからない。そっちに行けば何とかなるかもしれないけど」
「来てみる?」
「今、いいの?」
萌は時計を見た。
「ごめん、そろそろ妹が上がってくる時間だった」
「……そうか」
「ね、じゃあ今度の土曜日とかどう? 授業は昼までだから、その後一緒にその辺りをぶらぶらするの」
「わ、わかった」
どうしてか高津の声がうわずった。
「何時にどこ? あ、クラスの連中に見つかったりしたら親に密告されるかもしれないから、できるだけ密かに」
「だったら夕方かな」
「いや、昼間でもいいんだけど、あまり町中じゃない場所でってこと」
「わかった」
とりあえず萌は高津と相談し、トンネル付近で彼を呼び出すことにした。
「でも、体力大丈夫?」
「片道は何とかなる。特に誰かが呼び出してくれた場合は」
「問題は帰りね」
「それは大丈夫。俺、部屋に帰って寝るだけだから」
萌はその日までに情報収集をする約束をして、とりあえず電話を切る。
しかし、こんな話の詳細情報など手に入るはずもない。
せいぜいが地域の新聞を読むぐらいしか方法はなく、それで得られるものなどたかがしれていた。