毒蛙3
「……ふう」
高津はそのままベッドに寝転ぶ。
と、その途端、玄関の呼び鈴が鳴る。
(……青い、な)
仕方なしに高津は起き上がり、鍵を開けた。
「……合い鍵持ってるんだから、勝手に入ってくれればいいのに」
松並を睨むと、相手は肩をすくめた。
「合い鍵はな、お前のお母さんから、もし、何かあったときのために、ってお預かりしたもんだ。一緒にたこ焼き食うために使うべきものじゃない」
このマンションを契約するにあたり、父母が考慮したのは松並の存在だった。
三月の始め、たまたま帰省したと言いながら松並が高津の両親に挨拶し、そして高津のこちらでの相談相手と監視役になることを自然な感じで受けた。
彼の町は同郷意識が強い。
何町何丁目の……と言うだけで、松並のような人相の悪い男でも瞬時に信用されてしまう。
加えて彼の出身高は中高一貫名門私立であり、村山夫婦とは若年の頃からのつきあいだと言えば、それだけで高津の母などはKOできた。
それでなくても関西に一人息子を下宿させるという不安を持つ父母にとっては、松並は高津が羽目を外さないようにするための留め金に見えたろう。
「……俺、未成年なんだけど」
「酒は俺が飲むために持ってきたんだ。気にしなくていいぞ」
まさか彼の親も、留め金が法律違反を率先してやるような男だとは思ってもいなかったはずだ。
「部屋が臭くなるからやめてよ」
「そう言われると思って甲種にした。どうしても嫌なら、俺の部屋で飲んでもいいが」
「……いや、面倒くさいからいい」
結局、勧められるまま松並と一緒に高津はこのマンションに引っ越し、松並の真下の部屋に住んでいる。
先月できあがったばかりの綺麗な部屋だが立地が悪いので家賃は安く、その点だけはありがたいと思う。
松並は勝手に戸棚からコップを出すと、焼酎を入れた。
高津はため息をつき、さっきまで水を飲んでいたコップを差し出し、一緒に注いでもらう。
「お疲れだな」
「萌から電話でさ」
高津は少し逡巡したが、松並の同意が欲しくてさっきの話を口にしてみた。
「こないだニュースで大蛇が死んだって言ってたろ?」
「ああ」
「そしたら封印されてた毒蛙がよみがえって悪さをするんだって」
たこ焼きを空中で止め、松並は高津を見る。
「……はあ?」
「何か、うちの町の昔話にそういうのがあるそうなんだ」
高津は萌から聞いた話を松並に伝えた。
「……へえ」
自分と同じ反応だということで高津は満足する。
「それでどう思うって聞かれたんだけど、真面目に話してる相手に、夢物語じゃんって言うのもあれかなって思って……」
高津は言葉を止める。
「どうしたの?」
目を見開いていた松並は高津を見つめ、そして一度首を振ってからたこ焼きを口に入れた。
「いや……」
そうして眉間にしわをよせた。
「この、蛇や蛙がどうって言うんじゃないんだが……」
彼は言いよどむように言葉を切り、そして酒を飲んだ。
「涼は……」
突然、村山の名が出て高津はいぶかしむ。
「え?」
松並は再び首を振った。
「……いや、何でもない」
「何か言いかけたなら最後まで言ってよ、気になるじゃないか」
眉間にしわを寄せた松並は、仕方なさそうに口を開く。
「涼は、魅力的に映るらしい」
「そんなこと、言われなくったってわかってる」
高津は顔をしかめた。
「賭けてもいいけど、ナンパ成功率百パーセントだよ」
「いや、人間の女じゃなくて……」
高津は仰天した。
「男にってこと?」
「違う、人じゃないもの……だ」
今度は驚きを通り越してあきれる。
「……はあ?」
松並はまた首を振る。
「だから俺は言いたくなかったんだ」
「あ、いや、ちょっと驚いただけ」
高津は残っていた楊枝を取り、たこ焼きを刺す。
「実例、あるの?」
松並は少し考えてから首を振った。
「いや、この世界にはない。多分違う世界の話だ」
「変なの」
たこ焼きを食べ、焼酎をお湯で割ってから口に入れる。
「で、もし、それがそうだとしたら、どういうことになるのさ?」
「人間の女以外にも、涼を欲しがる奴が増えるってことだな」
高津は苦笑した。
「もてる男は辛いね」
「相手が女ならいいが、妖怪変化だったら捕まれば食われる」
「……え?」
どうしてか背筋に寒気が走る。
「今、何て?」
松並は顔をしかめたまま、酒をまた飲んだ。
「もう聞くな。俺も自分が今、何でそんなこと思ったのかがわからないんだから」
高津は相手を見つめる。
「ひょっとして、村山さんが蛙に食われると思ってるの?」
「いや、それはない」
意外にも即座に返事が返ってきた。
「今回の蛇とかそういう具体的な奴らがどうとかじゃないんだ。何となく、あいつはそういう妙なものに狙われやすい体質だって思っただけで」
「……いつもの、予言?」
「かもな」
コップを握り、そしてその温もりを手のひらに感じる。
「滅多にないって言ってたけど、結構あるんだね、予感的なやつ」
「本当に今までは滅多になかった。だけど、お前に会ってからは増えた」
松並は鋭い目をこちらに向けた。
「涼の時と一緒だ」
「え?」
「あいつといると頻繁にあった。最近もそれと同じように感じる」
松並は辛そうにため息をつく。
「まるで、俺は……」
何も言わずに相手を見ると、彼は首を振った。
「……いや、何でもない」
今度はしつこく追求することをやめ、高津もコップの液体を飲む。
問題はそこではない。
「……蛙の話、真剣に考えた方がいいかな?」
「そうだな」
彼は頷いた。
「神尾さんに危険がないように、お前、守ってやらないと」
「それって」
高津の声は震える。
「萌に何かあるってこと?」
「いや。そこんところは一般論だ。それに……」
彼はにやりと笑った。
「何事もなくったって、行くだけでポイント二倍だ。チャンスをみすみす逃したりしないことだな」
「……ちぇ」
見透かされて高津はふてた。