狐憑3
「長かったですね」
明石は村山がICUに行くより前に、内科医からコンサルト依頼を受けて患者の元に行っていた。
「ちょっと妙なイレウスの患者がいるということで見に行ったら、閉鎖孔ヘルニアだったんでそのまま緊急手術をした」
イレウスとは腸閉塞のことだ。
明石は簡単に言ったが、なかなか診断をつけるのが難しい症例である。
「ICUにいらしてましたっけ?」
「手術はさっき終わったところだ。とりあえずは後を任せてこっちに来た」
ふと彼は村山の手元の心電図の束に目を落とした。
「……なんだ、それは?」
(……チャンスだ)
明石から聞いてきたのだ、決して告げ口などではない。
「先ほど小金井先生から、明日中に診断しておけと」
明石は一瞬眉をひそめたが何も言わなかった。
そうして自席に向かう。
肩すかしを食らった村山は少し拳を握った後、敢えて後ろ姿に問いかける。
「先生」
「何だ?」
以前なら絶対に怖くて聞けなかったろう。
「……何でこんな事を俺がしなければならないんでしょう?」
「知らん」
しかし相手はにべもなかった。
「小金井に聞け」
「それができるなら、さっき聞いてます。」
「ならあきらめろ。受けた段階でお前の負けだ。」
村山はがっかりしてチョコをかじった。
(これって、勝ち負けの問題なのか?)
頼りにならない明石を恨めしげに見てからコーヒーを飲み干す。
そうして彼がICUに戻ろうと立ち上がりかけた時だった。
「来月から、チーム分けを行う」
明石の言葉に村山は微かに首をかしげる。
「……と言うと?」
「外科は息の合ったコンビネーションで成績が上がる。ばらばらと色んなメンバーで交代しながらやるより、基本固定した方がいいと思ってな」
「はい」
村山は頷いた。医長の専属助手にしてもらえるのは嬉しい。
明石と小金井はある意味好対照だった。
明石は経験豊かだったが、いつ時間を捻出しているのだろうと思うほど事前準備は常に完璧で用意周到な手術を行った。
逆に小金井は天才肌で、瞬時の判断やメスさばきにその才能の閃きを見せた。
どちらも勉強になったが、村山は明石の手術を好んだ。
「Aチームは俺、太田、佐々木。Bチームは小金井、三宅先生、お前。そして遊撃として部長」
「……え?」
村山は耳を疑った。
「どうしてですか?」
微かに声が震える。
「それがベストだと思うからだ」
「……だからどうしてですか?」
「何のことだ?」
「俺がAチームでない理由です」
「一つには小金井がそれを望んでいる。二つにはその方がお前のスキルが伸びると思うからだ」
村山はそれを、明石がここを出て行く準備を始めているのだと感じた。
「それは違います」
「なぜ?」
「俺に絶対的に欠けているのは経験です。そして、俺の特性上、できる限り筋の通った手術を見る方がためになるんです」
「小金井の手術も筋は通っていると思うが」
「より、筋の通った方です」
村山は強調する。
「開腹してからが常に想定通りであるためには、事前にどういう知識が必要なのかも含めて勉強したいと思っています」
「……あと、お前は」
答えを返さず、明石は続けた。
「腹腔鏡に向いている」
「え?」
「手先が器用だということ以上に、普通の医者だと見えないはずの部分が見えているというのは強い」
「それは買いかぶり過ぎです。見えないものは見えません」
「最初にカメラで一渡り見渡せば、あとは目をつぶってもどこに何があるかわかるだろうが」
「そんなことは……」
「腹腔鏡は低侵襲で患者には優しい。しかし、適応の幅が狭いのが難だ」
当然の事ながら、小さな穴を開けてカメラを差し込む手術なので、カメラで見えない位置にある癌腫は適応外となる。
「お前は視野が広い。その上、裏側にあるものもMRIや血管造影画像あたりを組み直した頭の中の画像で切れるんじゃないか?」
「無理を言わないでください」
明石はパソコンの電源を落とした。
「とりあえず、さっきの布陣は来月のシフトから稼働させるつもりだ」
「先生、それは……」
机の上を片付けると、すぐに明石は立ち上がる。
「数ヶ月やってみて、問題があればその時点で話を聞こう」
有無を言わさぬ口調に村山はそれ以上何も言えず、ただ明石を見つめた。
「ICUに戻るのか?」
「……はい」
「俺は研修室で寝ているから、何かあったら呼べと、桑内先生に言っといてくれ」
「はい」
仕方なしに村山は頷いた。