四. 裸穿力
全裸で地べたに這いつくばった俺を見下ろしながら、金髪黒マントの少女はこう言った。
「異世界へようこそ。今すぐ全額返済しろ」
○
まずは弁明させて頂きたい。俺は人に借金をした覚えは無い。
いや記憶が無いのだから覚えていないのは当然なのだが、こればっかりは胸を張って言える。俺は借金とは無縁である。
だと言うのに彼女は俺に「カネを返せ」と言う。
「あ、ひょっとしてカネではなくて?」
「カネだ」
断言された。カネダらしい。カネダとは健康的優良不良とかガニマタでジャンプするロボットとか横溝某とか多分そういうアレのことである。
「違う。一定の社会、文化圏で価値に代価する記号の事だ」
「そうですか。申し訳ない。でも勘違いじゃないの?」
「間違いなく契約書がある。お前が異世界に飛ぶために掛かった費用を私が立て替えておいた。さあ、今すぐ返済しろ」
少女は大きな瞳を半眼にし、全裸の俺を睥睨する。
しかしこの女性――と言うよりも少女は、果たして幾つぐらいなのだろうか。ちびっこいくせにやけに高圧的で威圧的だ。そしてどこかエロティックな雰囲気を漂わせている。俺はロリコンではない。
「ちなみに御幾らぐらいなのでしょうか?」
「五億だ」
「ごっ――」
天文学的数字である。
「ジンバブエですか?」
「どこの地名だ。以前の世界、お前が住んでいた国の価値で言えばおよそ五億円だ」
「わあ素敵なレート。円高が進んでるなあ」
「わけのわからない事ばかり言うな。で、返せるのかお前は」
「無理です」
「では加工だな」
「待て待て! ろ、労働、労働で返します!」
慌ててもう一つの選択肢を選ぶ。理不尽だ。
少女は細く形の好い顎に手を当て、ふむ、と頷いた。
「お前の皿洗いは一時間で六百ペチカだ」
「ええ何その地下帝国」
微妙に違う。
「ペチカはこの世界で最も広く普及している貨幣の単位だ。レートはさっき教えたな」
「田舎のコンビニバイトより安いっすね……って、ちょっと待って」
「お前が毎日休み無く皿を洗ったとしても、年間でおよそ三百万。全て返し終わるまでに百七十年程掛かるな」
「その前に死ぬます」
「安心しろ、七十年から先はもう少し稼げるようになる」
「勤続七十年でようやく賃上げなの? 厳しくない? と言うか寿命で死ぬと思うんだけど」
「死んだら休む必要がなくなるだろう?」
「ブラック! ブラックですよ! 死んだら働けないだろ!」
少女は頬杖をついて、はあ、小馬鹿に下したよなため息を吐く。
「お前の知っての通り、この世界には魔法がある。魔法にもいくつかの種類が存在するが《レーヴァ》に分類される魔法体系にネクロマンシーというものがある。これはとても便利な技術なのだが――その表情からすると、概ね分かっているようだな」
少女が意味有りげに笑う。あ、悪趣味だ。
「死んでも労働なんていやだお……」
「では解体加工だな」
「どっちにしろ死ぬじゃないか!」
「当然だろう。お前はいつか死ぬ。お前に限らない。何だって死ぬ。今更何を言っている?」
「そういう事じゃなくて――」
「では訊くが、お前が居た世界ではお前が死ぬ事は無いのか? 労働が課せられる事はないのか?」
「それは――」
俺のいた国では、人は死ぬまで働くことになっていた。
一定の年齢に達すると、生きるため社会の奴隷となって働き続けなくてはならない。それは死ぬまで続く。
他の選択肢が存在しないでもないが、多くの人はその道を選べない。選びたくても選べないのだ。
無限の可能性なんて言葉は綺麗事で、実体の無い蜘蛛の糸だった。
「そう、大して変わらないんだ。一生を労働に捧げる事に何の抵抗がある? 職が見つからず野垂れ死ぬ者、犯罪行為に走るものだって居る。そこでお前はどうだ。恵まれていると思わないか?」
その通りだ。
みんなそうやって生きているんだ。それが普通、それが当然の生き方なのだ。そうして生きて、そうして死ぬのだ。だから、
「俺は――」
一生、死んでからも働き続ける。悪い事じゃないように思えてくる。
けれど、それでも。
「別の方法を、探す」
その生き方を、否定したい。
そのために、ここまで――異世界へやって来たのだから。
おぼろげな記憶を手繰る。
幽かな光明。そうだ。だから、俺は。
「ほう、ではどうする?」
鋭い眼光に射竦められる。
ここで黙ったら、負ける。
「教えてくれ」
「は?」
ふいに、少女の表情が一変した。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をはまさにこの事を言うのだろう。
「俺はこの世界のことを知らない。だから教えてくれ。どうすればいい」
「だから、加工されるか労働か選べと言っている」
「そんな理不尽に従う義理はない。あるんだろ、もっと他の手段が。この世界には俺の世界に無かったモノが山ほどある。俺の理解が及ばないモノがごまんと存在している。だからあるはずだ。俺が知らない、俺には分からない方法が。きっと。だって魔法なんてものがあるんだ。無いはずがない!」
何の確信もなかった。
何の根拠もなかった。
けれど、そうだと言う思いだけは確実にあった。
そうであって欲しい、という願望にすぎなかったかもしれない。
しかし俺は抗った。壁に、理不尽と言う名の巨大な壁に屈するのだけは、どうしても我慢ならなかった。
「……」
少女は黙って俺を見ている。表情には何の色も無い。
どれぐらいそうしていただろうか。
ふいに少女が口を開いた。
「ひとつだけ――」
「ひとつだけ、お前にチャンスをやろう」
壁に穴が開いた。
少女はふっ、と息を吐いた。
「私の負けだ。それに、お前はどうやら稼ぐ気があるらしいからな。他の使い道がありそうだ」
「で、その俺の使い道っていうのは?」
「その前にまず――」
少女は手近な布をひったくると、
「前を隠せ」
丸裸でいきり立つ俺にマフラーのようなモノを投げつけた。