三. 理不尽な二択
次の部屋へと押し込まれた直後、抵抗むなしく全ての衣服を剥ぎ取られ耳になにやら押し付けられた。
「いてえ!?」
バチン、という音と共に、一瞬で耳が熱くなる。何か取り付けられたのだ。恐らくタグである。
ついで何か風呂のようなモノに投げ入れられる。消毒くさい。と言うか消毒液である。
股の間まできっちり綺麗にされた俺は、さらに奥の部屋へと放り込まれた。この時点で内心の混乱は収まり、しかし諦観には達して折らず悲しみと後悔だけが俺の全てであった。
異世界へ連れてこられ、それが自ら望んでなのかどうなのかも分からず、巨大なダンゴムシに追いかけ回された挙句、屈強なおっさんに強制労働させられて、優しくされたと思いきや食肉加工の現場へと追いやられた。しかもどうやらスタッフではなく、素材としてである。
理不尽とはこういうことを言うのだ。いや責任の一端は俺にもある。あの割ってしまった食器は恐らく彼女のお気に入りだったのであろう。しかしそれだけで追い出していいのか。それだけでハムソーセージ美味しそうなのか。あんまりだ。
「メソメソするな、鬱陶しい」
何て言い草だ。これが泣かないで居られるものか。
「生きているだけありがたいと思え」
まだ生きているけれど、もうすぐ死ぬではないか。何に感謝しろと言うのだ。
「私に感謝しろ。と言うかそろそろ顔を上げたらどうだ」
「え?」
言われて周囲を見渡す。
随分と雰囲気のある部屋だった。紫と黒の色彩。装飾品の多くは銀や金だがその輝きは豪奢と言うよりは骨董品のようで鈍く、禍々しい。壁際には分厚い本がぎっしりと並び、部屋と言うより工房、魔女のそれのようだった。
「ここは……?」
「私の工房だ。早く起きろ」
言われるがままにのそりと身体を起こし、ふと気がつく。
「あれ……言葉がわかる……?」
伏字の言語ではない。日本語で、俺の言葉で会話が成立している。ではここは元の世界なのか? 俺は帰ってきたのか?
「先ほどお前の耳に、言語での意思伝達を可能にするチャームを縫い付けた。今のお前は、全ての言語をお前の言葉で理解できる」
耳の熱さはタグではなかったのか。少しほっとする。
「そうだ、存分に安心して感謝しろ。何せ私が最後の言葉を聴いてやるのだからな」
「私が――って、あんた誰ですか」
玉座のように豪華な椅子に腰掛けた、小柄な少女に訊く。
「この工房の主だ」
肘置きに寄りかかり、小首をかしげて言う。長い金髪がさらりと揺れた。
「はあ……で、最後の言葉ってどういうことですかね。あと工房って何ですか。あんたの名前は? ここどこなんですか? 何で俺はこんなところに居るんですか。と言うか俺は誰ですか」
「会話が成立して嬉しいのは分かるが、一度に訊くな。順を追って説明してやる。まずお前は死ぬ」
「まずで死ぬの!?」
「ああ死ぬ。大体察していると思うが、ここは私の工房で、今からお前は加工される。生きたまま巨大なミキサーに放り込まれてミンチになる」
「髪の毛とか歯とかも一緒に砕かれますか」
「変な事を気にする奴だな。ちゃんと捌いてやるから安心しろ」
「訊かなきゃよかった……」
「最後まで聞け。お前には拒否権が与えられている」
「拒否します」
「良かろう。代わりとしてお前には労働が課せられる」
「救いはないんですか」
「無いな。どちらかを選択しろ。その契約だ」
「契約なんかした覚えは無い」
「ではこれを見ろ」
言って、少女は一枚の紙切れを取り出した。こちらに突きつける。
「これは――」
「契約書だ。署名蘭を見ろ」
「確かに俺の字だ……でもこんなの書いた覚えは無い」
「ただの記憶障害だ。世界を超えるんだ。それぐらいの代償は必要だろう」
「ただの、って……いや、そんな事よりも、そうか、やっぱり」
――異世界にいるのか、俺は。
「その通りだ。異世界へようこそ」
少女はニヤリと笑いそして、
「今すぐ全額返済しろ」
と言った。